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基礎研究者のブログ

医学・生物学系の研究者のブログです。2012年9月からアメリカのニューヨークで仕事をしています。近況報告がてら、仕事、育児について書いています。

さて、最後のインタビューが終わったんじゃないかと思います。まだ自分の仕事が決まったわけでもないし、全く安心しちゃいけないのに、とりあえずひと山超えた気がしてホッとしています。今から2回目の公募をかけてる大学もチラホラあるのですが、なんだか出す気にはなれません。

 

論文がまだない時期に応募したのに、良いところから声をかけてもらったと思います。もっと沢山の研究機関から呼んでもらいたかったなと思った時期もありましたが、考えても仕方のないことかなと思うようになりました。この中の、どこかから良いお知らせをもらうことができれば、それでハッピーです。あとは、その環境でやるべきことをキッチリとやるだけです。

 

論文に関して、日本の雑誌と、論文レビューサイトから執筆依頼をいただく機会に恵まれました。レビューサイトの方は締め切りが厳しすぎて迷ってます。忙しすぎるんですよね。それもこれも、トランプ大統領によるルール改定の煽りを食って、僕のビザ切り替えを大急ぎで行わないといけなくなったためです。運が悪いような、僕も甘かったような。

 

文句を言っても仕方ないので、一つずつ、着実にやり遂げていくのみですね。

 

 

 

 

気持ちを切り替えることにしました。

 

自分の視野がとても狭くなっていることに気づきました。というか、考え方そのものが小さくなっていました。人生なんて、自分が想像した以上の生活になることはないと思っています。明確でポジティブなイメージをしっかりと心の中に維持していないと、自分が望む生活を送ることは難しいと思うのです。以前はこうしたことを意識して生活していたのですが、忙しい生活が続く中、少しずつ、少しずつ、意識しないようになっていったのだと思います。

 

まずは、自分のやってきたことにも誇りと自信と持たないと。やってきた仕事は多くの人にとっても面白いはずです。事実、セミナーをした時、聴衆が楽しんでくれているのが感覚として伝わってきます。そこは、僕だけの思い込みではないと思うのです。もしも、自分が目指してきたことが思ったよりもcutting edgeじゃないかもしれないと感じたならば、その理由を明らかにして軌道修正すれば良いのだ。そもそも、昔考えたことが今でも新鮮であると考える方が甘い。当たり前のことです。

 

今の生活が自分の望んだものでないならば、それも変えてしまえば良いんです。どんな選択になるかはどうでもよくて、自分の意思で最良の選択をしたと、自分自身が納得することが大事なのだ。

 

疲れたら休んだら良い。それで時間がかかってしまったとしても、必要なんだから仕方ない。将来、疲弊した感じの生活を送るのが嫌だったら、それをマネジメントする方法を自分で開拓すると決意するしかないのです。

 

最大の敵は、小さくまとまってしまうこと。限られた時間の中で結果を最大化するには、余計なことを考えている場合ではないのです。落ち込んだり、悩んだりしてる間にも、できることはたくさんあるはずなのです。

 

 

 

 

 

がむしゃらに働くことが素晴らしいのだと洗脳に近い教育を受けたことがあります。大学院生の頃です。一昔前のアカデミアにありがちな、ちょっと精神論に近いものでした。それに反発を憶えつつも、いつの間にか身体が慣れてしまって、がむしゃらに働くことが辛くとも楽しい時期がありました。もちろん、効率なんて度外視です。それでうまくいく時期もあったように思います。でも、労働時間を伸ばすことで解決できるほどサイエンスって単純じゃないんですよね。いつしか、壁にぶつかるようになりました。一通りの失敗を経験したのちに、次は効率化を目指すようになりました。そこには、情報収集の体系化のようなことにも取り組みました。時短の先にある効率化を考えたかったためです。仕事の進め方としては、全体最適化のコンセプトを意識するようになりました。それは驚くほど上手くいきました。同様のストラテジーを個人の仕事からコラボレーションへと発展させていくことで、仕事の規模を大きくしていくことにも挑戦しました。元ボスや先輩からの大きなサポートもあり、それなりに上手くいくようになりました。誰かと一緒に働くことにも一定の自信を得ました。ところが海外にくると、文化や言語の違いという、新しい壁にぶつかりました。それもなんとか、それなりに解決できるようになってきました(でも、海外の人を指導する自信は、まだありません)。いいコラボレーターにも恵まれたというのもあります。

 

新しい環境では、自分の給料を常に自分で取ってこなければならないという新しい課題もありました。新しいタイプの負担です。グラントライティングや、事務仕事(倫理関連の書類とか)、コミュニケーションなど(コラボレーションや報告書など)にかけないといけない仕事が増えてきたんです。これらの仕事は、どうしても自分でやらないといけない。人とシェアしてやっていくということができません。できるかもしれないのだけど、僕にはそれをどうやったらいいのかわかりません。ボスからのグラントライティングに対する要求水準はどんどん上がっていきます。こうした仕事にとらわれると、実験が進まなくなってきます。データを出すのが一番大切なポスドクの仕事なのに、それが思うように進みません。そんなジレンマを僕は抱えるようになってしまいました。

 

家庭では、子供達の学校のこと、進路のことを考える時期に差し掛かってきました。子供の将来を考えると、教育の良い地域に住みたいと考えるようになったし、それなりの所得が必要だと考えるようになりました(米国では、教育レベルの高い地域は家賃がとても高い)。ある一定以上の収入を確保できる生活の選択肢となると、意外と限られてくることにも気づきました。結果として、昔やっていたような「しんどいから仕事から一時的に逃げる」、というのが、僕の中で難しくなってしまいました。すると、いつの間にか再びオーバーワークが続くようになってしまいました。一度はワークライフバランスを取れるようになったと思っていたのに。。僕が仲良くしている、将来独立するであろう、或いは独立した友達は、このバランスのとりかたに長けているように見えます。一体どうやっているのか見当もつきません。

 

気持ち的に八方塞がりで自分を見失いそうになっている中、若い頃の父の姿を想像することが増えました。父としての姿だけじゃなくて、今の自分と同じ年齢の父が会社で働く姿です。なんだかんだ言って、自分のロールモデルなんでしょうね。

 

「もしも、父が今の自分と同じくらいの歳だったら。」

 

昔は想像もしなかったけど、同じような悩みを抱えていたのかもしれません。あるいは、いつものごとく、「お前は細かいことまで考えすぎだ」と一蹴されるかもしれません。今よりも滅茶苦茶な生活を強いられていた時代を生きて来た人ですからね。

 

論文がアクセプトされことを元ボスに報告する時、それとなくこの件について相談してみました。すると、激励と共に、こんなコメントが返ってきました。

 

「研究生活はいつまでたっても楽にはならず、僕もいろいろと仕事が増えカツカツの日々を送っています。」

 

激励は嬉しかったけど、この逃げ場のないコメントにはだいぶ凹みました。どこかに僕が見いだせていない答えが隠されているのか、それとも、僕が鈍感になるしかないのか。どちらなのでしょうね。結局いつもの通り、僕は惰性に身を委ねながら心身の回復を待っています。

 

 

 

 

実はここ数ヶ月間、ずっと気持ちが下降気味。もしかすると、1年以上、そういう状態が続いてる気がいます。短期的に上むきになることはあるけれども、やっぱりどーんと疲れがのしかかってくる感じは消えません。論文が目標通りにアクセプトされたことは良いけれども、本当に、驚くほど嬉しいという感情はありませんでした。今回の仕事は、自分のサイエンスをしっかりと積み上げてきた証であると思うし、そこは誇りに思うのですが、なんとも空虚な気持ちもあるわけです。

 

この仕事にとらわれすぎたせいで、第二のプロジェクトの進行がすごく遅くなってしまったことに満足できないし、自分の積み上げてきたサイエンスが本当にcutting edgeなのか分からなくなってきた気持ちもあるのかも。色々と犠牲にしたなと思う部分もあるし、僕の要求水準がどんどん高くなっているのもあるかもしれない。それか、上を見たら青天井でした、みたいなところもあるのかも。でも、研究者としてサバイブするには、そこに挑み続けなければならない気もするわけです(R01 grant の採択率は10%未満ですからね)。

 

今、独立に向けて仕事探しをしているけど、独立したらもっと大変になるわけですよね。つまり、より大きな苦労を抱えるために努力を重ねてジョブサーチしているような感覚に陥るわけです。それって、楽しい人生なんですかね。ちょっとよく分からなくなってきました。

 

データは面白いものが出てきて、そのせいで仕事が楽しくて簡単にやめられないっていうところがあります。でも、それって長期的に見て本当に良いことなのかな、と疑問に思う時があるんです。そうやっていつのまにか後戻りできないところまで行って、こんな人生でよかったのかな、なんて思いたくないんですよね。サイエンスが楽しくても、科学者として生きていくためにはお金の工面を常に気にしつつ、お金がそれなりに潤沢にあるところを上手に渡り歩くセンスも求められます。いわゆるサイエンティフィックなことだけをやっていて生きていける世界ではないな、と感じます。そんな世界でこれからも生きていくのに目がクラクラする反面、どうせどこに行っても同じことじゃないか、と自分を納得させようとしている自分がいます。

 

やれやれ、不惑には程遠いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボスからライティングの本をプレゼントしてもらいました。これを読んで、ライティングを改善しろよ、というジョークです。Strunk & White の "The Elements of Style" 
 
 
結構有名な本らしいですね。この版のイラストを担当してるのが、ボスの奥さんの友人だそうです。
 
Wikipedia:
The Elements of Style was listed as one of the 100 best and most influential books written in English since 1923 by Time in its 2011 list. Upon its release, Charles Poor, writing for The New York Times, called it "a splendid trophy for all who are interested in reading and writing." American poet Dorothy Parker once proclaimed

If you have any young friends who aspire to become writers, the second-greatest favor you can do them is to present them with copies of The Elements of Style. The first-greatest, of course, is to shoot them now, while they’re happy.
 
論文のリバイスの時、ライティングがもっと良かったら早く進むんだという旨の発言をされたことがありました。ムカッときて何かを言い返したんですよね。忘れちゃったけど。そのときに、ボスがアマゾンで注文したのがこの本なのでした(苦笑)。せっかくだから何か一言書いてとお願いしたら、論文がアクセプトになるまで延期されてしまったのでした。
 
色々あったけど、終わりよければ全て良し。
今できることに集中するのみですね。