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もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

まだまだ続くゲームの話、、、いいかげん2ヶ月経ってしまう💦 子育て・生活・店番の合間のスキマ時間(主に夜中と早朝)で必死に書いていますので、どうぞご容赦くださいえーん

 

<過去のシリーズ>

右矢印ゲーム依存症のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り①】

右矢印ゲーム・デジタルツールと教育のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り②】

 

右矢印ゲームの進化、表現活動としてのゲーム【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り③】

 

 

 

今日は、ゲーム関連トラブルの後ろにある、子どもの心や状況について話したパートです。

 

ピンクの文字の部分は、補足と、ディスカッションを振り返っての私の所感になります。

 

サムネ用…龍ちゃんが最近ハマってるゲームです

 

流れ星お茶会参加者紹介流れ星


 もっくん
もっくん珈琲、占い系カウンセラー、

三児の母、80年生まれ、元ゲームっ子

人の心の仕組みと癒しへの興味から、子供の教育に関心をもつ


 よっちゃん

もっくん珈琲、(最近)デザイナー/クリエイター

三児の父、80年生まれ、田舎の山育ち

自然哲学と教育普及活動に関心をもつ

 中井聖さん

生と性のはぐくみ研究室 はぐ♡ラボ 主宰

ままとーん代表(現理事)

思春期保健相談士

三児の母


 安田歩さん
子育て×メディア Five for earth 代表
市民団体 子どもの未来を育む会 代表
認定心理士、新聞読み聞かせインストラクター
三児の母

 田邉大樹さん
総合大学院大学 博士課程の学生(KEK/高エネルギー加速器研究機構所属)

90年代生まれ

ご専門の宇宙のことから、社会のこと、サブカルまで、ジャンル跨いで色々神のように詳しい(※←私の見解)

 

流れ星流れ星流れ星

 

スマホゲームの課金について

 

 よっちゃん

我が子の仮想空間内のふるまいを見たり、気持ちを聞いたりすると、仮想空間の世界と現実の世界での買い物には、大きな違いはないように思う。

 

たとえば、ゲーム内での自分のアバター(分身)のファッションにお金をかけて、とても気分がいいなど。現実のファッションと仮想空間上のファションの価値が同じ。「ゲームは現実と同じ」と思って良いのではないか。

 

健康管理のためにゲーム要素を合わせたマラソンアプリなどがあるが、これはSociety5.0に近い。ゲームもその延長上で、近い空間ができている。

 

 

 

 もっくん
アプリゲームの課金トラブルで学校から「家庭でのルールを作ってください」という打診が来たが、それはゲームのせいなのか。親子トラブル、親子コミュニケーションの一種の経験の一つなのではないか。ゲーム関係のトラブルは、大抵「家庭でルールを作る」前提となる信頼関係が崩れている場所で起こっている。ゲームによってゼロから引き起こされた不幸ではないと思う。

 

 よっちゃん

ゲームの空間が「カラオケ」「ゲームセンター」などリアル空間と同じだとしたら、「家庭でルールをつくる」という議論は、普通にありなのでは。

 

 歩さん

我が家は、子どもたちが自分のお小遣いでゲームソフトを買っている。親のポケットからは出していない。しまむらで服を買うのと同じ。個人のお金の使いみちに口出しはできないので、時間の管理だけ一緒にやる。ルールについては、親が一方的に決めてはだめで、子供の気持ちを理解したうえで決めないと、縛ってしまう。

 聖さん
国が出しているガイドラインなどを見ると、「ルールを作りましょう」という正解の提示のみで、そこに困難を抱えている親側へのサポートの発想がない。親向けの居場所、サポートが必要。

 

 

<もっくん所感>

スマホ課金での、無断使い込み案件というのは、昔だったら、「親の現金を勝手に持ち出してゲーセンで使い込む」という非行が、技術革新で自宅で静かに起こるようになっただけの話かな、と考えています。ツールが新しくなったから目新しい危機のようにうつるけど、構造は同じです。

 

そこにある本質はやはり、本人の精神的な居場所・安全の危機で、親との信頼関係の崩壊も、そのひとつの案件なのだと思います。

 

最後に聖さんがおっしゃったことがまさに、という感じで、子が困っているときは親も困っているわけで、それを「ルールをつくる」という「親の責」だけの問題にすると、親は孤立して、解決からはますます遠ざかってしまいます。

 

 

流れ星流れ星流れ星

 

ゲームが叩かれる理由、背景

 

 田邉さん

人々が何を使って想像力を膨らませているか、表現をしているか、というツールやシステムが(時代によって)変わっていっているだけ。それについていけず、自分の時代が良かったと思っている。ゲームが叩かれる理由はそこに尽きると思う。

 もっくん
「欲しい理想、こういうものが見たい」という何かを恋い焦がれる気持ちは変わらなくて、ツールを変えて見ているだけ。

ゲームに依存して生活を破壊している人、家族関係がダメになる人は、居場所、繋がり、自分の大事なものが見えなくなる、という、その部分が駄目になっているので危機が訪れているのに、表にある、本当は犯人じゃないものを叩いて、それで満足しているところがある。

 

 聖さん

ゲームにのめり込んでいく背景が、勉強がわからなくなっていく年齢(小学校中高学年以降)と重なっているのではないか、という意見もある。

 

 もっくん

確かに、ゲームを通してしていた体験はそれぞれ異なるので、個々のケースを全体に拡大するのは良くないですね。ゲームで世界が広がった体験をした人と、ゲームに逃げるしかなかった人では、意味合いが違ってくる。

 

 聖さん

お隣の韓国ではゲーム依存の問題がひどく、国を挙げて法律もできているが、韓国は日本と同等かそれ以上の学歴偏重社会。おそらく教育虐待みたいなものもあるのだろうという背景は、語られない。ただゲーム依存が酷い、ということが言われる。おそらく日本もそういうものがある。

 

安らげるはずのお家で追い詰められて居場所がなくなっている。その辺をもう少し掘り下げられないものか。

 もっくん
学歴偏重の本質は、その人を要件でみる、スペックで見る文化。「子供のありのままを尊重し、ただ幸せを願う」という育てられ方を、親自身も、あまりされていない。

 

本当は、子どもはそのように育てられるべきなのだと思う。ゲームの問題を論じるときに一番伝えたいのは、ここ。

 

 

<もっくん所感>

学力とゲームの関連については、親御さんにとってかなり悩ましい問題だとは思いますが、これも、「ゲームをやるから学力が下がる」という単純な相関ではないと思っています。

 

ゲームをやる⇒学力下がる という効果も多少はありますが、どちらかというと、

 

学校つまらん(わからん)⇒ゲームに逃げる⇒ますますつまらん、わからん(無限ループ)

 

の構図が、前者と勘違いされているケースがかなり多いのではないでしょうか。そうすると、必要はサポートは、ゲームを取り上げることは本質ではなくて、学校や勉強でつまづいている子の心理的ケア、という話になるかと思います。

 

ただし、ゲームに逃げている時間というのが、即・悪ということでもありません。多少のつまづきや葛藤も、人生の醍醐味というか、成長に必要な要素であることを思えば、多少はグッと見守って、これはホントにアカンやつ、と思った時に初めて手を差し伸べるなど、そういう気の長さが、見守る大人には肝要かもしれません。

 

流れ星流れ星流れ星

 

ゲームの効用


 もっくん

親子関係や人間関係のなかで、何かうまくいかなくなったとき、ゲームをすることで、なんらか心のわだかまりが解消されている効果がある。私自身も、ゲームがあるからなんとか生きてこられた、という時期がある。

 田邉さん
自分がゲームに何を見出しているのか、何を望んでいるのかを言語化することにより、他の人と繋がったり、自分を知る機会になる。自覚してやれていれば、ゲームは有益なものになる。

 

ゲームはその性質上、試行錯誤、シミュレーションが高速で出来るので楽しい。単にゲームで現実逃避しているのではなく、現実の、とある側面においての理想を試行錯誤している。

 

他人や日常感覚からすると一見無意味だと感じるものでも、その人にとって意味があるものである可能性もある。

いろんなゲームを手にすることで、いろんなゲーム体験ができて、試行錯誤の幅も増える。ゲームにハマったらハマったで、それ自体を抑圧するのではなく、他のゲームを提示することで周囲が手を貸すのも一つの手。

 聖さん
ゲームやデジタルツールでの失敗体験は、失敗ではなく、自分を知っている機会なのかもしれないですね。
 

 

<もっくん補足・所感>

私自身は、「ゲームに救われた!」という個人的な体験をなんとか言葉にしている、という段階ですが、そのへん、田邉さんの論は聞いていて見事だな~といつも思います^^;

 

また、詳細はこちらでは割愛しますが、聖さんは、思春期のお嬢さんがスマホゲームとSNSにのめり込んで生活崩壊~からの復帰、という体験をお持ちでした。(それを上記のように総括するまでには、様々な葛藤があっただろうなとお察ししますアセアセ

 

我が子は8歳(今日誕生日なんです!)、まだまだこれから、いろんなことがあるかなあと思うのですが、私も、この子に何が起こっているのかの本質を、常に見つめていきたいと思っています。

 
とりあえず、最近フォートナイトというオンラインゲームを始めて、知らない人と音声チャットで話しながら楽しそうにゲームして、7月の小遣いを課金にぶっこんで1日で使い果たしたようです。
 
自分が何を望んで、その結果何が起こったのか、自分で見届けて、自分を知りたまえ。
 
私たちは、見守ります。
 
画像:フォートナイト
 
冒頭も書いたとおり、この話をしてからもう2ヶ月近くが経っているのですが、私にとってはすごく大きな気付きがたくさんあった1日でした。
 
ゲームやサブカルチャーは、単なる戯れではなくて、心の内側を探る上で、とても有用なツールなのかもしれない、というのは確信に近くなり、いろんなものが今までとは違うように見えてきています。
 
さて、これで完結かと思いきや、まだ、大事な部分を少し残しています。
 
大きな物語が崩壊したあとの、不確かな世界を生きる、不安な時代に、いちばん大切なこと。という含みを残して次回につなげたいと思いますニコニコ

ゲームについて語るお茶会ログ、第3段です。

 

<過去のシリーズ>

右矢印ゲーム依存症のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り①】

右矢印ゲーム・デジタルツールと教育のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り②】

 

今回は、表現活動としてのゲームの側面に関するディスカッションを紹介します。

 

ピンクの文字の部分は、ディスカッションを振り返っての私の所管になります。

 

(本文とは関係ないのですが、サムネ用の綺麗な画像として、FFXのユウナの異界送りを。綺麗でしょう~)

 

流れ星お茶会参加者紹介流れ星


 もっくん
もっくん珈琲、占い系カウンセラー、

三児の母、80年生まれ、元ゲームっ子

人の心の仕組みと癒しへの興味から、子供の教育に関心をもつ


 よっちゃん

もっくん珈琲、(最近)デザイナー/クリエイター

三児の父、80年生まれ、田舎の山育ち

自然哲学と教育普及活動に関心をもつ

 中井聖さん

生と性のはぐくみ研究室 はぐ♡ラボ 主宰

ままとーん代表(現理事)

思春期保健相談士

三児の母


 安田歩さん
子育て×メディア Five for earth 代表
市民団体 子どもの未来を育む会 代表
認定心理士、新聞読み聞かせインストラクター
三児の母

 田邉大樹さん
総合大学院大学 博士課程の学生(KEK/高エネルギー加速器研究機構所属)

90年代生まれ

ご専門の宇宙のことから、社会のこと、サブカルまで、ジャンル跨いで色々神のように詳しい(※←私の見解)

 

流れ星流れ星流れ星

 

ゲームの種類

 

アクション・RPG ・パズル ・ノベルゲームなどなど…

 

ゲームは、ジャンルやハードウェアなど、それぞれの形態で、プレイヤーに与える心理や与える影響が全く違うはず。それらすべてを「ゲーム」という1つの言葉で、同じ土俵で語るのは無理がある。
 

【もっくん所感】

ここのパートは、参加者個人個人が過去やっていたゲームの話に花が咲いて、ログを聴いていても非常に楽しい部分なのですが(笑)本質ではな部分はあえて割愛して、このようにまとめてみましたニコニコ

 

いわゆる暴力的な表現を持つゲームというのも確かに存在していて、それが子どもたちに好ましい影響を与えるかというと、それ単品で見ればそうとは言えないものもあるでしょうが、一方で、小説のような、映画のような美しいストーリーが紡がれたームもたくさんあります。

 

ゲームに限らない話ですが、たくさんのものに満遍なく触れることで、情報の偏りが均され、何か1つのものへの没頭・依存、そしてそれからの悪影響は減らすことができますし、

 

また、たとえネガティブに見える表現であっても、それを世の中の「確かに在る一側面」として、身の安全を確保された中で、そういったものを『知る』ことができる、というメリットが生じます。

 

この疑似体験/思考錯誤こそが、ゲーム・サブカルその他、バーチャルな表現の最大のメリットではないでしょうか。

 

(※この辺の見解は、今回のディスカッションメンバーとの場外議論で深まったところがあります。みなさん本当にありがとうございます~ハート

 

きれいなもの・きたないもの・・・私達は、それらが混在した世界に住んでいます。これは誰も否定の出来ない真実でしょう。

 

とかく大人というのは、理想の世界を目指すあまり、子供に対して「きれいな世界」のみを見せたがり、「きたない世界」に落ちる子を見ないふり、という側面がありますが、これはとても冷い話で、自分たちを追い詰める原因にもなっているのでは、と思います。

 

流れ星流れ星流れ星

 

キャリアパスとしてのゲーム

 もっくん

一般的なコンピューターゲームが誕生してから半世紀近く経つ中、ゲームの形は進化し、表現としてのクオリティが洗練されている。


進化することで、当初の単純なゲームにはなかった要素が生まれてきていることを、大人たちがほとんど知らないのが残念。本質を見誤る原因にもなっているのでは。

映画なども、かつては単なる大衆娯楽で、低俗な文化とみなされていたのかもしれないが、いまは社会的にも認められて、哲学的な領域にもなっている。ゲームやサブカルもそういうものになり得ていることが、真面目な人ほど触れないので、わからないのかもしれない。

 田邉大樹さん
ゲームを作っている人の存在が見えていない。ある作品の存在に触発されて、新しい作品が創造されるというかたちで、連綿と受け継がれたものがある。芸術、自己表現の場として捉えて本気で作ってきた人の存在が見えていないからこそ、ゲームという一括りであまりに単純に語られるし、昔が良かった、という感覚が生まれる。

 

 もっくん
たとえば、ゲームでプロになると言った場合でも、プロゲーマーはスポーツ選手、クリエイターは映画監督などに近いと思う。同じ「ゲームの仕事」という言葉では元来まとめられない。キャリアパスとしても随分違うのではと思う。

 

 田邉大樹さん

いずれにしろ、ゲーム関連の職業は、きちんとした就業先として認知されていないため、実際にクリエイターになれる素質があるのに、なる道がない、道筋を知らないという状況はあるかもしれない。

 

 もっくん

その辺があまりはっきりしないので、子供にとっては、(ゲームという枠の中での)自分の将来をうまく言語化しづらいかもしれないですね。

 

 

【もっくん所感】

私は自分のことを『元・ゲームっ子』と言っておりますが(この表現、昭和っぽいでしょ 笑)、私の年子の弟も私以上のゲームっ子でした。

 

彼は幼少の頃から、「ゲームを作る人になりたい」と言って、例えばスクエアエニックスだとか任天堂だとか、ゲーム会社へ入ることをぼんやり夢見ていましたが、当時はたしかに、明確なキャリアイメージなんか描きようがなかったなあと振り返ります。

 

高橋名人が唯一、キャリア的なアイコンで、元祖プロゲーマーみたいな感じでしたが、あのひとはそもそもハドソン(ゲーム会社)の社員だったのですよね。

 

▲人気すぎてゲームまで出た高橋名人。懐かしくて涙出るわwww

 

弟はその後、「ゲームを作る人になる」というイメージ通りにはなりませんでしたが、そんなゆるいキャリアイメージと、ロボットやプログラミングの興味から工学部に入り、今はSEになって働いています。この人も、ゲームに導かれたといえないでもないかな。(離れて暮らしてるけど、今でもめっちゃ仲いいです)

 

流れ星流れ星流れ星

 

表現活動としてのゲーム

 

 中井聖さん

ゲームのクリエイターさんたちというのは、ゲームをたくさんやってきた人たちなのでしょうか?

 

 田邉大樹さん

それに関しては、田尻 智 ポケモンを創った男 という本があるが、それによれば、クリエイターになるには、ゲームをやっていればいいというものでもなく、他の体験を沢山積むことが大事であると述べられている。

 

いろんな経験を積んだ上で、なぜそれを面白いと思ったか突き詰める必要がある。ゲームをやっている自分を観察する必要がある、ということになると思う。

 

 もっくん

ゲームクリエイターになる人は、おそらくゲームが好きな人がほとんどなんだろうな、と思う。ただ、それ(ゲームが好きだった)だけで作品を作ると、やはり薄っぺらい感じになるのでは。

 

アニメやマンガでもそういう作品はあるなと感じる。この人、リアルの人生経験があんまりないのかなあ、と感じさせるような作品が。

 

 よっちゃん

自分が大学生の頃、「ゲームクリエイターではない人がゲームを創った」という作品が話題になったことがあった(右矢印ICO 2001年)。

 

その頃ありがちだった、ゲームの経験が薄い人を遠ざけがちな複雑な操作性を排した、極めて単純なゲームだったが、美しい音楽や謎めいたストーリーで、非常に魅力的だった。

 

そういう別サイドから入ってくる、という試みも、ゲーム業界はやっているのかなと思う。

 

 田邉大樹さん

ゲームというのが、シナリオ、背景美術、キャラクター、イラスト、音楽、ゲームシステム周りのプログラミングなどの総合芸術となってきたのが90年代後半からの流れ。たとえばイースシリーズ(1987-)などがその分水嶺。

 

新海誠(※「君の名は」「天気の子」などのアニメーション監督)はその時代にゲームのムービーを創っていた人です。

 

 よっちゃん

自分も学生時代(※2000年頃)にアニメーション作品を作ろうとしていた時期があったが、ちょうどその頃に新海誠が世に出てきた。写真をトレースするような技法で綺麗な背景を描いていて、当時は『ちょっと邪道だなあ』と思っていた。

 

 田邉大樹さん

その頃にちょうどデジタル環境が発達してきて、絵画的に綺麗な表現が柔軟にできるようになった、という技術的な側面があります。

 

 よっちゃん

それまでは、1人のクリエイターがアニメーションを創るというのは不可能であると言われ、たくさんのスタッフを抱えて創っていく時代だったところ、彼が1人で作り上げたというのが非常に評価されたと記憶している。

 

また、彼は美しい詩的な内容を表現できる、という強みがあったので、そこが評価されて、どんどん名を上げていったように思う。

 

 

【もっくん所感】

よっちゃんが当時、バイト代で高価なPCを買って、日々なんか創っていたのはよく記憶しています。絵を描いたり、作曲してみたり、簡単なアニメーションを創っていたり、試行錯誤の連続。

 

私は横で見ていただけでしたが、その頃の作業環境を思い出すと、20年後の今は驚くほど技術が進んでいるなあと思います。

 

こういったものが、ゲームやアニメの表現のクオリティを押し上げているし、ストーリーの練り上げ方なども、どんどん洗練されていて、本当に『総合芸術』と呼ぶにふさわしい内容になっているんですよね。

 

しかし、ディスカッションの中でも出ていますが、『クリエイターになるには、他の経験をたくさん積むことが大事』というのは、間違いないと思います。

 

様々な経験、試行錯誤こそが、良い作品を生む原動力だというのは、何でも同じですね。

 

クリエイターになるということを外しても、良い人生には、豊かな経験が必要だと思います。この部分は、子どもたちにも伝えたいです。


また付け加えるならば、『ゲームだけ』では勿論のこと、『勉強だけ』でも豊かな人生は作れないよ、というメッセージを届けたいと思います。(これは主に、間違った方向に教育熱心な大人たちに)

 

流れ星流れ星流れ星

 

ゲームの話シリーズ、まだまだ続きます。

前回の対談で、「ゲームの民俗版サントラに惚れ込んでアイルランドまで行ってしまった」というエピソードを紹介しましたが、それは私のことです。


昨日、お客さんから「アイルランドってどんなところですか?」と訊かれ、今度写真見せるよ〜という話で盛り上がりまして。さっそく、クローゼットを漁って写真を出してきました。

私がかの国に興味を持ったのは、このアルバムがきっかけ。
FFこと、ファイナルファンタジーⅣのサントラ、民俗版。ゲーム内で使われる楽曲を、作曲者の方がアイルランドのアーティストと協力してケルトアレンジしたものです。

小学校6年生の終わり、卒業祝いがてら、親か祖母に買ってもらったのだと記憶しています。

ジャケットの解説内でも作曲者さんが述べていますが、ケルトアレンジは元の楽曲に驚くほどフィットして、ファンタジーの世界が地に降りてきたような、不思議な感激をもたらす名盤になっています。



中のジャケットの写真はとても幻想的で、FFの世界観に極めて近く、なにこれ、現実にこんなFFみたいな場所が本当にあるの?いつか絶対行ってみたいな…✨✨と少女の私は夢を膨らませました。

そしてそこから10年近く経ち、大学4年生の終わりに、私はアルバイト代を貯め、夢を叶えます。

時は2003年3月。スマホはない時代で、まだデジカメも持っておらず、フィルムカメラと大量の替えフィルムをバックパックに詰めて、出国しました。

帰国後バタバタして、写真の半分は未整理でどこかにやってしまったけど、半分はちゃんとアルバムに整理していた。




私が憧れた世界が、目の前にありました。

田舎の自然ゆたかな国立公園を、たった1人で歩きました。日本から持ってきたCDを聴きながら。通り雨が降り、私しかいない公園。

それはとてもとても優しい時間で、ああ、私はいま妖精の国にいる……と本気で思えて、、、

子供の頃の私と、少し大きくなった私、2人の自分がいました。

あんなに優しい雨は、もう2度と体験できないだろうな、と思います。


ゲームはバーチャルな世界のものゆえ、これにまつわる体験をすべて虚構のものと考える人は、一定数いるでしょう。

でも、私の体験は、とてもリアルです。

ゲームの中で出会った登場人物と、ストーリーと、世界観。それに憧れた時間、思いを馳せた時間。

そして、それと地続きであった、アイルランド。(FFの舞台は架空の世界のため、イメージの中の話です)

私の体験は私だけのものだったから、友達と行くのではなく、1人で行きました。私に会いに行ったのかもしれません。

英語はそんなに出来なかったけど、向こうの人はみんな親切で、私を歓迎してくれて(黒髪の若いアジア人はとてもモテます 笑)、FF味以外にもたくさんの思い出ができました😊 パブでギネスを飲みながらお喋りしたり、ギターを弾かせてもらったり。

20年近く経った今も、ここで見たもの、聞いたもの、感じたものは、私を引っ張り続けて、導いています。

優しい世界、優しい時間。人生がまるごとそうであれと。

うちのお店を、居心地が良いと言ってくれる人は多いのですが、きっと、それはわたしの祈りであり、願いのエネルギーなんです。


内的な体験を、どういう場でするのか。

それが進化し続けているだけで、バーチャルな世界は、ただの虚構ではないのです。

12歳の少女が見た夢、憧れが、嘘ではないと言い続けるためにも、わたしは、自分を生き続けます。