勢多伽丸の悲劇(7) | mojorのブログ@事件等を教訓に己を律しよう!

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当ブログはその目的を防犯および性犯罪被害への注意喚起とします。被害者・加害者両方の悲劇が事件等の教訓から少しでも減る事に寄与すれば管理者冥利につきます。

「勢多伽丸の悲劇(1)」にて言及した「承久記」では勢多加は首を切られる際に、西に向かって念仏を数遍唱へています。これは真言宗御室派総本山仁和寺の稚児にしてやはり真言の師匠たる道助法親王の弟子であったことを鑑みると不思議な感もなきにしもあらずです。しかも法親王は父である後鳥羽上皇が引き起こした承久の乱の官軍勝利のための真言による調伏祈祷に没頭していたことは「同3」にて言及した日蓮の指摘にあるとおりです。

確かに当時は阿弥陀信仰が庶民・武士・貴族を問わず各階層に浸透してきて法然なる教団組織者も台頭してききたわけですが、いくらそうであっても真言寺院の最高権威者の弟子にして性愛を受けていた少年が教義的には水と油である念仏を生死一大事たる臨終正念の時に唱えたことが事実であるなら、やはり勢多加は心から法親王を愛していたのではなくむしろ憎しみの感情もあったのかもしれません。

 

遊び盛りの13・4歳で毎夜、性欲処理をさせられたのであればかかる感情がわいても不思議ではありません。

確かに相思相愛であるほうが詩歌や絵になることは当然ではありますが、それは特に少年愛の場合、愛する側あるいは成人の一方的な願望である場合がほとんどではないでしょうか。

(ちなみに夜伽をする稚児の本音は時代は下り江戸初期の醒睡笑の「児の噂」に詳しい部分があります。またいつか欄を改めましょう)

しかも父佐々木広綱の官軍参加のみならず法親王の戦勝祈祷行為も連座した罪です。法親王のより直接的な謀反関与は不問とされ自分は母も悲しませる斬首措置という理不尽さや親王の頼りなさへの反感も惹起したことでしょう。

 

ただし、彼は一流の稚児としての一世一代のパフォーマンスをやり遂げたことは昨日欄で述べたとおりです。もしかしたら斬殺直前の奥ゆかしくもしおらしい行為は道親王へ宛てたたものではなく、母親や世間の人たち及び、就中、私たち後世の人間に対する彼なりの優雅なメッセージだったのでありましょう。無論、美少年の極限の状況の中での至上の美や至極健気な心根がその前提にあることは言うまでもありません。