こんばんは。
今日もご覧いただきありがとうございます。
高橋 照世です。
私のマスターコースの時の講師は川相ルミさん
今日は、マスターコース時代の印象に残っている勉強会でのお話をしようかなぁと思います。
確か、ある受講生さんが、
不登校中のお子さんについて
勉強会でこんなお話をしていたときでした。
不登校であっても
元気で笑っていてくれたら、それでもういいかなぁ…
って気持ちになってきたんです
私は
なんの違和感も感じずに
そうだよなぁ。それで十分だよなぁ…。
なんて頷きながら聞いていたら
すかさずルミさんが
悪戯っぽいような声で、若干かぶせ気味にこう言いました。
んーーーーー?
笑ってないとダメなんですかーー?
一瞬
へ???
って思いながらびっくりしていると
ルミさんは、さらにこう続けました。
お母さんが笑っていてほしいって思っていると
お子さんはお母さんに
元気のない姿を見せることに罪悪感を感じてしまいます。
たとえ、みんなが出来ることが出来なくても、
せめて親だけでも
『そのままでいいよ』
と心から言ってあげられれば、
子供は自分を責めなくて済むんです。
私、これを聞いて、正直ドキッとしました。
笑っていてほしい。
そんな、親としてごくごく当たり前のようにも思える願いさえも
子供にとっては負担になることがあるなんて。
(もう何も願えない…)
近所の公園にて…
あれから一年経って、今 思うのは、
言葉どうこうよりも
その言葉をどんな意識で放っているかの方が
やっぱり大事で、
子どもに伝わるのはいつだってその意識の方
なんだろうなぁということです。
例えば…
子どもに笑っていてほしい。
とあなたが思う時、
そこにはどんな感情が伴いますか?
ほんわかとしたあったかい感情?
それともどんより重たい感情?
ちなみにその勉強会の頃の私は、
重たい感情も混じっていたような気がするんですよね。
フツーに笑えない時もあっていいし
そんなあなたも大好きだよ。
だけど、
笑ってくれるともっとうれしい気持ちになるんだよ
というよりも
あなたが笑っててくれないとママ苦しいんだよ。
頼むから笑っててよ。
みたいな気持ち。
これは確かに子供のエネルギーを奪うよねぇ…
って今なら思います。
私の、【笑っていてほしい】という願いの中には…
笑っていてくれないと
私のせいだと感じて苦しい。
ダメな母親だと感じて悲しい。
という気持ちがありました。
罪悪感がとても強かったんです。
それを感じたくないために
頼むから笑っててくれ〜!
って
子どもをコントロールしたくなってましたね。
もしもあなたの
【子どもに元気になってほしい】
【笑っていてほしい】
と願う気持ちの中にも
どんより重たい気持ちが見えたとしたら
その下にはどんな気持ちがあるのか
よかったら探ってみてくださいね。