ミネソタの田舎に住む変なBBAの話

ミネソタの田舎に住む変なBBAの話

ひきこもりBBAがアメリカの田舎ならではの笑える出来事や、モノづくり、家庭菜園などについて書いてます。

アメリカのストロー付きの水筒、『この部分毎回洗うん面倒くさいねん。』ってやつ、多い。

 

モキティンです。

 

 

今日も無意識で自分を縛っていたモノに気づきがあったのでブログを書きたい。

 

まぁ、最近はモノづくりもろくにせず、人から批判や怒られる事も気にしていたかったため、干物化したBBAになっていた訳で、ろくな話のネタもないのが正直なところであるが、ただ、生きているだけでも気づきと言うものはあるのだ。

 

その気づきと言うのは今朝、春ごろ植えていたコットンをついに収穫した時に沸き上がった事だった。

 

とりあえず写真をどうぞ。

 

image

 

image

 

image

 

去年くらいから、コットンを育ててみたくてミネソタでも育つのか?と思いながら挑戦してみたのであったが、

 

小学生か中学生の頃、綿と言えばインド。と習った記憶があり

(間違っていたらすみません)

ミネソタはインドとは真逆であろう気候なため

(これも間違っていたらすみません。いつもだいたい雰囲気でとらえているのでw)

私的にはだいぶ冒険だったのだが今年は6月の3週間は日本にいたため、庭はだいぶ放置だったのにもかかわらずちゃんとフワフワのコットンができたのである。

 

さて、なぜコットンを育ててみたい。と思ったのかと言うと、

当時はコットンで毛糸を作ってみたかったのもあるが、

そもそも毛糸を作るまでの道具がない。

無理をして道具を揃えてやってみようとまでは思えなかったが、

それよりもコットンから採れる種が欲しかったのである。

 

私はこれまでそこそこの種類の野菜やハーブを育ててきた。

 

通常、家庭菜園をする方々の目的は、

育ったモノを収穫してそれを食す。

と言うところだろう。

 

だが、私は昔から種から発芽させる事だけが好きなのである。

もちろん出来たものは食べるし、乾燥させてハーブティーにするのも大好きである。

 

ただ、それはおまけみたいなもので、実質はスーパーで買ってきた野菜や果物に付いてる種を発芽させるマニアに近いw。

 

つまり私は、純粋に発芽させる事が好きなのであるw

 

そしてある時、ふと思ったのだ。

 

自分で育てた植物から採取する種は、また発芽するのだろうか…

 

と。

 

まぁ、普通に考えれば理科の授業で習った通り当たり前なのだが、

自分で実際にやってみないと、人に『できます!』とははっきり言えないのである。

(今じゃF1種とかあるしね…)

 

そんな訳で、数年前から趣味が家庭菜園で野菜やハーブを育てる事よりも、種の収穫がメインになってきたのだ。

 

その甲斐あって今年はそこらじゅうからレタスが育ち、あんなに苦労して市販の種を発芽して失敗してを繰り返していたカモミールまでも、いたるところから生え散らかし、去年買った日本の茄子?の苗から採取した種からもちゃんと茄子が育ち、ヨモギも種まきしていないのにボーボーに生えている。

 

今年は正直、3週間の日本滞在があったため、そもそも家庭菜園は諦めていたのだが、勝手に生えてくるシステムになっていてとても満足であったw

 

さて、こうやって種をただただ集めていると、必ずと言っていい程、周りの人から

 

ほんでこれ、どうすんの?

 

と言われる。

 

私の目的は種を収穫してそれを発芽させる。と言う事なので、どうするもこうするもないのだw

 

だが、うちの冷蔵庫には大量のいろんな種類の種が保管されているw

 

そりゃ、

ほんでこれ、どうすんの?

であるwww

 

ちなみに、このコットン収穫時の写真をオカンにラインしたら

 

ほんで何つくるん?

 

と、予想通りの返答であったw

 

 

そうやんな…

これ、どうすんねやろ…www

てか、何でこんなにうちには種があるねんwww

引きこもりニートのBBAな上に、さらに何の役にも立たへん事してるやんw

 

と考えていると、いろんな記憶が蘇ってきた。

 

私は子供の頃からこんな感じであったのだw

 

周りは将来のためや、良い成績をとるためにしっかり勉強したり、先生に褒めてもらえるような事をやっていた。

が、私はなんの意味もない、くだらない行動をしたり、くだらないモノを作ったり、誰の役にも立たない事に時間を費やしていたw

 

何かするたび、

 

それなんなん?なんでやったん?なんのためにしたん?

ほんでこれ、どうすんの?

 

とオカンだけではなく、友達や先生からもしょっちゅう言われていたw

 

ほんと、ことごとく何かするたびに言われるもんだから、徐々に、『人間は意味のある行動しかとってはいけないのだ。』と思うようになっていた。

(普通の人からすれば当たり前なんだろうが…www)

 

しかしながら子供の頃の私にとっては、

 

なんでって聞かれても、ただやりたかったから?

 

としか答えれなかった。

 

これが完全に自分の中で崩れたのはたぶん日本で美術の専門学校に入った時だったと記憶に残る。

 

アートと言うと自由に思われがちだが、当時私が通っていた美術の専門学校は、何を作るにしても理由が必要でそれを言葉で人に伝わるように説明しないといけなかったのだ。

(その点、アメリカの美術の大学は意味を持たせるとだいぶ褒められたが、なくても大丈夫だったw)

 

なんとなく。ではモノづくりができなくなってしまった最初の一歩である。

 

 

まぁ、普通に考えると、世の中的にもそれが当たり前なのだろうとは思うので、これを読んでいる人は『あなた、何を今更言ってるの?』状態であろうw

 

お金を稼ぐために働いて、家族を養うために家事をする。

誰かの役に立つために何かをする。何かを得るために何かをする。

趣味においても、もともと形ある何かをして、何をしたのかは名称を言い他人には言葉でその内容を説明できる。

たとえ意味のない事でもそれを人に伝わるようにエンタメ化すれば喜んでもらえる事もある。

 

つまり、ほとんどの人は言葉で説明できる意味のある『何か』をやって生きている。

そうする事によって好き嫌いは関係なく、この社会と言うものは周っていて、人間は生きていけるらしい。

 

しかしながら、一人くらい

なんで?って聞かれても、ただやりたかったから?と答え、

どうすんの?って聞かれても、そもそも目的ないけど?

を実行していても他人に迷惑をかけなかったら、社会の構造的には差し支えないのではないか?

と思えてきたのだw

 

つまり、これまでどうにかして自分以外の誰かにも意味のあるモノを作ろうとしたり、

言葉で説明できて理由のある事を実行してきたりしたが…

 

それ、別になくてもよくね?

 

と気づいてしまったのであるw

 

こうなってくると、完全なる社会不適合者な上に、人間にも不適合なような感じもしてくるが、

私はやってみて痛い目に合って学ぶタイプなので、前回のブログの内容に続き、ちょっとその辺の縛りも解放してみようと思う。

 

それ、なんなん?

なんでやったん?

 

と聞かれ、答えられなかった子供の頃の私、蘇れ!

 

 

 

 

おまけ。

 

ねぇ。

上手く焼けないの。

 

アメリカのパン用小麦粉だと、全然グルテンの薄い膜がはらないの!

一生こねてるんだけど…

なんで???

 

image

 

これ、見た目以上にずっしりしとるのよ…

誰か、アドバイスちょうだい?

 

 

 

今日も読んでくれてありがとう♪

 

あなたのストローからコットンが咲き、グルテン膜が『これどうすんの?』と言いますように♪