小さい頃の私は、超心配症で、マイナス試行だった。
小学生だったある日、近所のおばさんに、「この前、あっちゃんのお母さんに1万円借りたから、これお母さんに渡してね」と1万円を預かった。
その後、運動場で少し遊んでから家に帰ったのだが、
夜になって、母親から「おばさんからお金預からなかった?」と言われて、あっそうだった、とポケットの財布を出そうと思ったら、ないのだ⁈
よく考えたが、どう考えても運動場で鉄棒で逆上がりしたり、遊んだ時に落としたとしか考えられない!
その時は、母に適当な嘘をついて、明日、見つかるはすだから、明日、渡せばいいと思っていた。
その日に夜は、マイナス思考がフル回転で、一睡もできなかた…。
次の日、運動場に行くと、鉄棒のところに財布が落ちているのを見つけた!
「やったー!」と思い中身を確認したら、空っぽだった…。
母に正直に、話し謝ると「家にとって、その1万円はどれだけ貴重か…」と泣き出した。
父が障がい者となって、お金の工面に困っていた頃だったので、
本当に、ショックだったのだと思う。
一部始終を見ていた父が私に、
「今回の事で、気付きや、反省する事は大切だけど、後悔はしなくていい。 後悔をしても起きてしまった事は変えられない。
それよりも、自分にとって嫌な事が起きた時は、その中にも
良かったと思えることが必ずあるから、これからは、良かった探しをしなさい」と言うのだ。
「私は、お金を取られて良かったなんて思う人は誰もいないよ!」と反論すると
父は、「もしかして、このお金を拾った人が、食べる物もなくて、家より困っている人
かもしれない。そう思ったら逆に良かったなーと思えるよ。
たとえば、お前に、ひどい悪口をいう人がいるとする。
そしたら、腹を立てる前に、自分の目の前にいる人は自分の写し鏡だから、自分もそう言う部分があるのかもしれない。
それに言われた人がどんな気持ちになるのか気付けるね。
そうすると、憎む気持ちも、自分に教えてくれた人だと思えば感謝にかわる。ほらっ!良かった事あっただろ⁈」
私:「世の中には、大切な人を殺された人もいるよ。そんな時でも
良かったと思えることがあるの?」
父:「あるよ。 良かった探しは、どんな時にでも必ず1つは良かったと思えることがあるよ。考えてごらん?」
私:「どんなに考えても、こればっかりは無いよ!絶対にない!」
父:「今、良かった探しをしている時だけは、おまえの顔は楽しそうだよ。その時だけは、悲しいことを忘れられる。
ほらっ、必ず一つは良かったがあるだろ⁈」
こんな風に、小さい頃に、父に教えてもらった「良かった探し」が、いつの間にか、私の癖となり、マイナス思考は、すっかり無くなっていった。
社会人になって、後輩から言われた一言で、「はっ」とした事があった。
後輩が、ある企業との間で問題が勃発し、真っ青な顔をして私に助けを求めてきた。
私は、自分なりのアドバイスをし、「この問題が、今、発覚して良かったね、これを知らずに進めていたらもっと大変なことになってたよ。気付けて良かったね!」と伝えると、
後輩:「〇〇さんに(私のこと)いつも相談すると、深刻な事も、良かったって思えるくらい気持ちが軽くなるんですよね。どうしたらそんな考え方ができるのかな?」
と言われ、「そうか、いつの間にか私、良かった探しに助けられてたなそして、少しは人の為にも使えてたんだー。」
そう思うと、心がほっこりして、また気持ちが良くなった。
私が、覚醒し始めたのも、この思考のおかげである。
「お父さん、本当にありがとう!」