今日は終始、小雨の降る中での寒い営業でした。天気予報が大外れで、予想は晴れの22度くらいのはずが、終始小雨の最高気温16度

初めから小雨だとわかっていたらやらないのですが、こういう日もありますね^^; まあしょうがないです。
ただ面白いのが、うちって、天気があんまり客入りに関係がない……(笑) FB投稿できない程度には忙しいという、有難い日でした。逆に晴れてても超ヒマな日もあります 笑




ここ最近、どういうわけか、初等教育に関して考えさせられることが多いです。
もともと興味があるから引き寄せるのか、学校の先生とも話すご縁がありますし、親御さんから相談を受けることもあります。
子供の教育のゴールはなんなのか、とか、幸せな大人、幸せな人生ってなんなのか、という定義について、そもそも大人たちが正解を持っていないと、教育って迷走するんだな〜と思います。
私は教育者ではないけど、「幸せな大人」「幸せな人生」については、思うことがたくさんあります。
幸せの形やツボというのは、人によって違いますが、ひとつ共通して言えるのは、「自分になること」がそれへの鍵なのかなと思います。
「自分になること」って、抽象的で難しいですが、逆にいえば、「他人になろうとしないこと」です。
本来出来もしないこと、やりたくもないことは、やらない。それは他人のやること。自分は本来自分にしかなれないので、そこを諦めるというか、そんな自分を肯定して共に生きることです。
頑張らないこととは違います。自分がこれと思うことは、死ぬほど頑張るわけです。そういうことは、頑張ると元気が出ます。
でも、そう思わないものを死ぬ気でやろうとするのは、自分への暴力ですし、ほんとに死にます。うつ病とかって、理由なく罹ることはなくて、大体の理由はここに集約されるように思います。
うつ自体は体の正常反応で、現状の生き方に対する警報が鳴ってるんですよね。
そういった、エネルギーの適正な注ぎどころ(やりたいこと)を健全に見極められるベースは、自己信頼とか、自己肯定、そして世界への信頼です。
初等教育の役割は、その辺の構築であって欲しい。



子供は、親の生き方や意識の影響を強く受けます。影響を受けるっていうよりは、親の眼鏡によって、そのように見えてしまう、という方が的確でしょうか。
親自身が、自分の在り方に不安や不満を持っていれば、子供の在り方もそのように見えます。
「何か手をかけてやらないとこの子はダメだ」という前提で子供を見ていると、ほんとにダメな子に見えますし、問題もたくさん持ち込んできて、自分の願い(潜在意識の思い)を叶えるように、自立をしない、できない子になっているように、自分の目には映ります。
それは、親の接し方が悪いとか、治すとかいう次元の話ではなく、親自身も、自分についてそういう前提(「何か自分を繕わないと、自分はダメだ」)を持っているので、自然とそういう接し方になるわけで、
自分の子育て、接し方を責めたり、小手先のテクニックでなんとか上手くコントロールとするのは本質ではなく、やるべきことは、親が自分自身の在り方に安心すること、それだけなのですよ。
そうすれば子供も、この世界は安全なんだ、という安心感を持てます。
※ここでいう安全は、内的な精神の中での安全を意味します。
安心感、安全感があれば、あとは勝手に花が咲きます。それは親のコントロール外で、彼、彼女自身の人生なの。
時折挫折することも含めて、大切な体験の学びなんですよ。挫折することを許すっていうのも、親の役割だと思うんですよね。
それは、自分の中のネガティヴ成分(悪いところや、上手くいかなかった体験)を許容することと、オーバーラップします。
親が癒されれば、子も癒されます。というか、自分も子供も、初めから別に傷ついてないっていう、すごく大事なことに気がつけます(笑)



なんて、語ってしまいました

満月前だからでしょうかね。歩いてたり、家事をしていたりすると、ワーーッとこういうことが思い浮かびます。
そろそろ、寝なきゃなあ。
こんなことに興味がある方、ぜひお話しに来てください
では、お休みなさい

