幼少の記憶その2 ~盲腸~ | もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

夢に続き、幼少の記憶その2です。

6歳の秋、盲腸になりまして、緊急手術。そのため私の体にはモーチョーがありません。あんまり病気しない子供でしたが、唯一の大病でした。

盲腸によって痛かった記憶じたいはあまり残っていないのですが、手術前の物々しさと、大人のテンパリ具合が恐ろしかったのと、手術後の痛みはよく覚えているのです。


朝、お腹が痛く、痛さのあまり吐く。(という文字記憶です)

祖母に連れられ、かかりつけの近所の小児科にかかり、これはちょっとおかしいということで、近くの大学病院へ紹介状を書いてもらいました。

大学病院での診察で、1日様子を見ましょう。といって入院することに。でもそのちょっとあとに、白血球の数値が激UPして、緊急手術になっちゃったんですね。

『白血球が25000もある!手術します!!』

と先生が言いました。言葉はあまり覚えてないけど、数字は正確に覚えています。戦闘力みたいなノリで、数字が大きいのが怖かったんですよね。

その後、小学生のうちに自分で調べ、バイキンが多くなると白血球が多くなる、つまり白血球が多いとバイキンが多いということで、手術になったのであろう、と理解しました。(小利口な子供時代w)


子供だという理由でしょうか? 全身麻酔になりまして、麻酔を打つときにいちばん怖かったのは、『2度と目が覚めなかったらどうしよう』 怖くて泣きました。意外と子供が考えることってシュールなんですよ・・・。

で、ドラマそのまんまの手術室に入っていって、マスクした人たちがいっぱいいて、吸入マスクを渡されたと思ったら、そこで唐突に意識がブラックアウト。麻酔ってウトウトじゃなく、唐突に効くんですね。

そして、切れるときも唐突です。

何の前触れもなく、パチッ!と目を覚ましました。病室に戻っていて、時計を見ると午前1時。

痛い・・・というか、お腹に力が入りません。痛くて力を入れられないんです。一生懸命、腕の力を使って、手すりに捕まって、からだを起こしてみました。

様子を見に来た看護婦さんが、暗闇の中、なぜか起きている私にギョッとしていました(笑)


その後、2週間位の入院生活。約30年前の話で、今は手術のやり方自体も変わって、入院期間も短いようですが・・・(そもそも盲腸じたいあんまり切らないとも聞く)

子供の2週間は、永遠のように長かったです。それでも、小児病棟のほかの子供を見ると、『自分の病気は一時的なものであって、ここの他の子に比べたら、健康なんだな・・・』ということが6歳児ながらわかりました。

今でも、右のお腹に、小指一本ぶんくらいの傷が残っています。これぽっち切っただけであんなに動けないのだから、侍さんの刀傷とかやばい、と子供心にずっと思っていました。


それと、話は少し飛びますが、私の母は、帝王切開で私と弟を産んでいます。帝王切開って、人によるみたいだけど、母の傷は、縦にパックリ。赤ずきんちゃんの狼かよ!みたいな傷跡に、将来の出産を思うと卒倒しそうになる子供時代の自分がいました。それも、盲腸手術の経験ゆえです。

私は普通分娩でしたが、帝王切開のひとも、5日位で退院と聞いているので、さぞ大変だろうなと思います。。。自分のからだが大変なだけじゃなく、赤ちゃんのお世話つきだしね

『帝王切開は楽』といって、普通分娩を誇ったりする女性や、誤解する男性もいるみたいですが(少数派だと思いたいですが)、いやいや絶対そんなことないでしょう・・・

文字通り、どちらも『お腹を痛める』んですね・・・。


半年くらいまえに、緊急帝王切開で赤ちゃんを産んだ友人がいて、覚悟が決まらず怖くて手術の時にずっと泣いていた、と言っていました。子供の頃の自分と、ちょっとかぶりました。

今はLINEで時々、用事なくとも子供の顔を送ってきて、幸せそうだけど。。。

普通に妊娠・出産をサラッとこなしてるように、周りにはみえるだろうけど、お母さんはみんな大変だよなあ。


そんなわけで、微妙にまとまりませんが・・・

自分が痛みを知ってると、ひとの痛みがよくわかる、ということかな。痛みを知ることの良い点はそこですね。

盲腸とひきかえに残った記憶が、思わぬところに、思いを運んだ。

というお話でした。