きゅーが中学に入学してからずーーーーーーっと頭のすみっこにあるもの。
それは、コミュニケーション能力が著しく低いきゅーを6年間環境が変わらない中高一貫に入れて良かったのか、ということです。
振り返って考えると
もともと、自己肯定感のかなり低い息子に「勉強」という武器を手に入れてほしくて始めた受験勉強でした。
とはいえ、塾ではあまり出来るほうではなかったし友達が優秀で運動も勉強もかなわないという現実と向き合うことになりました。さらに、テストでクラス分け席順分けがある塾での日々は、逆に彼の自己肯定感を下げている予感は非常にありました。
ダメ押しで、親からの声掛けも振り返ると最悪だったな、と思うようなことをかなり言っています。
思うように上がらない成績、親からのヒドイ言葉に、どれだけ彼が傷ついたのか、と想像するとぞっとします。
否が応でも突き付けられる偏差値や合格判定。
自己肯定感を高められるような声かけどころか、逆効果なことしか言わない親。
多くの友人は受験をする。自分が受験をするために塾に通っていることも知られている、という状況。
と、なるとですよ?
受験リタイアしたら地獄
リタイアしなくても、全落ちしたら地獄
と、私は思いこんだわけです。
(これ、うちのこの場合です。誤解を生みそうな表現ですが…💦
実際に全落ちすることが地獄とか言ってるのではなくて、うちのきゅーが発達障がいの特性もあってちょっと考え方や物事の捉え方が独特なうえ、自己肯定感が低いので、もしきゅーがそうなったら復活出来ないように思ったということです。)
だから、「嫌だったら受験することをやめても良い」と口で言いながら(実際に思ってもいましたが)
その選択は彼にとって良い結果にはならないだろうと思ってもいました。
走り始めてしまった受験というレース。
そして、そのレースを走れと言ったのは、私です。
その責任がずっしり重く、べったりとまとわりついている感覚。
これで失敗したら一生消えない傷を負わせてしまう気がする、という焦り。
とにかく合格させたかった。
「合格する」という「成功体験」で受験を終えたかったのです。
今思うとあの頃は必死すぎて我ながら引きます。
いえ、当時から自分のヤバさは十分自覚はしていましたが…。
だって夫に内緒でこっそり個別に通わせたり、国語のオンラインマンツーマン指導を受けさせたり…
やばいでしょう。
だけど、とにかくここまで来てしまったら、なんとしてでも「合格」させなくては…!!と思っていて、
途中から、目的がそちらに大きく傾いていったように思うのです。
だから正直な話、入学後のイメージはあまり出来ていなかったのです。
もちろん学校選びの際には、きゅーの希望はもちろん、彼が過ごしやすい学校だろうと思う学校を選んでいましたが、もっと細かいレベルでの日常生活としての学校というところまできちんとイメージが出来ていなかった。
まぁ、彼のコミュニケーション能力や対人への緊張が想定以上だったということもあります。
私自身、小学校の頃にきゅーのイメージで想定してしまっており
全く知らない人たちの間にポンっと一人入れられた時に彼がどうなるか、ということの想像が全く出来ていなかったのです。
言っても、転校生みたいに顔見知りの集団に一人で突っ込んでいくわけではなく、ほぼみんな同じように知り合いがいない状況だから、まぁ普通に話が出来るくらいの友達は出来るだろうって安易に思っていたのです。
だから、入学してからしばらくは夜ベッドでめそめそする姿を見て、
もしかして私はとんでもない選択間違いをしでかしたのかも?と思ったのです。
つづきます