父の誕生日 | モカ族一家のワン⭐︎モモな日々♪

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モカ族のチワワっ子達+トイプードル+フクロモモンガとの楽しい暮らしと、てんやわんやな日々の日記です♪




1937年(昭和12年) 8月2日生まれ。





今日は私の父の誕生日です。



生きていれば、今日が70歳の誕生日でした。






賑やかな事が大好きだった父は、自分の誕生日の日も



自らバーベキューの設定をして、ご馳走を振舞っていました。



みんなが笑顔でいるのが大好き。



お酒が大好き、お喋りも大好き。













これは私の従弟の結婚式の写真でしたが



笑顔がいいので、そのまま遺影となりました。



ピースサインを抜けて、喪服の姿に変身しましたけど。







父の生きた時代は、戦中の貧しい時代です。



しかも父は自分の父親を5歳で亡くし



幼い頃から奉公に出たりと、まともな勉学すら出来ませんでした。



同級生が笑いながら学校から帰宅する姿を見るのが



一番辛かったと言っていました。







父は5人兄弟の4番目です。



上2人の兄はまだ裕福な生活の中で育ち、国鉄に就職していましたが



3番目の兄弟からは、苦労の連続だったと言います。





奉公先で馬に蹴られた話し。



国鉄で働く兄が、お菓子を持って父達に会いに来て



土手で泣きながら一緒にお菓子を食べた話し。



冬の寒い中、雪に埋もれた木の枝を拾い集めてお風呂を沸かした話し。







どれも父が酔った時に、何度も聞かされた話しです。






父と母が結婚してからも、日本が高度成長期で慌しい中



仕事が猛烈に忙しくて、体を休める時間というのは



当時を連想するに、ほとんど無かったように感じています。






父の人生は、幼い頃から精神的な気苦労と、体力を消耗する連続。





体を酷使して、酷使して、5人兄弟の中で1番に亡くなりました。



享年63歳。






お通夜の時、兄達が「こいつが淋しがったらいかん」と言って



父のそばで眠りました。



「こいつには、一番苦労をかけたんや。申し訳ないと思うてる」



兄達の言葉で、父はどれだけ救われたでしょう。



私もこの日は一睡もせずに、父にお焼香をしました。











お父さん、あなたは私や弟が生まれて自分だけの家族が出来た時



心の底から幸せを感じてくれたでしょうか。





弟がお父さんの趣味と同じで



釣りや昆虫採集と活発に動き回ったのとは正反対で



私は幼い頃から体も弱く、家の中で遊ぶのが好きだったから



どうやって遊んでいいか分からないと言っていたものね。






父親の愛情を知らない父は、父親になることにいつも手探りで



とても不器用でした。



けれど、子供が大好きで親戚の子供達にも慕われていた父。










当時、たった一人の孫だったりょーじまるを



目の中に入れても痛くない程



可愛がってくれたことを、とても感謝しています。



私が仕事で忙しい時は、いつも保育園までお迎えに行ってくれたこと。



休みの日も、惜しむことなく遊びに連れ出してくれたこと。



彼が自転車に乗れるように、4時間で教えてくれたこと。



一緒にお風呂に入って、掛け算を教えてくれたこと。






「この子が二十歳になるまで生きたい」というのが口ぐせ。



それなのに、多発性骨髄腫という血液のガンに侵されて



それから2年余りで逝ってしまいました。



りょーじまるは小学6年生で、おじいちゃんを亡くしました。







お父さん、今年の10月でりょーじまるも二十歳ですよ。



きっと、その日を心待ちにしてくれてるよね。







今ではもう一人の孫になった弟の子供、まさやん。



そして10月10日、お父さんの命日に女の子が生まれる予定ですよ。



女の子のおじいちゃんになるのは、初めてだね。



弟も、初の長女の誕生を心待ちにしているようです。



どんな父親になるんだろうね。お父さん、ハラハラしていない?







お父さんが不在になってから10月で8年目。



あれから随分色々なことが様変わりしたけれど



きっと全部見守ってくれてると思えてなりません。











お父さん、いつも有難う。



そして、お誕生日おめでとう ヾ(@^▽^@)ノ