ムーミンパパ | そらいろ

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写真とガーデニングとワンコが好きで、そんな日々を綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

特急電車のドアの所に立ったまま、ガラス越しにどんどんと後へ飛び去る夜の景色を見ながら、その日の私は、ぼろぼろと涙を流して泣いていました。
「もう向こうの席に座ったらどう?」
困ったような、呆れたような顔で、母が声を掛けてきました。
「行かない!」
私は、口をきゅっと結んだまま、流れる涙を拭っていたのです。
「どうしてそんなに泣いているの?おじちゃんと別れるのが悲しかった?」
 
 
子供の頃、東京にある母の実家へは、母に連れられてよく行きました。
東京といっても、当時、激しい人見知りで無口だった私は、母の実家から殆ど出掛けずにずっと本を読んだりして過ごしていて、母は社交的な姉を連れて親戚を訪ねることが常でしたから、都内の記憶は殆どありません。最寄り駅の商店街の様子とか、電車内の風景とか、記憶に残っているのはそんなことばかりです。
 
 
母には兄と弟がいて、実家には祖父母と母の弟である「ヒロシおじちゃん」と呼んでいる叔父が暮らしていました。叔父は177センチのすらっとした長身でおっとりとした口調の優しい人柄、姪である私たちを大変かわいがってくれましたが、商社マンで海外勤務も多く不在の事も多かったように記憶しています。
ある時、皆で食事に出掛けた帰り道、外国人に道を尋ねられた叔父がサラッと英語で説明していたことがあり、子どもの私の目には、その様子がとってもスマートでステキに映ったのでした。
 
 
その日は叔父も早く帰宅、その、おっとりとした口調で楽しい話を聞かせてくれ、お風呂にも一緒に入りました。それが私にはどんなにか嬉しかったのでしょう。
その翌日、自宅へと帰る電車に乗る私は、いつからでしょうか、ずっと泣いていました。
ヒロシおじちゃんとの別れが悲しくて、悲しくて・・・でも、当時の私はそんな気持を表す言葉を知らず、母にも誰にも説明することも出来ず、ただただ、泣いていたのでした。
 
 
あれはひょっとすると、幼い初恋だったのかもしれません。
その後、叔父は結婚するのですが、叔母となるその女性が気に入らず、私はどんなに話しかけられても、頑なに口を閉じていたのですから。
 
もちろん、その後も行き来はあり、学生の頃は時々叔父の家を訪ねたりもしましたが、社会人になってからはなかなか顔を合わせる機会はありませんでした。専ら、母から様子を聞くぐらいでした。
 
 
そんな叔父と久しぶりに会ったのは、私の父の通夜。義兄にあたる父のために、また、姉である母を心配して、忙しい仕事をやりくりして駆けつけ、葬儀まで連日、何かと力になってくれました。
 
 
そして、葬儀も終わり、叔父たちを見送る、その時。
私は、ある事を言いたくてうずうずしていたのです。
叔父たちがタクシーに乗り込むのを待って、私は姉に囁きました。
「ねェ、ヒロシおじちゃんてさぁ・・・」
「え?」聞き返す姉。
 
「ムーミンパパに似てるよね!」
姉の肩が、小刻みに揺れていました。
タクシーが見えなくなると、姉と爆笑。親の葬儀の後に爆笑する娘たちも不謹慎極まりないのですが、可笑しいものは仕方がない。きっと、姉も同じ事を思っていたのでしょう。
ここ数日、父との別れに毎日泣いて、真っ赤に腫れた目をこすりながら、私たちは笑っていたのでした。
 
 
時の流れは残酷なもの。あんなにステキだった叔父を、すっかり貫禄満点のムーミンパパに変えてしまうなんて。でも、ムーミンパパって、穏やかで優しいですし、あの、おっとりとした口調もそっくりなのです。が、あくまでも外見の話です・・・。
そして、いつの間にか、そんな姉妹も、あの時の叔父の年齢になってしまったのですけれどね。