豊川誕氏については前述した京本政樹氏などと同世代でもあるわけですが、芸能デビューは豊川氏のほうが数年早く高校2年生ぐらいの年齢ではなかったでしょうか。
無論、そのころはやっていた芸能月刊誌を通してしか写真は知りませんでしたが、3歳で育児放棄を受けどこか暗い影がありながら健気に唄の道で生きようとする端正な顔をした美少年として数年間は一世を風靡していました。
関西の孤児少年を芸能事務所社長が発掘し、以来、同事務所専属新進歌手として何かと面倒を見ているというふうに受け取っていました。プロフィールの誌面特集だったか小麦色した半裸とか半ズボンの生足が特に記憶に焼きついています。そのときは姫路ではなく神戸出身と記されていたような気もします。「社長を信頼しきっている薄幸の少年の決意・・・」というようなトーンの編集ではなかったでしょうか。
お涙頂戴的なものは別としても、女形的な京本氏や白人ハーフの黒沢氏とはまた別の、格段特別な容貌でもないが端正な日本人高校生な親近さの魅力は確かにあったような気がします。
その後、容色の衰えに並行して同事務所からも脱退した後はあまりいい話も聞かなくなっていましたが、最近になってデビュー前は大阪のゲイバーでバイトをしていたことを述べられています。
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【豊川誕アイドルの果て】元アイドルが明かす“芸能界の裏側”
(略)
僕は養護施設で育ち、16歳でデビューしました。大阪のゲイバーでアルバイトしていたときに知り合った高校生に連れられて上京したのがきっかけです。
(略)
こちら ※2011.11.25ZAKZAK
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今はすっかり美少年の要素は面影すらありませんね。無常です(笑)
ただし唄の道に年齢や容貌は関係ありません。現在は演歌歌手として活動されているとのことですが、たとえ商業ベースがどうであれ、かつて歌っていた「僕のえらんだ道」を貫徹してもらいたいものです。
追記
過去に遡ってのまとめサイト@ジャニーズ創業者による子飼い少年群への性加害疑惑
追記