どうもお久しぶりです。モキ・モキ蔵です(略してモキティン)
最近、ブログどころかSNS全般的に興味も意欲もなくなっていたBBAです。
なぜかと言うと、これまでずっと格闘していた『エゴ』と思い込んでいた『私』が、
実は計り知れない程自分を支配していた事に気づき、
面倒くせーからとりあえず『エゴ』を一回排除してやろ。
と意味のわからん事を思いつき、
私が『これが私』と思い込んでいた部分を辞めてみていたのである。
そこにいたったのは、ネドじゅんさんと言う方の話をナオキマンの動画で見た事がきっかけであった。
気になる方はこちら↓
ここに↑登場しているネドじゅんさんがご自身のチャンネルで紹介していたのが、
エレベーターの呼吸である。
毎日やっていたわけではないけど、とりあえず3ヶ月くらいエレベーターの呼吸や、今ここ意識をやってみた。
未だ一瞥体験的なのはしていないけど、やりはじめて1ヶ月くらい経った時に、
私が思い込んでた『私のエゴ』と、
それを捉えていた『私』は同じで
『私は○○だ』
『私はこういうタイプの人間だ』
『私はこれが得意であれが苦手だ』
『私はこれが好きであれが嫌いだ』
と思っていたこの『私』こそが右脳さん(間違えた。左脳さんだ)でありエゴだと言う事に気が付き衝撃を受けたのである。
つまり、『私』が目標にしていた『自由に生きる』は全然自由じゃなく、
『私』が『私』と言う鳥かごの中に『私』を閉じ込めていたのである。
イメージは↑こんな感じ??
あっ、先に言っておくが、これが悪いと言いたい訳ではない。
たぶん、『普通』に『普通』の世間一般社会で生きていたら、こういう感覚は『普通』なわけであるw
ので何かを否定しているわけでも、誰かを否定したいわけでもないのであしからず。
しかしながら、この『私』が作り上げていた『私像』こそが『私』を縛り、『私の不自由』を作りだしていたのだと気づいたので、
この鳥かごをぶっ壊してみる事にしたのだwww
そこからの流れを書くと長くなりすぎるので割愛するが、
とりあえず、言葉で表現するとノンデュアリティ的なところまでたどり着き、
(もう、言葉で表現できない感覚までいったw)
「なるほど!!『私』が『一般社会』も『スピリチュアルな世界』もなんら変わりなく結局同じやんか!」
と、前々から感じていた事がようやく腑に落ちたのである。
そこから、『自分』をコントロールする事を辞め、
目の前に湧き上がってくる事や、今起きてる事だけに集中し、
日々を送っていたら、SNSもただ自分につけていた飾りモノだったんだなぁと言う感覚が出てきて、
興味がなくなってしまったと言う訳である。
しかしながら、私はまだワンネスやら一瞥体験と呼ばれているアレには至っていない。
↑この、エゴ的には散らかりまくった空間がキラキラ輝きだして、
『これは完璧なんだ!』と言うそれを味わいたいのに全然味わえないので、結局しゃーなし自分で片付けたwww
しかしながら、片付けたつもりなのに、全然片付いた気分にならないのは、
『私』がまだそこでジャッジしているからであるwww
つまり、一瞥的な体験をしようとする行為すら自分をコントロールしようとしているわけで、
無理にしようとする必要はない事であり、なる時になればなるし、ただ今の自分を生きてればいいのである。
(エレベーターの呼吸は楽しいから続けるけど…)
さて、こんな感じで、意味のわからない事をやってるBBAではあるが、
この右脳優位(右脳じゃなくてエゴは左脳だった🤣)であるエゴの支配を和らげてみて、
すごく変化があった事が1つある。
それがこちら
スプラトゥーン3は相変わらずやっているのだけども、
ついにスイッチのプロコントローラーが2つとも、
操作してないのに勝手にキャラが動くと言う現象を生じてしまったのだ。
プロコンはそこそこ高いし3個目を買うのはためらう。ので、修理するしかない。
しかしながらこれまで私が信じていた『私』は、こんなメカニックな修理など自分ではできない。
が丁度、『私が作り上げた私像』を撤去している最中だったので、
『私はメカニックな修理なんか自分でできない』と言う『私』がいなくなっていて
自分で修理なんかしはじめたのだwww
と、まぁ、だいぶこの左脳が思い込んでいた『私』を解放してみると、
すんごい『私』が『私』に支配されていた事にも気づいたし、
この世界と捉えている場所に存在する事がむちゃくちゃ楽になった。
そんな感じで究極の意味のわからない事をやっているBBAはそれを突然ブログに書きたくなったので書いているのだが、
もしかすると『私』と思い込んでいる意識が『自分の全て』だと信じている人が今日のブログを読むと、
その人の『私』が不快に思ったり、気持ち悪く感じたり、このブログの内容を『良い、悪い』で評価したくなる人もいるかもしれないが、それも全てオッケーなのだ。
私もまだ『私』と共に存在している。
この『私』が薄れてくると、
前髪を切っている最中に、家のサーキュレーターの修理屋さんが予定より1時間早く来たとしても、
焦る事なく、前髪ガタガタで顔中髪の毛だらけでも対応できると言う利点もあるw
と言う事をただ書きたかったのである。
今日も読んでくれてありがとう♪