きゅーは、いつも何かが起きた時に
自分ではない何かのせいだと言い張ります。
それがおかしかった時、当然私はそれを指摘します。
そうなると主張と主張のぶつかり合いのような感じになるのですが、それでも自分の話が相手に伝わっていると思えればそれでも良いのです。
でも、きゅーと話をしていると、以前にもブログで書きましたが、まるできゅーと私の認識する世界は交わっていない感覚になるのです。
同じ空間にいるのに違うレイヤーに互いがそれぞれ存在するような、コミュニケーションの成り立たなさを感じます。
よく言われる「言葉のキャッチボール」が出来ない、と感じるのです。
相手の言葉を受け止めず、すべてをスルーし自分の言いたいことだけを投げつけてくる感じ。
問答のなか、きゅーは自分の言い分がどうやらおかしいのかもしれないと、納得できないながらも思い始めると今度は、「この道を通るんじゃなかった」とか「その場所へ行くんじゃなかった」など、そもそも言っても仕方のないことを言い出したりします。
とにかく、「自分が悪かった」とは認めたくないのです。
この性格が、人とのコミュニケーションを難しくする一因になっているだろうな、困ったな…
なんて思いながらamazonを徘徊していたら、この本を見つけました。
二番目の悪者も良いなと思いましたが、近所の本屋には大型本は売り切れでした。
少しペラペラめくってみたら、漢字にふりがながなかったので、より読みやすい「わたしのせいじゃない」にしました。
教室で泣いている男の子の泣いている原因について、クラスメイトが一言づつコメントしていくのが小学生のわが子たちには想像しやすいかな、と思ったのもあります。
さきほど、じっくり読みました。
胸に重く響く本でした。
おそらく子供にはそこまでの重みはなく読んでしまうでしょうが、子供たちにもしっかりと読ませたいと思います。
きゅーも、この本を見て何かを感じてくれれば良いな、と思います。