働き方について | 基礎研究者のブログ

基礎研究者のブログ

医学・生物学系の研究者のブログです。2012年9月からアメリカのニューヨークで仕事をしています。近況報告がてら、仕事、育児について書いています。

がむしゃらに働くことが素晴らしいのだと洗脳に近い教育を受けたことがあります。大学院生の頃です。一昔前のアカデミアにありがちな、ちょっと精神論に近いものでした。それに反発を憶えつつも、いつの間にか身体が慣れてしまって、がむしゃらに働くことが辛くとも楽しい時期がありました。もちろん、効率なんて度外視です。それでうまくいく時期もあったように思います。でも、労働時間を伸ばすことで解決できるほどサイエンスって単純じゃないんですよね。いつしか、壁にぶつかるようになりました。一通りの失敗を経験したのちに、次は効率化を目指すようになりました。そこには、情報収集の体系化のようなことにも取り組みました。時短の先にある効率化を考えたかったためです。仕事の進め方としては、全体最適化のコンセプトを意識するようになりました。それは驚くほど上手くいきました。同様のストラテジーを個人の仕事からコラボレーションへと発展させていくことで、仕事の規模を大きくしていくことにも挑戦しました。元ボスや先輩からの大きなサポートもあり、それなりに上手くいくようになりました。誰かと一緒に働くことにも一定の自信を得ました。ところが海外にくると、文化や言語の違いという、新しい壁にぶつかりました。それもなんとか、それなりに解決できるようになってきました(でも、海外の人を指導する自信は、まだありません)。いいコラボレーターにも恵まれたというのもあります。

 

新しい環境では、自分の給料を常に自分で取ってこなければならないという新しい課題もありました。新しいタイプの負担です。グラントライティングや、事務仕事(倫理関連の書類とか)、コミュニケーションなど(コラボレーションや報告書など)にかけないといけない仕事が増えてきたんです。これらの仕事は、どうしても自分でやらないといけない。人とシェアしてやっていくということができません。できるかもしれないのだけど、僕にはそれをどうやったらいいのかわかりません。ボスからのグラントライティングに対する要求水準はどんどん上がっていきます。こうした仕事にとらわれると、実験が進まなくなってきます。データを出すのが一番大切なポスドクの仕事なのに、それが思うように進みません。そんなジレンマを僕は抱えるようになってしまいました。

 

家庭では、子供達の学校のこと、進路のことを考える時期に差し掛かってきました。子供の将来を考えると、教育の良い地域に住みたいと考えるようになったし、それなりの所得が必要だと考えるようになりました(米国では、教育レベルの高い地域は家賃がとても高い)。ある一定以上の収入を確保できる生活の選択肢となると、意外と限られてくることにも気づきました。結果として、昔やっていたような「しんどいから仕事から一時的に逃げる」、というのが、僕の中で難しくなってしまいました。すると、いつの間にか再びオーバーワークが続くようになってしまいました。一度はワークライフバランスを取れるようになったと思っていたのに。。僕が仲良くしている、将来独立するであろう、或いは独立した友達は、このバランスのとりかたに長けているように見えます。一体どうやっているのか見当もつきません。

 

気持ち的に八方塞がりで自分を見失いそうになっている中、若い頃の父の姿を想像することが増えました。父としての姿だけじゃなくて、今の自分と同じ年齢の父が会社で働く姿です。なんだかんだ言って、自分のロールモデルなんでしょうね。

 

「もしも、父が今の自分と同じくらいの歳だったら。」

 

昔は想像もしなかったけど、同じような悩みを抱えていたのかもしれません。あるいは、いつものごとく、「お前は細かいことまで考えすぎだ」と一蹴されるかもしれません。今よりも滅茶苦茶な生活を強いられていた時代を生きて来た人ですからね。

 

論文がアクセプトされことを元ボスに報告する時、それとなくこの件について相談してみました。すると、激励と共に、こんなコメントが返ってきました。

 

「研究生活はいつまでたっても楽にはならず、僕もいろいろと仕事が増えカツカツの日々を送っています。」

 

激励は嬉しかったけど、この逃げ場のないコメントにはだいぶ凹みました。どこかに僕が見いだせていない答えが隠されているのか、それとも、僕が鈍感になるしかないのか。どちらなのでしょうね。結局いつもの通り、僕は惰性に身を委ねながら心身の回復を待っています。