The Iron Claw(2023 アメリカ)
監督/脚本:ショーン・ダーキン
製作:テッサ・ロス、ジュリエット・ハウエル、アンガス・ラモント、ショーン・ダーキン、デリン・シュレシンジャー
撮影:エルデーイ・マーチャーシュ
美術:ジェームズ・プライス
編集:マシュー・ハンナム
音楽:リチャード・リード・パリー
出演:ザック・エフロン、ジェレミー・アレン・ホワイト、ハリス・ディキンソン、モーラ・ティアニー、スタンリー・シモンズ、ホルト・マッキャラニーフ、リリー・ジェームズ
①プロレス黄金時代の思い出
1980年代初頭。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック(ホルト・マッキャラニーフ)はテキサス州ダラスでプロレス団体を主催し、フリッツの子供たちであるケビン(ザック・エフロン)、デビッド(ハリス・ディキンソン)、ケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)、マイク(スタンリー・シモンズ)の兄弟も次々とプロレスラーとしてデビューしていました。しかし、念願の世界ヘビー級王座を目前にしてデビッドが急死してしまいます…。
プロレスは、子供の頃にはかなり熱心に見てました。
そこまで熱心に追っかけた訳じゃないし、会場には一度も行ったことないので「プロレスファン」とは言えないと思うのですが、テレビは毎週夢中になって見てましたね。
主に新日を見てたな。猪木と藤波が好きで、あとはやっぱりタイガーマスク。
新日びいきだったけど全日も見てたし、外人レスラーも個性的な人が多かったですね。
世代的に、それほど熱心なマニアじゃなくても、プロレスが共通言語として通じる世代だと思います。
なので、本作で描かれる世界はまずは懐かしい! 自然と親しみやすさを感じてしまいます。
ケリー・フォン・エリックはスターだったけど、ケビンは地味な中堅レスラーの印象だったかな。デビッドも覚えているような、いないような…。
ブルーザー・ブロディとか、ハーリー・レイスとか、リック・フレアーとか。ダスティ・ローデス、ファビュラス・フリーバーズとか。
チラッと出てくるだけでも懐かしいですね。もう、それだけで楽しい。
昔はそういう共通言語ってあったなあ…と、思わず遠い目になったりも。
ゴールデンタイムにプロレスやってて、皆が同じテレビ見てましたからね。次の日の学校で、話題になる。
同世代であれば、今でも話が通じますからね。今だと、よっぽどの熱心なプロレスファンじゃないと、話は通じないんじゃないかな…。
今はネットでなんでも見られる時代だけどその分、誰でも通じる共通言語みたいなものは少なくなってる気がします。
地上波のゴールデンタイムにはプロレスもアニメもなくて、なんだか同じ人ばかり出ている似たようなバラエティばかり。
ていうか、そもそもテレビ見ないのか。スマホ見て、TikTokとかYouTubeとかが共通言語になってるから、それでいいのかな。
…と、思わず昭和の繰り言を書いてしまいました。失礼しました。
②悲劇でも保たれる不思議な明るさ
「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの子供たちが次々プロレスラーになったはいいけれど、みんな若くして不幸な死を遂げていって、「呪われた一家」と呼ばれるようになる悲劇。
4兄弟のうち3人が死んでしまうんだから悲惨ですね。幼い頃に死んだ長男も含めれば、5兄弟のうち4人が死んでる。
…と思ってたら、Wikipediaで調べたら実際にはもう一人いて。
映画ではいないことになってるけど、末っ子のクリス・フォン・エリックという人もいて、この人もピストル自殺してるんですね。なんて悲惨な…。
映画でも、十分に悲惨だと思ったけれど。事実は更にその上を行くとは…。
…という、どうしたって暗くならざるを得ない、陰鬱な物語になるはずの映画なのですが。
でも実際に観ると、意外にそこまで暗いばかりの印象でもない。
もちろん悲劇が連鎖するので、悲しい物語ではあるのだけど。
でも決して陰鬱なムードではない。どこまでも、カラッと乾いた明るさみたいなものがあるんですね。
それはたぶん、プロレスという素材の持つ基本的な明るさというのがあって。
主人公のケビンをはじめ、兄弟たちはみんなマッチョ。楽天的で、元気で前向き。
細かいことは考えない。まあ、嫌な言い方をすると筋肉バカとか脳筋とかになっちゃうのですが。
悲劇に見舞われて、彼らももちろん悲しみに沈むのだけど、でもそこから内省に向かうことはない。
誰かを責めることもないし、「どうしてこんなことになってしまうのか」と立ち止まって深く考えることもないんですよね。
それはまあ…良かれ悪しかれ。だからこそ、悲劇が連鎖してしまう…というのも、否めないのですが。
悲劇が起こっていっても、どこか明るい、楽天的な爽やかさが持続していて。
観ていて鬱々としてしまうことがないので、観やすさに繋がっていると感じます。
そして、そんなふうに楽天的であり続け、悲劇が止まらず続いてしまうことの、どこか底知れない怖さがある。明るさの中の怖さが、じわじわ滲んでくるのです。
③「アメリカ式自由」が導く不自由
一面的に言えば、本作は毒親の物語です。
「プロレスバカ一代」みたいな頑固親父のフリッツ・フォン・エリックが、自分が果たせなかった夢を子供たちに託して、プレッシャーをかけ、追い込んでいく。
兄弟で競わされ、時には露骨に期待の対象が移り変わっていく。
子供たちは常に「父の期待に応えねば」というプレッシャーを感じさせられ、追い詰められていくことになります。
でも、決してスパルタ的にしごくとか、本人の意思を無視して虐待するとか、そういう感じではないんですよね。
親子の間に強い確執が生じていく訳でもない。どこまでも、父をリスペクトする素直な子供たちと、慕われるオヤジの関係性が続いていきます。
フリッツは子供たちを鍛えるのだけど、でもプロレスラーになることを押し付けているわけではない。
ことあるごとに、「決断するのは自分だ、自分で決めろ」と言い続けます。
これは母ドリス(モーラ・ティアニー)も同じなんですよね。
若い頃に夫に期待することを諦め、宗教にどっぷりハマることに生きがいを見出しているドリスは、息子に相談されても「兄弟のことは兄弟で決めて」と突き放します。
すべては自己責任。まさにアメリカン・ウェイと言うべき、自由を尊重する考え方。
しかしその中で描かれるのは、なぜか自由とは真逆のような生き方になっていく子供たちの姿です。
突き放されることで、親を振り向かせたいと思ってしまうんでしょうか。逆に、全面的に親の望みに応えようとしてしまう。
本作では、自由と自己責任を尊ぶアメリカの基本的な考え方が、逆に自由とは対極のような生き方を強いていく怖さが描かれています。
④垣間見えるドラッグの問題
フォン・エリック兄弟の悲劇は「呪い」という言葉で語られるのだけど、そこにはプロレスの構造的な問題があることも、事実の一端ではあるだろうと思います。
具体的には、ドラッグの問題ですね。レスラーの健康を蝕むステロイド(筋肉増強剤)の問題。
自分の体を痛めつけてナンボのプロレスでは、ペインキラー(鎮痛剤)の中毒になるレスラーも多いと言われていて。
ドラッグによる体へのダメージだけでなく、精神的な影響も多大なものがある。
急な内臓疾患で死亡したデビッドにしろ、義足の痛みに耐え続けたケリーにしろ、ドラッグの影響は確かにあっただろうと思います。
自殺が多いのも、ドラッグが精神的な影響を与えた可能性は否めないでしょうね。
映画では、ドラッグの描写は最低限にとどまっています。あくまでも焦点はそこにはなく、家族のあり方にクローズアップする構成になっていますね。
プロレスそのものの問題に踏み込まないのは狙いなのだろうけど、若干兄弟の死因が不明瞭なものになっていて、本当に不幸な偶然であるような…
まさしく「呪い」としか言いようのない現象であるような見え方も、してしまうものになっていました。
⑤それでも残る、仲良し兄弟の爽やかさ
終盤になるにつれ、どんどん悲劇が積み重なって、どうしようもなくなっていくのだけど。
でも、観るものの心に残るのは、幸せだった頃の家族の姿なんですよね。
いい時の、仲良しな家族の姿。ガタイのいい親子兄弟が集まって、男同士でフットボールしたり、川で遊んだり、わちゃわちゃしてる楽しそうな様子。
それは確かに、今どきどうなんだ?と思わされるような、ホモソーシャルな世界には違いないのだけど。
でもやっぱり、なんかいいな!とも思わされるんですよね。本当に裏表のない、屈託のない、仲良し兄弟の爽やかな関係性。
それは手放しで肯定できるものではないんでしょうけどね。そんな密接な関係性が、過剰に期待に応えようとする生き方を彼らに強いていて、それが悲劇に繋がった…とも言える訳だから。
でも映画は、そんな難しいことを言い募りはしない。失われた「いいとき」をそのままに、爽やかに映し出すのみです。
戯れにフットボールを投げ合う幸せな父子の姿が、最後、生き残ったケビンと息子たちとの間で繰り返される。
少し、繰り返しも暗示するような…。
でもそこには、やがてケビンの妻パム(リリー・ジェームズ)も参加してきて。パムはお腹が大きくて。
ドリスはそこには絶対に参加しなかった訳だからね。彼らの未来は、呪いとは関係ないだろうと思える。
その通りに、現実のケビンが築いた大家族の肖像を写して、映画は終わります。
よかったねケビン!と素直に言いたくなる、ハッピーエンド。
あえて「問題提起」とかお説教ぽくなる要素を最小限にして、素直に家族のドラマを描いた本作は、逆に独自性を持っていたと思います。
ザック・エフロン出演作品。彼を始め、俳優たちの「プロレスラーの体のつくりっぷり」は凄いです。
デビッドのハリス・ディキンソン出演。
リリー・ジェームズ出演。