建築のたびを写真とともに綴るmokonote/モコノート
江戸時代、天皇や公家衆の政治介入を抑制する為、
徳川幕府が設けた「公家衆諸法度」及び「禁中並公家諸法度」により
日常を縛られた後水尾上皇は、
王朝文化の発展に尽力されます
そして、その情熱と創意は、
山荘の造営と経営に注がれるのでした
【花菱紋】~下離宮 御幸門より~
後水尾上皇お好みの模様
【2008.03.07】
■『修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)』
■後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)監修
■日本、京都市左京区修学院藪添、比叡山の麓・東山連峰の山裾
【下離宮 御幸門】
樅や杉といった高木を背に佇む
屋根は柿葺き(こけらぶき)で、意外に簡素な造り
【壽月観(じゅげつかん)】
柿葺き入母屋数寄屋造
軒下の扁額“壽月観”の文字は、上皇宸筆によるもの
【下離宮 庭】
比叡山に発する流れとして、
紅葉林の下を遣水が流れる
+.+つづく+.+