↑の続きです。
入学式の前日、きゅーは新しい学校をとても楽しみにしていました。
翌日のことが不安というよりも、楽しみに思う気持ちが勝っていてまるで遠足前日のような顔をしていました。
それを見て私も嬉しく思ったことを覚えています。
だからこそ、入学式を終えてから日々暗くなっていく表情や、夜涙する姿を見てすごく切なかったのです。
新しい生活を楽しみにしていた気持ちが、ぺしゃんこになってつぶれてしまったのかと思うと、たまらなかった。
そんなきゅーを見て、慌てて病院を探して予約。
4月開催の保護者会で「まだ4月なのだから、少し様子を見ても…」と思う気持ちはあったものの、いったん状況だけでも伝えておこう、と担任の先生に相談するなどしました。先生は過保護な親だな、と思われただろうと思いますが、なんと思われようとかまわないという気持ちでした。
そこから約半年。
色々なことがあり、色々あったようであまり状況は変わってはいないのです。
だから、ずーっと思っていました。
心のなかで、ずっとささくれのように嫌な感じに引っかかって、ついつい事あるごとに思ってしまうのです。
中高一貫に入れてしまって良かったのだろうか。
小学校よりもみんな精神的にも大人だけれど、思春期という難しい時期。
その時期を過ごす6年間です。
子どもから大人へ向かう、とてもとても大事な期間です。
その6年という時間。
良かれと思って少人数の学校を選びましたが、人数が少ないとなると余計に、一度ついてしまった「ボッチ」とか「暗い子」とか「変わった子」というイメージが、しっかりと共有され固定化されてしまう気がします。
逃げ場もないし、心機一転も無理。
高校受験があるならば、中学がきつくても高校では楽しく過ごせるというパターンも可能ですが、中高一貫ではそうもいかないですよね…。
まぁ当然その逆も起こりうるわけではありますが…。一発逆転のチャンスはある。
いわゆる高校デビューです(古い)??
もしも私立へ行かず公立中学にすすんでいたなら、仲の良い友達はみな違う学校へ行ってしまっているものの、そうであっても小学校からの顔見知りは多くまっさらな人間関係ではなかった。
だとすると、入学後あそこまで深刻なボッチになることはなかったのではないかな、と思います。
友達がいる小学校→知り合いのいる中学→知り合いはほぼいない高校
みたいなホップステップ的な流れをふんだほうが良かったのでは、と、そんなふうにも思ってしまっていました。
でもね、分かってもいるのです。
選ばなかったほうの道は明るく見えることも。もしもの世界って今よりも幸せな世界線ですよね。
実際はもっと厳しいことになってしまう可能性も十分にあります。
それも分かってはいるし、そこを考えても今更仕方がないことも分かっています。
でも、どうしても私の選択が正しかったのか、考えずにはいられないのです。
この答えはまだ出ないし、もしもの世界へは行けないわけで、単純に比べることは出来ない。
だから今の現実を受け止めて、少しでも良いほうに向かっていければと、自分のじめつく思考を軌道修正する日々です。
まぁ、ただ中高一貫で良かったな、と思うことも現時点でも結構あって…。
長くなったので、それは次回で書きたいと思います。