私も若い時、子供のいない時は、近いような考えを持っていたこともあります。
でも、いまはこんなふうに思います。
お金を出せば、グレードの良いもの、美味しいものに当たる可能性は高い。そんなのは当たり前じゃないですか。でも、食べ物を買うというのは、いろんな種類の嬉しさがあります。
出先でつい買うセブンコーヒー。青の贅沢、キリマンジャロブレンド。
うちはスペシャルティコーヒー専門店です。
このキリマンブレンドが美味しいかと言われたら、ガチコーヒー屋としてはノーコメントです。(笑)あったかい内はそう悪くないですけど。
でも、パッケージの作り方、ネーミング、店頭でハイッとコップを渡された時のウキウキ感、出先でサッと買えて、ドライブしながら飲める嬉しさ。100円チョイというコスパ。最高ですよ。
もしセブンの隣にスペシャルティーコーヒー店があって、400円で売っていたら、おそらく私はそちらを飲みますが、それでも100円キリマン、「青の贅沢」の価値を、私は認めます。
スペシャルティコーヒーと、コンビニコーヒーは、それぞれ、違うベクトルの嬉しさと価値があるんです。それを同列に語って優劣をはかるのは、野暮というほかありません。
金額と表面のクオリティだけでモノの価値をジャッジするのが、いかにお金に振り回されているか、という話です。モノにはいろんな価値があるんです。
モノの有難さを金額でしか計れないというのは、貧しいことです。そういうひとは、高いものを食べても、受け取れる有難さは少ないんじゃないかな。
体験は、いろんな創造の仕方があるなと思います。
ガストに家族で行く、サイゼをありがたく頂く。その時間の作り方、受け取り方次第で、見えるものが違うでしょう。
家で丁寧に作ったほうが、そりゃあジンワリいい味になりますが、子供の舌には、チェーン店のガツッとした味の方が受けたりしますし、それが悪いとも限りません。
いろんな喜びがあるのは、子供にとっても幸いでしょう。
喜びの基準を、お金とか外形だけではなく、自分の体験の本質から引き出せるのが、「幸せに生きる力」なのだと思います。
そんなわけで親としては、どんな食べ物でも、できるだけ、有難いね、嬉しいね、というニュアンスで子供達に手渡すことを、心がけています。
ちなみに、長男坊のいま一番好きな食べ物は、たぶんマクドナルドだと思います。(笑) 幸せに育ってくれよ。