障がい者の父 | 笑う門には福来る

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  —私の覚醒日記ー

私は小さいころ、宇宙人気質満載で、本当に落ち着きがなく、

やんちゃで、よく怒られていた。

 

姉は大人しく、親の言う事をちゃんと聞くので、

父は、躾の思いもあり、私を叱る時は、平手打ちで、2~3m飛ぶ勢いでよく叩いた。

 

それを見かねた母が私を抱いて家出をする事もあったし、

幼い私は、「お父さんは、おねえちゃんのお父さんで、

私の本当のお父さんじゃないんだよね?」と言っていたらしい。

 

そんな父が、私が小学校1?2年生の時に、障がい者となった。

 

稲刈りをしていた時に、コンバインの藁を粉砕する部分が、何度もつまり、よく機械が止まっていた。

 

最初は、しっかりエンジンを切ってから藁を取り出していたが、面倒になった父は、エンジンを付けたまま、藁の塊を取った瞬間、刃が回り出し、運悪く、ボタンを外していた服が絡まり、腕を巻き込まれてしまったのだ。

 

 

それから、父は、右肘から下が無い、障がい者となった。

父は、この事故をきっかけに、生かされている意味や、周りへの感謝など、沢山の事に気付いたのだと思う。

 

この頃から、精神世界へも興味を持ち沢山の本を読み漁っていた。

 

 

右手が無くなったが、子ども4人と、寝たきりの祖母を食べさせていかなければならないため、漁業も片腕で作業できる方法に試行錯誤しながら改良し、村の長者番付でも1位になるほど、稼ぐほどになった。

 

字を書くのも、食事も左手で練習する姿を何度も見て、

私は、小さいころから五体満足の有難さを、教えてもらっていたのだと思う。

 

そして父は、人が変わったように、優しくなった。

子供達に、叱る時も、頭ごなしに怒るのではなく、

子どもの気持ちを確かめてから、諭すように、なぜいけないか教えてくれた。

 

私が高校生のある日、成績がガクンと下がり、成績表を見た父から、「あつこ、今日は話があるから出かけずに家にいるように」と置手紙があった。

 

漁から帰ってきた父は、仏間へ来るように私を呼んだ。

私は、「やばい、さすがに今日は、怒られる!」とビクビクしていた。ゲッソリ

 

父:「どうして、こんなに成績が落ちたと思う?」

 

私:「失恋をして勉強が手につかなかった…。」滝汗

 

父:「そうか…。おまえも、そう言う年頃になんたんだね」

  「父さんも、そんな経験があるから、おまえの気持ちもわかるよ」

 

  「でも、こんな話があるんだよ…。

  

  一人の美しい女性に3人の男性が恋をした。

 

  一人は、女性と結ばれて幸せな結婚生活を送った。

 

  一人は、振られて、自暴自棄になり堕落した生活を送った。

 

  もう一人は、失恋した気持ちを歌にして歌人となった。

 

  それが、あの有名な紀貫之だよ。

 

 

  あつこは、堕落した一人と同じだね。」チーンガーン

 

 人は、同じ経験をしてもその経験から何を学ぶか、何を思うかで人生が変わる。

 

  心が変われば行動が変わる。

 

  行動が変われば習慣が変わる。

 

   習慣が変われば人格が変わる。

 

  人格が変われば運命が変わる

 

 この言葉を常に頭に置いて生活をしなさい。」と言われたのだった。

 

これを聞いた私は、脳天から雷が落ちたように、電気が走り、

いろんな事を悟った。

 

この父の言葉の数々が、後の私の生き方に大きな影響を与えるきっかけとなった。

 

続く…。