自分自身の大切なものを、きちんと自分で自覚して、それを打ち出していく必要を感じた。
他人が気になるときは、自分から気がそれている時だ。自分に没頭していれば、他人が気にならない。せいぜい、自分の価値観を浮き彫りにしてくれる鏡でしかない。
私は、私のことをもっと考えようと思う。
そこで行き着いた今日の考えは、『今後、もっときちんとお弁当を作ってみよう』と『生活全般に対して、もっとクリエイティブでいたい』だった。
前はよく、近所のパン屋さんでお昼を買っていたところ、最近お昼におにぎり
は作るようになったのだけど、おかずを作るまでは余裕がなく。

無理やりとか、頑張る意識だとたぶん続かないので、息するように習慣になる方法とかを、考えようと思います。
最近よく考えているのが、わたし、お金を使うこと・使わないこと自体にはそんなに興味がなく、使った金額よりは、その時間がクリエイティブであったかどうかの方が大事みたいだ。
おにぎりは、パンを買うよりは節約になるけど、それが大事なのではなくて、「今日は自分たちのためにおにぎりを握ったぞ」という小さなこだわり、クリエイティビティ(創造的な行為)が、なんかお腹と気持ちを満たしてくれる感じがする。
その辺で適当に買うパンは、「とりあえず」感があって、そのものやお店自体はぜんぜん悪くないのだけど、お腹はいっぱいになっても、なんか凄く物足りない。私にとっては。意識の中のクリエイティブ成分が足りないからだろう。
外出レジャーも同じで、誰かが用意したものを消費する意識じゃなく、何かこれをやるぞ、と小さいながらもクリエイティブな感覚で何かに取り組むと、他人から見たら平々凡々でつまらなそうなことでも、1日がとても充実して感じるの。
私にとっては、食事、弁当、料理などが、それを彩る割合が高そうだ。(なにがクリエイティブかは、その人それぞれでしょう)
外食のすべてが「消費するスタイル」とは言えないけれど、どうでもいいメシ、とりあえずメシ、どこでもいいメシ、は、少なくとも私にとってクリエイティブではないし、豊かでもない。金額が安くても高くても、それは同じだ。
SNSでアップしていいねをいっぱいもらっても、全然よくない。そんなのどうでもいいね、なのだ(笑)問題は、自分がクリエイティブな時間を過ごしたか否かなのだから。
本気でそこに行きたくて、全力で楽しむ外食は、クリエイティブだろうと思う。私がご飯を作っていなくても、その時間がクリエイティブなのだ。
クリエイティブでいるには元気である必要があるけど、その元気をくれるのは、クリエイティブな時間だ。
この永久機関を、きっと私は、人間は皆持っている。
消費するだけのライフスタイルを送っていると、忘れてしまうけど。
と、いうわけで、ちょっと来月からお弁当づくりを頑張ってみたり、家の掃除やいろんな管理を、もっと丁寧にしてみようと思う。
楓ちゃんの後追いが激しすぎて、今でもほとんどパパ飯なんだけど、2人で協力して、クリエイティブな生活をして行きたいと思う。よっちゃんも同じことを感じているようだから。