土曜日から、山登り→つくいち→通常営業2日→ウェンズディパーティーと、結構走り気味だったので、ちょうど良い小休止。来週からまた週末忙しいし、今のうちにのんびりしておこう。
今日は家を片付けていました。うちは、オフィス兼ということもあり、ちょっと油断するとすぐ散らかるし、不用品がたまる。
やることも10年で色々変遷してきたので、2年ぐらい前の何かを見ると、あれ、こんなことやってたんだっけ? みたいな資材が溢れてるのだった…

というわけで自宅からたまたま近いクリーンセンターでは常連になっております。なんか保健所行っても市役所行っても割と顔割れてるし、悪いこと出来ない……(笑)(笑)
それはそうと、これまたスピリチュアル寄りの話なんですが、よく、部屋が散らかってるとエネルギーが悪いとか、言うじゃない。
だから、オフィスや家は整理整頓、常に綺麗にしておくべきだ。そうすれば波動が上がり成功する! みたいな論がなんとなくあるんですよね。風水とかスピ系だけじゃなく、ビジネス精神論でもこんなこと、よく言われます。
最近わたし、これ疑ってるの。
うち子供2人いますよね。もう、家は毎日カオスで、どんなに綺麗に片付けても、これでもかと信じられないくらい散らかるんですよ。食卓も、最近は下の楓香チャンが怪獣になってて、みそ汁こぼすわ、茶碗ひっくり返すわ、もう戦争です。
たぶん大人だけなら、さすがにもうちょっと綺麗に暮らせると思う。
これは、小さな子供がいるお宅なら、大なり小なり経験することだと思います。前にも書いたけど、これは躾の問題も少しはあるけど、子供のやらかすことって、自然現象としてみたほうが気楽だと思うんですよ。
コントロール不能で、台風が発達してこちらに来ました、今回の被害はみそ汁です、みたいな感じで(笑)多少のヤンチャは不可避だから、あわれな大人に出来ることは、淡々と片付けることだけです。
で、話を戻すと、散らからないほうがいいんだとしたら、この、子供って一体なんなん?
そう言う意味ではほぼ汚す一方じゃないですか(笑)
綺麗に暮らすことが善なんだとしたら、いないほうが良いと言うことになるけど、それは明らかに違うじゃん?
ということは……
整理整頓されてる方が良いという話がおかしいんじゃね??
……と、片付けながらよっちゃんに言ったら、それはだらしない俺には大歓迎な話だが、何か極論だねと笑っていました。
まあ、それはそうで、無条件に散らかってて宜しいというつもりはないんだけど(笑)
面倒ごとはない方が良い
ネガティブなことはない方が良い
トラブルはない方が良い
っていう考えって、綺麗にやろうとするゆえに、全体のエネルギーのポテンシャルは低いんだと思う。
世の中は陰陽で出来ている。
陰を否定すると、陽のボリュームもでない。
子供がいると、片付ける用事がとても多くて、面倒だけど、そのぶん生活全体のエネルギーは高いのかもしれない。
お掃除の話も、実はエネルギーが高い状態にあるならば、いろんな平衡の取り方があるんじゃないかな。
たとえば、わたしの学生時代の先生で、もう退官された人だけれど、部屋が引くくらい片付いてない教授がいらっしゃいました(笑)でもこの先生、その分野では世界的な成果があった人です。
1日の1/3は探し物をしているらしいという面白おかしい噂が経つ、ユニークな先生でした

きっと、「部屋を綺麗にするココロ」は、エネルギーのポテンシャルを上げるための1条件でしかなくて、本当に大事なのは、掃除じたいよりは、「全体のエネルギーが高いところで平衡を保つ」というところなのだろう。
でもエネルギー低い人ほど、たぶん掃除自体に意識を固執して、そこに夢を見てしまう気がする。
いや掃除自体はやっぱり気持ちのいい行為だよ。綺麗になることはいいこと。
でも、それを超えて大事なことがありそうなのを、子供たち(と大学のあの先生)が教えてくれた。
散らかされないようにおもちゃを置かないのは、きっと、散らかるよりよくない。部屋中に散らばったおもちゃは、きっと何かを心に残すだろう、と信じて……
あわれな親は、やっぱり、せっせせっと、賽の河原のように片付け続ければよいのですね。(笑)
で、片付けられないときは、これが今のわたしの人生のエネルギーの高さだと思って、悦にはいればいいのだと結論づけました

子供がたくさん集まってきゃあきゃあしてると、やかましい部分もあるけど、何か元気がもらえるのは、そのエネルギーの高さゆえ。散らかるのは、エネルギーが高い証拠。
散らかってても、神様から見たらきっとうつくしいのだから、めげずに、片付けていこう

ちなみにこれは子供がいてもいなくても、同じことが言えると思う。散らかるのは生きてる証拠だ。汚い部屋を誇ったらいいと思う。ずっとそのままじゃ問題はあるだろうけど(笑)