大学生活の後半のこと。
あのころは、色々すべてがうまくいっておらず、ひとりぼっちで寂しく、毎日のように夜中に大学にギターを弾きにいっていた。
(そういうとかっこいいけど、誰かが寂しい自分を救いにきてくれるのを、中2病的にずっと待っていたのです 笑)
4年生の夏至の日(ちょうど今頃だな)は、大学で夜を明かして、夏至ってこんなに早く日が昇るんだと、びっくりしたのを覚えている。
いつからか夜は警備員さんに締め出されるようになってしまったけど、昔は使いたい放題のパラダイスだったんですよねぇ。(締め出される方が正しいのは理解するけど・つまんなくなったよなー)
鬱すぎて、心療内科に行こうと思う、と憂鬱の原因のひとつであった当時の研究室の先生に相談したところ
それはやめなさい、なんの解決にもならないから
と止められて、結局病院には行かなかったのだけど、先生には本当に感謝してる。(その後結婚式にも来てもらうくらい、長い付き合いになった)
ただ、その病認定のない憂鬱とは、卒業をまたいで長く付き合うことになる。
表面上は2年くらいで元気になったけど、いま写真見ると顔が死んでる(笑)いまより老けてるし、体重も15キロくらい太ってた。
憂鬱が雪だるまのように作り出した(引き寄せた)色々な現実に遭いながら、傷つきながら、、、
まあ、よく生きてきました。よく頑張りました。
あんたの人生なんか大したことないと、元気付ける意味で人に言っていただいたことがありますが
そんなことないです。それか、私は人より1000倍くらい傷つきやすいのでしょう。
あそこから、いくらでも不幸になれたなぁ
って今でも思うの。
それぐらい拗ねてたし
自殺も考えたし
世界の全部を呪っていたし
でも、幸せになることへの執着もたぶん人より強かったんだよなあ。執着というか確信というか。
スピ系スキル、タロットなどはその辺でもがいていた頃の産物なのですよね。
おかげで今は文句なしに幸せです

何が変わったかって、自分を大切にしてる。だからいま幸せなの。
夫がいるから、子供がいるから、夢を叶えてるから
っていう理由ではない。それは二次的なやつ。
不思議なもので、
家族がいても、夢叶えてても
人間っていくらでも不幸になれるんだよね(笑)
というのも
不幸だった時期もあるのですよ

観念的な言い方になるけど
どんなことがあっても、私は私を守る、私をつらぬく、どんなことがあっても、私は幸せになるんだから
って決めたの。決めただけですよ。
そしたらほんと幸せね。
幸せって感じられるかは、自分がどんな姿勢で日々に臨んでるかの、その傾き(数学的表現 笑)しだいなのね。
そこから実際に起こったことや、具体的な状況というのは、副産物であって、幸せかどうかには、本質的には関係ないみたい。
だから、自分の持っているものを理由に幸せな理由を探して幸せだと思い込もうとする、っていうのは、かえって逆効果なんだと思う。それ、不幸なひとのメンタルだわ。
だって、「そもそも何もなくても幸せ」なのが真実なのに、幸せな理由を探すのって、何かがないと自分は幸せではない、ってすり込むようなものたから。
きっと、上記のような姿勢(幸せへの姿勢)でいると、次の瞬間瞬間の行動が変わってくる。行動が変わって思考も変わって、世界を見るメガネが変わる。
それが、幸せな世界(『そもそも何もなくても幸せ』であることに気がつく世界)への鍵だ。
その世界にい続けるには、時には、言いにくいことを言ったり、あれこんなことしちゃって大丈夫かな~っていう怖いことをしなきゃいけないこともあるけど、
そうやって自分を優先させて、本音を言って自分を開示する方が、自分にも、そして結果的に周りにも幸せなのだ。
……
夜中ということもあり、ツイッターのようにどわーっとまとまりなく書いてみました。
最初の入り口おぼえてない(笑)
でもまあ
オラクル(神託)だと思って
このままアップしてみますね。