いけない事は何故いけない事のか?
やってはいけないとされる「悪い」事が世の中には沢山あるけれど、
そもそも「悪い」って何なのだろうか? その逆の「善い」って何なのだろうか?
例えば(無実の人の)殺害を悪い事にしている理由の一つとして、それを禁止しないと
社会が犯罪で溢れかえって混乱し皆が不便するから、というのがある。
その社会に住んでいる人間であれば、その社会の治安が維持される事はその人に
とっても利益になるので、殺人禁止ルールに従うべき十分な動機となる。
しかしそれは、自分と関係ない外国に行った場合には通用しない。
じゃあ外国に行ったら殺人OKかと言えば、そんなことは無い。
外国でも殺人を犯せば現地の警察に捕まり厳しく罰せられるので、それをもって
個人が殺人をするべきでない理由にすることはできる。しかしこれも、じゃあ警察に
バレなければ好きに殺人してよいのかといえば、そんなことは無い。
つまり善悪は、社会の利益(治安維持)に全て還元されきることはない。
そして、自分の利益(死刑になりたくない)にも還元されきったりはしない。
それ以上の何かがある。
社会の利益も、自分の利益も、それを善悪の基準にすると、善悪は相対的になってしまう。
しかし殺人のような行為の場合、その「悪さ」には絶対的な「悪さ」がある。
その根拠は何なのだろうか? それともそれは単なる思い込みなのだろうか?
そもそも「悪い」って何なのだろうか? その逆の「善い」って何なのだろうか?
例えば(無実の人の)殺害を悪い事にしている理由の一つとして、それを禁止しないと
社会が犯罪で溢れかえって混乱し皆が不便するから、というのがある。
その社会に住んでいる人間であれば、その社会の治安が維持される事はその人に
とっても利益になるので、殺人禁止ルールに従うべき十分な動機となる。
しかしそれは、自分と関係ない外国に行った場合には通用しない。
じゃあ外国に行ったら殺人OKかと言えば、そんなことは無い。
外国でも殺人を犯せば現地の警察に捕まり厳しく罰せられるので、それをもって
個人が殺人をするべきでない理由にすることはできる。しかしこれも、じゃあ警察に
バレなければ好きに殺人してよいのかといえば、そんなことは無い。
つまり善悪は、社会の利益(治安維持)に全て還元されきることはない。
そして、自分の利益(死刑になりたくない)にも還元されきったりはしない。
それ以上の何かがある。
社会の利益も、自分の利益も、それを善悪の基準にすると、善悪は相対的になってしまう。
しかし殺人のような行為の場合、その「悪さ」には絶対的な「悪さ」がある。
その根拠は何なのだろうか? それともそれは単なる思い込みなのだろうか?