Stop Making Sense(1984 アメリカ)

監督:ジョナサン・デミ

舞台構想:デヴィッド・バーン

製作:ゲイリー・ゴーツマン

製作総指揮:ゲイリー・カーファースト

撮影:ジョーダン・クローネンウェス

編集:リサ・デイ

出演:デヴィッド・バーン、クリス・フランツ、ティナ・ウェイマス、ジェリー・ハリソン、スティーブ・スケールズ、リン・マブリィ、エドナ・ホルト、アレックス・ウィアー、バーニー・ウォーレル

①「映画になってる」コンサート映画

トーキング・ヘッズの1983年のステージを記録した、「羊たちの沈黙」のジョナサン・デミ監督によるコンサート映画。

トーキング・ヘッズ/デヴィッド・バーンといえば、2020年公開の「アメリカン・ユートピア」が素晴らしかったので!

A24の公開による4Kレストア版を映画館で観てきました。本当に座ってるのが惜しいくらい、臨場感あふれるライブでしたよ!

 

「ライブコンサートをそのまま記録した映画」って、どうしてもそのバンドの熱心なファン向けというか、よっぽどバンドに詳しくないと退屈なものになりがちだと思うのだけど。

「アメリカン・ユートピア」がそうだったように、本作も非常に起伏に富んだ、観ていて飽きない工夫の凝らされたステージになっています。

 

オープニング、「博士の異常な愛情」パブロ・フェロによる個性的なフォントによるタイトル。これは「哀れなるものたち」に強い影響を与えてますね。

白いスニーカーのデヴィッド・バーンが、明るいままの雑然としたステージに歩いて出てきて、ラジカセのトラックに合わせてギター弾き語りで「サイコキラー」を歌い出す。

もうそこから、めちゃカッコいい訳ですが。

 

1曲ごとにメンバーが一人ずつ増えていき、スタッフによるセッティングも進んでいって、ステージが出来上がっていく過程をそのまま見せつつライブが進む。

一人でギター弾いて歌ってる状態から、だんだん仲間が集まってバンドになり、それだけでなく外部の(黒人の)ミュージシャンを招いて異質なグルーヴを導入していくという、バンドの成長と変化を凝縮してステージ上で見せてしまう。

 

非常にコンセプチュアルで、アート的。いわば頭でっかち(トーキング・ヘッズ!)なのだけど、進んでいくほどに演奏はむしろフィジカルになっていく。

ただひたすら祝祭的で、音楽の快感に身を委ね、何も考えない(ストップ・メイキング・センス!)ものになっていくという。

言葉でなく、体で感じるコンセプト。見事にストーリーのある「映画」になっていると思います。

 

②やみくもな情熱が感動を呼ぶ

「アメリカン・ユートピア」がバーンによるMCも多く、歌詞も政治的にわかりやすいものが多くて、当時のアメリカの世情(トランプ政権下)を連想しやすいものになっているのに対して、本作にはMCはほとんどありません。

歌詞も抽象度が高くて、直接的な言葉のメッセージ性は高くない。

代わりに全編に満ちているのが肉体言語です。徹底的にフィジカルであること、常に体を動かして、体そのものに語らせることで、言葉よりも雄弁になっていく。

 

バーンのダンスの、40年後に見てもなお斬新極まりないオリジナリティの高さ。

痙攣とか、ニワトリとか、いろいろ言われていたけど。通常のダンスのセオリーじゃないダンス。ダンスというか、振り付け? 運動?

ほぼ「走ってる」とかですからね。ダンサーというより、ほとんどアスリートのよう。

技巧がすごいとかでは全然ないのだけど。でも、歌い続けながらずっと走り続けてるのはどえらい運動量で、見てるとなんだか感動してきます。

 

バーンのダンスも、考えて考えて、「意味をなくして、肉体で語る」にはどうすればいいかを考えて、その結果として絞り出したもの…という感はあります。

その意味で、やっぱり頭でっかち。コンセプト重視のものではある。

バーン自身、自分のそんな限界をわかっている。本当に頭からっぽにすることはできない。でも、それを運動量で超えていこうとする、やみくもな情熱があるんですよね。

 

そして、バーンの横で楽しそうにステップ踏んでるティナ・ウェイマスのキュートさ!

必死で頭で考えて考えて、意味を振り払おうと苦しんでるバーンの横で、いとも簡単にコンセプトなんて脱ぎ捨てて、ただ軽やかに飛び跳ねてる。

ティナだけじゃなく、他のメンバーたちも自由に見える。

バーンのコンセプトを体現するためのステージではあるのだけど、決してバーンが独裁者で、統率してやらされてるようには見えない。

この対照があることで、ステージがバーンによるコンセプトでがんじがらめになることなく、とても風通しの良いものになってるんですよね。

 

一体感が高まるほどにグルーヴも高まるのだけど、一方でメンバー間の確執も高まってしまって、大抵のバンドは仲違いして分解していく。それもまた、バンドあるあるなのだけど。

このステージにおけるメンバーたちは基本自由で楽しそうで、「バンドのいい時」を捉えているように見えますね。(実際どうかは、わからないけど)

 

「アメリカン・ユートピア」の時もそう思ったけど、観て本当に元気になれました。

「元気をもらえる」という言い方は、あまり好きではないのだけど。でもまさにそんな感じ。

とりあえず、「運動しなきゃ!」と思いましたね。走りにでも行こうかな。