保育園で取り入れている教育法のお話で、とっても面白く、感銘を受けました。
そもそも、自発性と自信をベースに子供を育てていく、そういった発想がいいな、と思ってこの園にしたのですが…
『自発性のない知識の詰め込みは、何にもならない』
というお話を聴き、本当にそうだなあとしみじみ思うとともに、自分の子供時代~思春期を思い返して、ちょっと悲しい気持ちになりました。
それ、私のことだから(苦笑)
勉強に関して。
私は、『人にほめられるため』以外のことがモチベーションになったことが、ほぼ、ない。
単純に言えば、勉強してたのは、ぜんぶ人に褒められるためです。頭いいね、すごいねと言われるため。
知識に対する能動的な自発性ゼロ(笑)そういう意味ではかなり残念な育ち方をした。
幸い(不幸にも)成績が良かったので、その虚しさに気がつくのに、随分時間がかかってしまいました。
正確には、ずっと虚しかったけど、それがなんなのかよくわからなかった。
今日、おいしいものを食べていて、ふと思ったんです。(自分で作ったポークソテーです 笑)
なんてうまいんだ、うますぎる、この塩加減、味付け、うむうむよく出来た 素晴らしい、今日のこの感じ、覚えておこう
↑食べてる間に考えていたこと
あ、すごい、私いま、おいしいことしか考えてないわ

誰かにほめてもらおうとか、一切ない。自己完結、自己満足(笑)
今日はたまたま自分で作ったものだけど、他人の作ったおいしいものを食べてるときも、思考の方向性は同じ。
美味いと思うことが目的で、満足で、完結してる。すごくエネルギー高いです(笑)
ああ、私の意識がいちばん綺麗なのは、ものを食べてるときなんだ……
誰に頼まれなくても、おいしいものが食べたい、作りたい。
そして、誰に頼まれなくても、料理の話、知識をあつめたい……(そして勝手に集まる)
学校や勉強に関して
私はこんなに綺麗な意識を持ったことはない。
ぜんぶぜんぶ
人に褒められるためだった。
人に評価されるためだった……
裏を返せば、そうしないと自分は空っぽだと、思っていた…(潜在意識のレベルだけど)
本質的には、自分は駄目な人、と自分で思ってるので、実はいくら褒められても虚しい……
これはすごく悲しいことで
こうやって積み重ねた、能動性のない行動パターン(他人に褒められるため、評価されるために動く)は、
自己否定を塗り固めていく
いい人、すごい人になることで、自分の虚しさを厚い壁で見えなくしていく
私は、大人になって、物を勝手においしがる才能を見つけたり
誰にも頼まれない魔術の勉強に手を出したりすることで
すこし、壁に穴が空いた。
(評価されないことを、誰にも頼まれずに、勝手にやる=自発的にやってるのですね)
でも、今でも油断すると褒められたい行動をとる。パターンが身につきすぎて途中まで気がつけない。
いい人じゃないくせに、いい人装う時間が長すぎた(笑)
龍さんと、これから生まれてくるお嬢さんには、同じ道を歩んでほしくないな。
別に
何したって、
たとえ人に嫌われたって
君たちは、私は、自由。
(そしてこれが分かってる人間は、実は人に嫌われない)
私は、子供たちの芽と、自分の芽……
34にもなってもいまだ大人になりきれない自分の芽を…
大切に育てたい。
子供を育てているようで、実は自分の中のこども(インナーチャイルド)を振り返って、育て直してるような感じ。
これは、私に与えられた愛なんですね。
子供たちは、きっと私を救いに来てくれたんだね。
ということを実感する、日々なのでした。