「勢多伽丸の悲劇(1)」および「同(2)」を少々敷衍します。
苦渋の選択にて(若木の花)たる勢多伽君を泣く泣く六波羅に差し出した際の(埋木の朽ち果つべき)たる道助法親王の歌を再掲しましょう。
「埋木の 朽ちはつべきは 留まりて 若木の花の 散るぞ悲しき 」
そして美少年が斬首される際に来ていた朽葉の直垂の色はこちら
ちなみに手持ちの時代考証本によると直垂の表の色が朽葉色の場合、裏は若々しい小麦色です。それぞれが法親王、勢多伽の肌を表していることは明白です。
稚児灌頂以来、法親王の枕席への侍りをおそらくは独占していた少年の最後のメッセージの内容は明らかではないでしょうか。「僕は肌を交わされながらそのまま往生していきます」の暗示はいっそう法親王の魂を奪ってしまいます。また親王本人もそれが本望だったものと思われます。
少年の服飾での返歌を私は大人の入れ知恵とは思いたくありません。確かに承久記には「、御所ヨリ給イツル朽葉ノ直垂」と記されてはいますが、そこは7歳より学問を修めている少年の歌にお答えしたいとの強い意向であったと見るのが自然でしょう。そこらの凡才少年とは違うのです。
極限の状況にありながら返歌は自らの見目・姿勢でお返しするという当代随一の稚児の至誠のパフォーマンスであったことを考えると私は彼の奥ゆかしさに対して徒然草ではないけど「あやしゅうこそものぐるをしけれ」の類の感覚に抱かれます。
無論、法親王と少年の間ではこと性愛に関しては前者による一方的な溺愛の可能性のほうが自然でありましょう。僧院という特殊な環境の中、12・3歳のある時期からずっと肉体奉仕を強いられ、また後鳥羽なる愚昧な指導者による戦乱の犠牲となった絶世の美少年勢多伽君へは後世からの想像だに、甚だしい憐憫を誘います。しかもその中で健気にも宿命を宿命としてとらえ最後まで一往の師匠たる法親王の気持ちをある種のエロスを込めて慮り且つ慰撫する姿勢には時を越えて美的普遍性にまで昇華するものがありましょう。