多治見時計大会が来週の火曜日にあって、月曜日は例の掛川に
泊まりますという訳で、ドーミーインを押さえて晩御飯は例の鰻屋
さんでうな重だ。「2段重」はもう食べれる年齢じゃないから「松」で。
多治見が終わったらそのまんま南紀へまた来ます。。
有難いというか恐縮なんだけどワシの都合日程で開催日が決め
られているという、とんでもない状況でございます。
その分は貢献しなきゃと思い、売り買い交錯しつつ当て馬に徹する
という良い意味での「賑やかし」にはなっているつもりで、万が一
吊り上げに失敗して自分に落ちても投げる場所があるしね(笑)
そういう「場を読む」空気が大事だと思うんですけど、完全に自分
だけの人は所詮そこ止まりなので、例の一件からその人の事は
どうなろうと想わない様にする事としました。
何も想われてないんだから想う必要もないよね。要は利害関係
だけの付き合いでさ。それ以外では顔も合わせたくない。
自分自身が変な処に気を使い過ぎる癖があるので疲れるだけ。
色んなパターンはあるけど商い(付き合い)は常に相手を20から
25%くらい想うって行う事で実はリスク回避になっていると思って
いるのですが「常に自分100%人間」は何かあった時に誰も手を
差し伸べてくれないでしょう。
でも逆に恩着せがましいのも鼻につくし要はバランス感覚だと
思うんですけど、それは考えなくても自然と染みついてるものだと
思うけどね。で、それは「量」とかじゃないから最初から「欠落」して
いる訳だ。それは育ちだかなんだか解らないですけど。
ウチの山の神はワシの問題の全てを「更年期障害」と「幼児教育」で
片付けるのでそれもどうだかとは思いますが(笑)