前回(ゲーム依存症のはなし【5/21はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会 振り返り①】)の続きです。
もうひとつの話題提供として、私がお話に出したのは、昨今話題の『香川県ネット・ゲーム依存症対策条例』についてです。詳しくはリンク先(Wikipedea)を見てもらえればと思うのですが、この条例の概要は以下です。
・1日のオンラインゲームの時間
平日60分まで 土日・長期休暇 90分まで
・スマートフォンの利用時間
中学生以下 午後9時まで 高校生 午後10時まで
・保護者は家庭でルールを作り、上記の遵守に努めること
・ゲーム会社は依存症を進行させるおそれのある事業の自主規制と対策を実施すること
ちょっと調べたのですが、この条例を通す地ならしとして、地元新聞で、『ゲーム依存症』について、大体的な特集が組まれたようです。(▶関連記事)
地元新聞は、条例制定の中心となった議員さんの息がかかっている(幹部が身内)ようなので、『ネット/ゲームって怖い』というイメージを人々に植え付ける戦略的なものだったのかな~と思います。
目的は、ゲーム依存症というものから青少年を守って健全育成を図ろう、ということなのだと思いますが、私が前回のエントリーで書いたとおり、これらの議論はそもそも、「ゲームとは一体なんなのか」「人はなぜ依存症に陥るのか」という考察が圧倒的に欠けています。
そういった本質を見ない中で、昔の教育のやり方に回帰して踏襲していれば安心、という思考停止だなあ、と思えてならないのです。
昔に回帰すればよいという考えは、いつの時代もあるものですが、いまの時代は、そういう思考の持ち主たちが考えるよりも、遥かに速いスピードで変化していっています。
ICT(Information and Communication Technology)がそれらの主な牽引役で、教育においても、それは例外ではありません。
ここ最近、新型コロナウィルスの流行による全国規模の学校休校がありましたが、またいつ病気が流行するかわからず、「学校」というリアルな場が再び機能しなくなる可能性がある中、オンライン化がなかなか進まない日本でも、ようやく文科省が重い腰を上げて本気出してる、という動きが見えてきました。
「GIGAスクール構想」と称して、児童生徒に1人1台端末を配備して、オンライン環境を活用して、分け隔てない教育を施そうという計画があるのですが、コロナのこともあって、前倒しにこれらの検討が進んでいるようなのです。
上記リンクの文科省のサイトは、日々更新されていますし、自治体レベルでもその予算がついた、というお話を、近くの議員さんからお伺いしています。
生徒1人に端末1台支給、それがパソコンなのかスマホなのかタブレットなのかはわからないけど、何かが手元に来るのは間違いなさそうです。
そんな中で、『スマホは10時まで』?
この条例が話題になったのは、新型コロナウィルスが流行する少し前の事だったかと思いますが、それにしても、今のこの時代にこの条例を考えた人は、スマホを触ったことがあるのか?能動的に使ったことはあるのか?と疑問を感じてしまいます。
まあせいぜい、教育系だけ限定利用して、コミュニケーション/ゲームはするな、というところなのかもしれませんが、ご存知のとおり、ネット環境は様々なところに広がり、同じ端末の中で、色々な活動をすることができます。
オンラインのコミュニケーションツールは若者にすでに定着しているわけで、全員に対してそれらに手を出すなというのは、そもそも無理があるのではないでしょうか。
ツールを使用禁止すればネガティブなことは起きない? もし何かが起こったら、「問題行動」「逸脱行動」として、その問題を起こした子を集団から排除すれば、問題は解決するのでしょうか。
私はそうは思わなくて、繰り返しにはなりますが、やはり、「ツールの特性をよく知ること」「ツールを使う人間自身の、心の奥を丁寧に見て、フォローしていくこと」が大切だと思っています。それが、庇護者たる大人のあるべき姿勢です。
以上が私の話題提供だったのですが、ここからは、お茶会の中で出た参加者さんの意見・お話を紹介していこうと思います。
遅まきながら、今回の参加者の皆さんをご紹介します。
三児の母、80年生まれ、元ゲームっ子
もっくん珈琲、(最近)デザイナー/クリエイター
生と性のはぐくみ研究室 はぐ♡ラボ 主宰
元ままとーん代表(現理事)
思春期保健相談士
三児の母
安田歩さん
子育て×メディア Five for earth 代表
市民団体 子どもの未来を育む会 代表
認定心理士、新聞読み聞かせインストラクター
三児の母 田邉大樹さん
総合大学院大学 博士課程の学生(KEK/高エネルギー加速器研究機構所属)
ご専門の宇宙のことから、社会のこと、サブカルまで、ジャンル跨いで色々神のように詳しい(※←私の見解)
……こうやって各人のプロフィールを書くと、自分たちの地位の謎さがよくわかる(笑)
それはさておき。関連するトピックの、各メンバーの意見はこんな感じです。(各人のご意見は、口語から読みやすい文語に多少変換されています)
教育へのデジタルツール利用について
チャレンジタッチ(※Benesse・進研ゼミのタブレット学習ツール)がよく出来ている。
自動プログラムによる細かな声かけ(褒め)で、子供のモチベーションを維持する。回答の⚪︎×を一瞬で判別(丸付け等の手間軽減)してくれるし、ゲーム感覚での勉強が可能になっている。
このような形で学んで、わからないところを先生に聞いて、学校は遊ぶところ、とようなスタイルでも良いのかと思う 田邉さん
報酬(褒め)が小刻みに出てくるという設計は、ゲームのやり方を参考にしている(※ゲーミフィケーションという)。教育にゲームの設計を応用し、効率的な学びができるようにしている。
「小刻みな報酬に慣れると、長期的な目標に向かう力が身につかない」という反論も予想されるが、それはゲーム、システムの設計次第ではないか。
リアルへの興味の入り口としてのゲーム
ゲームをきっかけに、なにかリアルの世界の物事や、特定の場所に興味を持つことがたくさんある。仮想の世界から、実際の社会活動が生じている。ゲームに限らずサブカルチャー全部について同じことが言える。
Ex)(※以下は参加者それぞれの体験)
◎歴史、神話、古典などに興味を持ち、それによって成績が上がった
◎ゲームミュージックの民俗版アレンジに惚れ込み、外国まで旅行した
◎あるゲームをきっかけに、3つの村の郷土史に興味を持ち調べた
◎ゲーム内に出てきた単語をきっかけに、子供と調べものをしたり、文化を知ったりした。 もっくん
ゲーム、サブカルチャーは想像力を膨らますきっかけになる。リアルでは一見何もないところでも、「聖地」だったら脳内の想像力で補完できる。 田邉さん
ゲームは体験するものであるが故に、自分の思い入れに強く残りやすい。
デジタルツールを子供に与えることの是非
ゲームをやってない親御さんは特に、「ゲーム=悪」という前提がインストールされている。ボードゲームやアナログな遊びを礼賛する人も多いが、アナログだったら正義なのか?ともやもやする。
我が家はオンライン、デジタルツールをよく使っているが、うまくやっていると感じている。ただ、それによって子供の生活が破壊されていないのは、他の遊びもしていたり、また自分たちの親子関係の作り方が前提になっていると思っているので、安易に「デジタルツールは素晴らしい」という正解の提示もできない。
聖さん
思春期周りの年齢の子供の場合と、乳幼児期の子供に対する話は、線引きした方が良いと思う。いつなら与えて良いのか、いつから良いのか。どういう人とゲームを楽しむのか、子供と一緒に考える必要がある。
2歳以下の子供に携帯端末を与えるのは違うと思う。そこは線引きしつつゲーム=悪ではないと伝えたい。(整理する必要がある)
田邉さん
子供に端末を持たせるかどうかの話は、ゲームだからというよりは、むしろ目が悪くなるとか、身体的な影響を考えるべき。影響が大きいので、その点はお酒と同列に語って構わないと思う。身体に及ぼす影響は、大人より大きい。
また、デジタルツールと接する時間が長くなることで、紙の本、自然など、他の刺激に触れる体験が少なくなるというのは、避けるべきこと。 聖さん
認知、感覚、発達の段階などは、大人とは違う。デジタルツールを与えられることで、一人で長時間放置されているという問題もある。
もっくん
本人の1人遊びと、放置との線引きが難しい。4歳長女はずーっとYouTube見てルンルン歌っている。時々ママ〜といってこちらにくるが、仕事などが立て込んでいたり、精神的な余裕がないと、構えない時もある。構わない時は画面に戻る。 聖さん
ただ、それが絵本だったら問題視するでしょうか?「絵本だったら望ましい」というバイアスがある。
絵本の話とYoutubeの話
歩さんは、子供に絵本を1万回読み聞かせするというメソッドを実践して、また人に伝えていらっしゃるが、我が子は気に入った本のヘビーローテーションを要求し、あまりたくさんの本を読んでくれない。読み聞かせがたくさん出来ている人は、何か工夫はあるのか。
うちの場合は胎教の頃から読み聞かせているからか、えり好みをしない。同じものを何度も読まされる時もあるが、好きな音楽を聞きたいのだと思い、親はプレイヤーと割り切って読む。 田邉さん
(子供は)与えれば読むようになる。まだ早いなどと親側で判断せず、とにかく手当たり次第与えてみれば、自分で消化して読む。最初から与えっぱなしではなく、読み聞かせで始めるのが望ましい。 もっくん
YouTubeは次から次へと自動的に関連動画が出てくるが、コミュニケーションが双方向でない点が、絵本とは違うのかなと思っている。
歩さん
YouTubeは一緒に見るとか、子供が何を見ているか把握できない点が難しい。ただ、これらに触れることで、オンラインに慣れていく側面があるので、その点は良い。これからの時代、デジタルツールを自分で進んで操作できるようになるのは良いと思っている。
デジタルとアナログは対立軸なのか
うちは新聞や絵本をよく読んでいるため、ゲーム禁止の家庭だと思われていることが多いが、現実はそうではない。家族みんな、ゲームもよくやる。1つのゲーム機を家族全員でシェアしていると、時間的にゲーム依存にならない、という効用もある。
うちは1人1端末で会話しない時間もあるが、背中だけくっついて、個々が違うものをやっている時間も悪くないと思っている。言葉を交わさないことが、必ずしもコミュニケーションがないことではない。自分も幼少期、そのように兄弟と仲良く過ごしていた。
アナログツールを活用したり、楽しんでいる人が、ゲームを持ってないイメージ、すなわちデジタルとアナログが対立軸になっているのは何故か。しかもアナログが正当、というイメージはなんなのか。
ゲームを禁止する人は、やったことがない人に多い。やったことがない人が、ゲーム利用について(否の意見を)声を大にしていることは、時代に逆行しているのかと思う。世界中に人気があるものを知らないというのは、もったいないなと思うし、本質の理解にもつながらない。
子供の気持ちを理解するためにも、ゲームをやったことがない人は、一度触れてみたほうがいいのではないか。 田邉さん
ゲームをやっている人の中でも、ゲームの何が良いのか、というのをうまく自覚できていないし言語化できていない。そのために胸を張ってゲームが好きと言えず、どうしても新聞などのアナログツールより劣ったような印象を持ってしまう。
ゲーム自体が持つ性質やメリットを、もうちょっと分析して発信するべき。
ここまでのまとめ
ゲーム&デジタルツールと教育は、対立軸ではなく、使い方次第で有効活用ができる、というところでしょうか。
おそらく、ゲームがダメなものとか、怖いという印象を持っている年配の方の中には、ゲーム黎明期の、不健全なゲーセンのようなマイナスイメージがあったり
(↑昭和59年 警察白書より・・・思ったよりそれらしい画像が見つかって笑うw)
ゲームに対するイメージが、インベーダーみたいな単純で機械的なものにとどまっていたり(※インベーダーが悪いとは言っていませんよ、もちろん)、暴力的なイメージが先行していたり、ともかく
「基本的に益はないので、いかに子供からそういう不健全なものを遠ざけるか」
という思想、発想が根底にあるのかなあと感じているのですが、ゲームは誕生以降の40年で、とかく90年代以降においては、表現性、芸術性、様々な面で、すごい進化を遂げていまして、当初にはなかった側面もたくさん持っているのです。
そして、上記の議論にも少しある通り、このカルチャーに情緒等々を育まれた経験を持つ人も多いのです。
次回は、そんな部分の議論をご紹介したいと思います。