歪んだ形のままで生きる | もっくん珈琲ブログ

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もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

寝ようとしたのだけど、どうしても書きたくなってスマホを手に取る。

人って、いろんな性格や生い立ちがあって、足りないものを探すかのように、いろいろ頑張って、何かを成し遂げてみたり、天職ってものを探したり、パートナーを探したり、自分の居場所を探す。

それは幸せの青い鳥の話のようなもので、ほんとは既に幸せだと気がつくことが、ゴールで、癒しなのだと、少し前まで思っていた。

でも、ここ半年くらいかな、Amazonの読み放題で読んだ心理系の本の中で

「自己肯定感は、1回下がってなんぼ」

という趣旨の文面を見つけてから、少しずつ、考えが変わってきた。

あ、自己肯定感って、別に下がってもいいんだわ(一時的なら) って、目からウロコだったの(笑)


そこから高じて、なんかね、不足感から何かをガムシャラに、気がすむまでやってみるのは、それはそれでいいんじゃないかな、と思ったの。

不足感から取り組むと、精神世界の仕組み上、得られるものはやっぱり不足感なんだけども、それはそれでいいんじゃない?って(笑)

自分には不足感が残っても、なにか、自分が思わぬ方向に、世の中に寄与してたりとか、後に続く人を勇気付けてたりとか、案外役に立ってたりするし。


まあ、ずーっと不足感、自己否定では、自分がかわいそうだし、それはイカンけど

自己肯定感がいま現在低いとして、
それを埋めるために
欠けてるピースを探すような衝動って

まるで恋をしているような
見えない何かに突き動かされるような
物凄い生のエネルギーのかたまり。

愛を探しているけど
実は、すでに自分が愛のかたまり(笑)

自己肯定できなくて
乾けば乾くほど
ネガティブになればなるほど
わたしは愛そのものになる。

それこそが、生きてることなんじゃないのかな。


だから、歪んだ形を、自分の中にある闇を、無理くりポジティブに考える必要は、ないのかも。

歪んだ形を否定して、克服して生きるというのもまたいいけど

歪んだ形のままで
幸せになってみてもいいんじゃないかな。

歪んでいると幸せになれないっていうのも
一種の呪い、思い込みだから。


じゃあなんで私、ヒーラーやってるのかって
わからない、私の中の歪んだ形が、その衝動を呼ぶんだよ(笑)

やめろと言われても、間違ってると言われても、これはやめられないな。

できることは、その衝動に逆らうことを止めることだけだ。(つまり、やる、ということ)

これが私の、ライフワークなのだきっと。


不足感が出てきたら、ああ また生きられると思えばいい。

欠けてるピースを探して
人生に恋しながら
死ぬまでワクワクしていたい。

そんな風に生きられたら

自己否定の不足感は

最高の自己肯定になるラブ