タロットカードの体系を説明しているこの図…見ていると、いろんな考えが整理されて、実に面白いです。
トートタロットはこれの理解がマストなので、教えるようになってからは特に、四六時中この体系で物事を考えるようになっています。
詳しい話は省くとして、この図の要点の一つは、男性性と女性性のバランスです。男性性は能動性、女性性は受動性ととらえます。物事はこの2つのバランスで出来上がります。(男が男性性のみ、女が女性性のみ、ということはなく、男女どちらも、男性性・女性性を保持しています。陰陽と言い換えた方がわかりやすいかも)
このバランス論で、
育児を語ると……
男性性的アプローチ:
子供の能力を引き出すように働きかけること(能動)
女性性的アプローチ:
子供のありのままを受け止めること(受動)
これのバランスが大事なんだな!と感じます。

今まで、私は子供に対してはとかく、女性性的アプローチ(ありのままを受け止める)がマストで大事だと思っていました。
だから、子供達にはあんまり最低限以上のしつけはせず、過剰な早期教育もせず、習い事もさせず…ただ、日々を共に過ごし、子供の思いやありのままに寄りそおうと思っていた。
もちろんその想いには変わりないのですが、保育園に行って、みるみるお行儀がよくなり(笑)力を引き出される我が子らを見て、色々思うところがありました。
「ありのままを受け止める」は、一歩間違えると、可能性をつぶすことでもあるんだなということ。
たとえば、下のふうちゃんは1歳5ヶ月になるけれど、保育園の先生によれば、1歳になったあたりで既に、クラスメイトの顔と名前が全部わかっていて、ちゃんと目で追っているんだって。
普通に考えると、1歳なんてそんなにわかってなくて自動モードで動いてるよね〜という感覚になる。
でも、園の先生は、ふうちゃんの力を知っている。そして、伸ばすような働きかけを、じっくりとしてくれる。
私が受け止めていると思っていた「ありのまま」は、ある意味、子供を見くびった姿なんだよなあ。
(この辺は、上の龍ちゃんが赤ちゃんの時に学んだベビーサインでも、同じことを感じたことがある。赤ん坊は、私たちが思っているより、ずっと沢山のことを理解しているし、伝える意思もある)
だからって子供達に対する接し方を、明日からスパルタにするかっていうと、そういうんじゃないです。変わらないけど、今より少し、前に進んだ姿も、視野に入れようと思う。
「今その子にないものを仕込む」っていうスタイルになると、現状否定だし、それは過剰な習い事と同じで、親のエゴの投影だと思うのね。そのさじ加減は、ギリギリの紙一重だ。

このままでも、出来なくても、問題はないの。
性格が多少ねじれてようが、勉強が出来なかろうが、運動が出来なかろうが、その形のまま幸せになることは出来るから。
(わたしは、お勉強はともかく、性格が捻れて、身体能力は色々低いけど 、それでも幸せだからね 笑)
でも、引き出し方をちょっと考えたり、先生から学んだりして、子供の可能性を、盛るんじゃなくて信じたい。
そして見守りたい。この子たちが、どういう形をもって花開き、生きていくのかを。
きっと、子供たちは、私が持っていないかもしれない正解、やり方で、生きていく。
私が知っている正解は、私の人生での正解。
私のお腹から生まれたけど、その辺は立派な他人として尊重したいと思う。この子たちは、私の持ち物ではなくて、神様からの預かりものなのだって、思ってるの。

「受け止める」という陰の力。
「引き出す」という陽の力。
自分の中に受け止める像の波動が、そのまま、子供達への働きかけ(引き出し)の波動になる。
受け止める優しさは、過剰に働くと堕落になる。
働きかけの厳しさは、過剰に働くと否定になる。
どんな接し方でも、愛に基づく、悪気のないものだけど、より良い育児って、その愛のレベルを、研鑽することなんだなあと、思う。
そして、その研鑽とは
自分自身が癒され、愛で満たされ、安心した上で、子供の真実を見る、ということ。そうしたら、自分の鏡である子供は、勝手に輝き出す。正確に言えば、もともと輝いていたことに、自分が気が付ける。
育児の悩みは、タロット案件の代表格のひとつなんですが
今日書いたことで、9割5分片付きます。理論上は。(笑)
とか言いつつ私も、これからそれなりに悩むのでしょうが、こうやってバランスを考えて、ここから10年か15年くらいの育児期を、楽しみたいと思っています
