独立目指して、仕事探し開始 | 基礎研究者のブログ

基礎研究者のブログ

医学・生物学系の研究者のブログです。2012年9月からアメリカのニューヨークで仕事をしています。近況報告がてら、仕事、育児について書いています。

早いもので、前回の記事から半年以上経つのですね。論文の方はまだ進行中。べつに何度もエディターとやり取りしているわけではないですよ。ただ、全ての期日を無視しているだけです。それをやってしまうボスも大したものだし、それに我慢できる僕も強くなったと思います。論文をだすという行為から逃避しているようにすらみえてしまいますけど、それでここまで成功しているんだから、それでも良いのでしょう。

 

幸いなことに、論文はマイナーリビジョンでした。コメント返しと制限範囲内の字数に短くしてやればオッケー。それなのに、すでに1ヶ月半経過。たぶん、あと1ヶ月はかかるな。。さっさと終えてしまったほうが楽になると思うのですが。。

 

それと並行して、10月からジョブアプリケーションを始めました。もう4年も経ってしまったので、早くラボを出ないといけません。本当は論文を間に合わせたかったけど、他人を変えるのはできないので諦めました。まさかの、現ラボからの筆頭著者論文ゼロでのジョブアプリケーションです。かなりの逆境ですね。

 

僕の友達でCell, Nature, Science を筆頭著者論文として持っている人たちの話から推察するに、アメリカでは40〜80箇所に応募し、6ー8箇所からインタビューの招待が来て、1ー2箇所からオファーをもらうような状況です。ただ、僕は30箇所程度しか見つけることができませんでした。自分の研究と研究所の要求がフィットなんて、そんな簡単なことではないと思うんですけどね。100箇所も出してる人は、研究所の求めるものに合わせて自分のプロポーザルを色々と変えているのでしょうね。僕は自分に嘘をつきたくないので、自分にフィットしそうな場所に絞って応募しました。最悪、僕はインタビューにすら読んでもらえない可能性も高いです。でも色々あって、ジョブマーケットに出ることになりました。

 

ここ数ヶ月間は本当にキツくて、結局、24箇所アプライした時点でアプリケーションをストップしました。肉体的、精神的な消耗が激しくて、僕のメンタルがギリギリでした。それで止める勇気も必要だと思ったのです。こうしてブログ書くのも、元に戻ろうとする気持ちの一環でもあるわけです。これが本当によかったのか分かりません。多分、よかったんじゃないかと思います。いや、他に選択肢がなかったというべきか。

こういう時、やっぱり気持ちが楽になるのは、僕のことを助けてくれる人たちからのサポートを感じる時です。ジョブアプリケーションでは、元ボス、元ラボの先輩たち、現ボス、コラボレーターなど、多くの人たちが信じられないくらい助けてくれました。直接助けてくれるわけではないですよ。ただ、時々かけてくれる言葉や行為がありがたいんです。いい話があったら僕にメールで流してくれたり、アプリケーションを出した後に速やかに推薦状を送ってくれたり。NIHの友達は僕をセミナーに招待してくれました。ここで僕自身をNIHのコミッティーメンバーに売り込めと。本当に、ありがたいし、嬉しいです。(現ボスに関しては、こっちのサポートよりも論文を終わらせてくれと文句いっているのですが、笑)

 

ヨーロッパの研究所にも2箇所だけ応募していたのですが、なんと奇跡的なことに、2箇所ともインタビューに招待してくれました(ヨーロッパは早いのです。米国は1ー3月)。そのうち1箇所は無理かなと思っていたので、心底びっくりしました。アメリカの大学からもインタビューのオファーがくると良いのですが。。ただ、来年まで気にしなくていいというのは、それはそれで気持ちが楽になりますね。