あのトンネル、どれくらい地域経済への貢献があるのか疑問だったけど、少なくとも我が家のレジャーにはとても役に立っている。(笑)
栃木の山は、茨城と少し植物相が違うような気がする。景色もなんか綺麗だなと思う(茨城が綺麗じゃないということはないけど、ともかく茨城と栃木で少し風景の雰囲気が違うのは確かだ)。
水星逆行が今日から始まったけど、年に3回くらいある水星逆行のときは、私は大抵、外からの情報をシャットアウトしたくなる。思考回路の整理のタイミングなのだろう。
外界に答えを求めるより、内側とか、パートナー(つまりよっちゃん)との対話で色々考えたいなと思いました。
数日前に、いままでの信念体系が大きく揺らいでいるようなことを書きましたが、どうやらそれが始まったのが半年前くらいだ、ということが、今日よっちゃんと話していて思った。
トートタロット講座の組み立てのため、生命の樹のシステムやトートの書を、よっちゃんと一緒に詳しく読み込み始めたのが影響していそうです。
閉じていた宇宙が開いてしまうと、完全に移行するまでは、結構混乱して辛いものだ。
この頃から、熱心に閲覧していたブログの大部分が感性に合わなくなり、読まなくなった。好きだったものが素直に読めなくなるというのは、辛いんですよ(笑)
でも、これは、きっと独り立ちの時なのでしょうね。
私、もっくんカフェとか自分のフィールド内では、嫌なことってほとんど起こらないんだ。これは自慢だと思ってる。
ここ数年、いやだな〜と思うことはいつも、自分の「場」以外のところで活動してしまったときに起こる。
子育て支援の仕事から手を引いたのは、これが理由だ。これは私の仕事(場)ではないんだなと思った。
他所や他人が悪いということではなくて、ただ、そこで自分の「場」を作れるのかどうか。それが大事なことだ。
ある人は会社とか、組織のポジションで自分の「場」を作ることができる。
でも私は、たぶん、自分が作ったものの中で「場」を作るタイプなのだろう。これを保持しながら仕事をするのだ。
嫌なことが起きないというのは、「場」が作れている証拠だと思う。たぶんなにかがあっても、「嫌なこと」という認識にはなっていないので、「嫌なことが起きない」と自分では思っているのでしょう。
外部情報をシャットアウトしたくなるのは、この自分の「場」の純化作業なんじゃないのかと思っています。
今まで取り入れていた信念体系で不要になったものを切り離し、より、自分自身の内側に忠実な場を作るということ。
変化変容を続けていくのが人生なので、きっとこれからも、こういう錬金術の繰り返しなのでしょう。
「嫌」という感情は決して気持ちのいいものではないし、人聞きもよくないのだけど、その感性がある自分を切り離さず、そのアンテナには自信をもって純化作業を淡々と進めていきたいと思う。