今年の2月の終わりに、「0歳から考えるスマホ時代の子育て」という講演会があり、そこにゲスト講師で呼ばれて体験談を話したことがありまして、それとおおむね同じ内容のことでした。
タイトルはスマホだけど、私の話のメインは、私の子供時代のゲームとの付き合い方と、今の我が子の、その方面の教育方針みたいな部分です。
後日、youtube番組に編集してアップしてもらえるそうなので、そちらもぜひ紹介したいのですが😊 今日は、そこから考えた事を書きたいと思います。
簡潔に言うと、私は自分がゲーマーであったのと、ゲームにすごく感謝していて、肯定的な思いを持っているので、子供がそれらに触れることを悪いことだとは思っていない。
ということです。
ゲーム未体験、もしくはちょっとやって依存性だけ経験してわかった気になってる人は、その依存性を恐れて、ゲームを悪者にするんだけど
もし子供がゲームに飲み込まれてるとしたら
変な話、それってゲームのせいじゃないんですよ。生活のどこか違うところに、本当の原因があるの。
何か辛いことがあったり
逃げたいことがあったり
ストレスを抱えていたり
その嵐から身を守るために、ゲームに身を沈めている。沈めてるっていうと悪いみたいだけど、安全な洞穴に身をおいて、安心したり、パワーチャージしてるんですよ。
願わくば、親自身がその原因になっていなければいいな、とは思うんだけど、そういうケースもあるかもね。
ここ最近、親子のコミュニケーション不全が根っこにあると思われる痛ましい事件(親が子を殺したり、子が無差別殺人を起こしたり)が続いて、色々考えさせられるのですが
子供を管理することが目的になってたり
子供を、その子自身ではない何かにしようという、親のコントロールの意図があったり
子供を、自覚なく、所有物のように思い通りにしようとしてたり
思い通りにならない我が子を受け止めなかったり
……そんなことがあると
子供はソッポを向いたり
SOSとして、トラブルを起こします。
ゲーム依存は、そのパターンの一つかなと思います。
ちなみに「依存」じゃなくて、好きすぎてハマってるだけなのを、「依存だ!」と親眼鏡で勝手に騒ぎ立ててるケースもあると思います。それは本人をよく見ないとわかりません。
話は戻して。
ゲーム依存は、実は安全地帯で、その子を守っているのかもしれない。
別にゲームが素晴らしいとか、そういうことまで言うつもりまではないけれど
心を壊さないように守ってくれている存在であることもある
ゲームをやったことがないお母さんには、ぜひそれを伝えたいなと思います。
なんでそんなことがわかるのかというと
おそらく私がそうであったからです。
もっくん珈琲 ☆ つくばの自家焙煎珈琲店@mokkun_cafe
私の子供時代は、中学受験がものすごく陰を落としてて、非人道的な生活だったなと今でも当時をあまり肯定できないけど、そんな自分がグレずに生きてこられたのは、サブカルのおかげが大きいよ。大好きなものがあるっていうのは、何にしても生きる希望になるもの。
2019年12月21日 23:33
私は、子供時代の私を守ってくれたものに、すごく感謝しています。
だから、安易にゲームを悪者にするひとが、嫌いです。(笑)お前に何がわかんだよ、と子供時代の私が言うのです。
子供の非行
と大人が思うものは
もしかしたら、大半がそう言うやつなのかもしれません。
子供の非行は、責めて「更生」させるのではなく、むしろ反対方面からその子を包み込んであげる必要があるのだと
大人が知る必要があります。
借りてきたイメージの「正しい」子供を育てようとするのは、実は静かな虐待です。
その正しさの鋳型にはめ込まれようとした時の苦しみが、叫びとなって、問題行動になる。原因は子供ではなく、それをした親、まわりの大人です。
子育てに正解はないけれど
このように、やってはいけないことは確実にあるなと、思います。
子供を思い通りにしようとしない。
それが、親が、大人が、まずこころがけることかなと、思います。