今年も私にとっての「母なる木」に会ってきた。
私は心の風邪をひいていた。
3月に入ってまもなく。
原因の70%は分かっているけれど、30%は分からない。
春らしきどんなに綺麗な景色を前にしても、少しも感動せずにいて
心のモヤが晴れずにきた。
未だに風邪は治っていない。
それで、母なる木に再会した時には涙が浮かんだ。
40数年生きてたって、どうしようもなく苦しくなる時がある。
20代より30代の方が、30代より40代の方が生きやすくなったけど
それは心が鈍感になることとは違う。
表面ではどんなに笑顔でいたって、一人でいる時は能面のような顔をして
佇んでいる時が多かった。
人が何気に吐き出す言葉に、引っ掛かることも多かった。
毎年同じ風景に見えるけれど、私は去年の桜を見ている訳ではない。
1年前の私は、ビーズも作っていなかったし
自分の作品がどこかのお店で扱ってもらえることすら想像の中になかった。
この母なる木に再会する度、私は新しい報告をしてきたのだ。
生きてるんだな・・・と思う。
新しい花を咲かせるこの木も、そして経験を積んでいく私も。
出来るなら、この花のような結果を出せる人間でありたいと願いながら
人生の折り返し地点にいても
つくづく
自分の業だとか、壁にぶつかってもがいて
どんなに時間があっても足りずにいるような気がしてならなかった3月。
今現在も、明日もそんな嘆きの時を過ごすのではないかという焦りだとか
いつになったら、この心から脱出出来るのかなどと考えている。
何かの糸口をつかみたくて、
オーラ診断や、カラーセラピーを受けたりした。
オーラ診断は、これから先の、自分のやりたいことについて確信を得る為。
カラーセラピーは、まさに心のセラピーを受ける為。
人からのアドバイスを受けたいというよりは、自分が現在持っていて目をつむりがちな問題や
心が今どんな事を訴えているのか、きっかり知りたいと感じていた。
セラピストの方からは、ああ・・・人間関係という壁にぶつかっていますね・・・
自分なりに、ここまでやってきたのに報われていないと思っていますよね。
このままだと苦しいし、心が折れると感じているんですよね。
と、言われた。
実際、折れかけてぶらぶらしている枝が一本、心にあって
私はそこに大方のエネルギーを注いでしまっている。
折れたくなくて。
これまでその枝が大好きで、可愛い花を咲かせることがずっと楽しみで。
一輪でもいいから、今年も咲かせたいと願っている。
桜の季節は終わってしまうけれど。
可憐な色で、可憐な花びらなのに
どうしてこうも心を奪われてしまうんだろう。
毎年そう思いながら、桜を眺めている。
カラーセラピーを受けた後、最後にもう一度カラーを選ぶのだけど
「あ!やっと戻ってきていますよ。ふわふわ漂っていた心が、スタート地点に
着地した感じです。 あとは、どうしたいか自分としっかり向き合ってくださいね」
そうなのだ。
どんな時でも、どんな事でも最終的に決めるのは自分。
花は、意思で咲くものかも知れない。
満開の時期を終えた、4月1日の母なる木の周辺は、花びらの絨毯になっていた。
きっといろんな人々が、人生の荷物を少しだけほどいて
桜の花々を眺めていったのだろう。
今年も役割を終えた花びらが、はらはらと軽やかに舞っている。
散ることに迷いなく
「じゃあね」
と片手でバイバイしているかのように。
毎年、いろんな想いを抱えてここへ来て
来年は、どんな報告が出来るかな・・・と思っている。
生きることに諦めはなく
どんなに心に問題を抱えていても、もがいていても、どこかで光を見つけて
不器用でも歩いている。
出来ればこの母なる木のようにしっかり根を張って
満開の花を咲かせて生きれたら・・・と思いながら
まだまだ人生の途中であることも実感している。