毎日思想・おもしろ出来事出会い系日誌 -10ページ目

神と死後の世界…なんてものはない

断言します!!!
○神さまなんてものは居ないのです。 人が作り出した幻影
○死後の世界に天国も地獄もないのです。    死ねば無

いつからだろう 神や死後の世界が無い事を確信したのは・・・

神や仏をあてにせず、精一杯己の力で生きる。

日韓戦争

もし起こってしまったら(無いと思うが)喜ぶのは北朝鮮だね。
両国とも資本主義国としてアメリカの手下として仲良くせねばならない。

仏教的に霊ってあるの?

釈迦は霊について、いっさい肯定も否定もしなかったと聞きます
霊の存在が広く信じられていた時代での、その態度は否定ととって良いのではないでしょうか?
少なくとも、気にする事はない、と言う意味に受け取れます
でも、現在の仏教は、当たり前のように、死後の世界や輪廻転生を説いています
仏教信者は矛盾を感じないのですか? 
あなたの信じる教えは、釈迦の教えではないのですか?

救世主「弥勒菩薩」信仰について

遠い未来に弥勒菩薩が世界を救うとかいう預言だか信仰だかがあるらしいが
これについての詳細を知りたい
詳しいことがわかるサイトか書籍を紹介してもらえるとありがたい
弥勒菩薩って何者なんだろう?

キリストは空白の15年間なにをしていた?

幼少期~青年期の15年間の行動は不思議と記録が少ない。
死海近辺の密教教団に所属し修行を行っていたとか放浪してたとか色々あるけど
実際なにしてたの?

神と死後の世界…なんてものはない!

断言します!!!
○神さまなんてものは居ないのです。 人が作り出した幻影
○死後の世界に天国も地獄もないのです。    死ねば無

神や仏をあてにせず、精一杯己の力で生きる。 

いけない事は何故いけない事のか?

やってはいけないとされる「悪い」事が世の中には沢山あるけれど、
そもそも「悪い」って何なのだろうか? その逆の「善い」って何なのだろうか?

例えば(無実の人の)殺害を悪い事にしている理由の一つとして、それを禁止しないと
社会が犯罪で溢れかえって混乱し皆が不便するから、というのがある。

その社会に住んでいる人間であれば、その社会の治安が維持される事はその人に
とっても利益になるので、殺人禁止ルールに従うべき十分な動機となる。

しかしそれは、自分と関係ない外国に行った場合には通用しない。
じゃあ外国に行ったら殺人OKかと言えば、そんなことは無い。

外国でも殺人を犯せば現地の警察に捕まり厳しく罰せられるので、それをもって
個人が殺人をするべきでない理由にすることはできる。しかしこれも、じゃあ警察に
バレなければ好きに殺人してよいのかといえば、そんなことは無い。

つまり善悪は、社会の利益(治安維持)に全て還元されきることはない。
そして、自分の利益(死刑になりたくない)にも還元されきったりはしない。
それ以上の何かがある。

社会の利益も、自分の利益も、それを善悪の基準にすると、善悪は相対的になってしまう。
しかし殺人のような行為の場合、その「悪さ」には絶対的な「悪さ」がある。
その根拠は何なのだろうか? それともそれは単なる思い込みなのだろうか?

無の境地

意識と意識の間には無がある
瞬間だから意識してないけど
それを連続させてみようとする試みが瞑想

結局、「無」って錯覚じゃないの。
「無」が有るか無いかの議論は無意味

髭は剃る派?それとも抜く派?

俺は髪は濃いけど、髭は薄いんだよね
なんていうか数えられるくらいしか生えてこないので
気が付いたときに数本抜くだけ
ちなみに足の毛も薄い
嫁に「楽でいいねー」ってよく言われるけど
男は濃くても剃んねーよ

殺人がいけないのは何故か?

ここで注目すべき点は、この功利主義の原則が、社会全体の利益になるのなら個人を犠牲にしても
(殺しても)善いとしている点である。上の例では殺しているのは殺人犯だから、殺人犯を殺して
治安向上できるのであれば一石二鳥という感じがする。しかし、功利主義の論理のみに従えば、
殺される人間は別に殺人犯である必要はない。例えば、殺人犯でもなんでもない無実の人を、
凶悪殺人犯であるとでっち上げて喧伝し、公開処刑しても、同じ犯罪抑止効果があれば、等しく
「善い」政策とされる。

このケースで何が分かったのか。絶対多数の最大幸福という原理は確かに説得力のあるものであるが、
我々の善悪感情はこのシンプルな原則のみに還元されることはない、ということである。いくら他の
多くの人々を助ける行為・政策であるとはいえ、無実の罪の人間を道具として利用するのは悪である。
いくら公共の福祉のためとはいえ、個人の権利を侵害するのは許されない場合がある。ある。
いくら公共の福祉のためとはいえ、個人の権利を侵害するのは許されない場合がある。