パパ活で知り合ったという男子大学生(21)に強く恋慕しお金も貢いだ無職男性(37)は市川市の相手方の自宅にて絶縁を告げられたことで逆上し、彼を刺殺した上、放火しようとしたとして、殺人と放火予備の罪に問われた裁判で、千葉地裁は被告人に弁護側の心神耗弱の可能性からの情状酌量要請を却下したうえ懲役17年を言い渡しました。
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千葉日報 2022/3/20 11:55 引用
市川・男子大学生殺害>被告の男に懲役17年 絶縁の苦痛理解も「刺し傷深く残忍」
男子大学生に100万円以上を援助し、一緒に墓参りに行くほど好意を寄せていたことから・・・
さらに「犯行後、冷静に身辺整理をしてから自首した。善悪の判断ができていた」と判示し、心神耗弱の可能性があるとした弁護側の主張を退けた。
TBS NEWS18日 19時01分 引用 ※被告人実名は伏せました
恋愛感情抱いていた男子大学生殺害 37歳男に懲役17年判決 千葉地裁
これまでの裁判で弁護側は「男子大学生は性的関係を持って、お金を貰うパパ活を行っていた。被告は男子大学生におよそ100万円を渡していた」と指摘し、「男子大学生から絶縁を告げられて絶望し、突発的に男子大学生を刺してしまった」として、犯行時は心神耗弱の状態だったと主張していました。
記事画面
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報道社によると被害者のパパ活は女装でのものと報じているところもありましたが、ここまで入れ込んでの恋慕から被告人は青年の心まで愛してしまったと推察できましょう。そこからは女装であろうと男装であろうと恋は盲目となり、普段の青年は男装であることを考えれば、女装は事実としても出会いの最初ごろの一過性のものではなかったでしょうか。
墓参りに女装男と同行する蓋然性も希薄なのではないでしょうか。
そして殺害の動機ですが、100万円の貢いだ金も相当な動機となっていたのではないでしょうか?
絶縁を告げられたら、本当に相手を愛しているのであれば、きっぱりと受け入れて別れるべきでした。
恋愛の極意から行けば「恋はふられた時がスタート」という人もいます。
むろんストーカーまがいのことは厳禁ですが、誠意をつくせば相手方はいつかは分かってくれて恋愛も再成就する場合もありましょう。むろん、そうはうまくいかない場合のほうが圧倒的に多いのでしょうけど、そこで登場する諦観が人間を大きくすることを忘れてはなりません。また仏教や輪廻の思想から考えると相手と出合う可能性は今生や地球だけとは限りません。
この事件は恋愛(内心片思いも含め)の教訓となりえるのではないかとも思ってしまいました。
追記