Poor Things(2024 イギリス、アメリカ、アイルランド)
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:トニー・マクナマラ
原作:アラスター・グレイ
製作:エド・ギニー、アンドリュー・ロウ、ヨルゴス・ランティモス、エマ・ストーン
製作総指揮:オリー・マッデン、ダニエル・バトセック
撮影:ロビー・ライアン
美術:ジェームズ・プライス、ショーナ・ヒース
衣装:ホリー・ワディントン
編集:ヨルゴス・モブロプサリディス
音楽:イェルスキン・フェンドリックス
出演:エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ、ジェロッド・カーマイケル、クリストファー・アボット
①意外にあたたかい新作!
ベラ(エマ・ストーン)は橋から身を投げ自殺した後、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって彼女自身の胎児の脳を移植されて蘇ります。ゴッドウィンの助手マックス・マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)はベラに求婚しますが、好色な弁護士ダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)に誘惑され、ベラは世界を知る旅に旅立ちます…。
「ロブスター」「聖なる鹿殺し」のヨルゴス・ランティモス監督、「女王陛下のお気に入り」に続いてエマ・ストーンとのコラボによる新作です。
ヨルゴス・ランティモス監督、これまでは人々の愚かさを高みから見下ろして冷笑するような、冷徹な視点が持ち味でした。
抗えない運命の中で翻弄され、心の弱さから自壊していく人間たちを客観的に描いていく。
同情しないんですよね。突き放して、冷静に観察する。ギリシャ神話で天空から人々の営みを見下ろす神々のような、俯瞰した視点が独特で、不穏で気持ち悪くもクセになる作風です。
今回、そんな監督にしては、ずいぶんと「あたたかい」作風だと思いました。
欲望をむき出しにした人間の「動物性」や、欲望に囚われて自滅していく愚かさを描いているという点では同じなのだけど。
でも、突き放した冷たい視点ではない。
欲望に溺れて自滅するダンカンに対しても、善人だけど凡庸なマックスに対しても、滑稽さを笑いこそすれ完全に突き放すことはない。共感を持って寄り添う描き方になっていますね。
その点で、これまでの中ではもっとも観やすい作品と言えるんじゃないでしょうか。
②規範を排してむき出しで描かれる「成長」
普通、人間というものは、能力を著しく制限された状態から成長を始めます。
一人では何もできない赤ん坊から始まって、行動を制限され育ててもらっている間に、少しずついろんなことを学んでいく。
やっていいこと、悪いこと。どんなことをすれば褒められ、どんなことをすれば叱られるか。
少しずつ成長し、自分でできることを増やしていきながら、一方で「やってはいけないこと」を覚えていく。
どんなことをしたら恥ずかしいか。こんな場合には、どういう行動を取るのが普通か。そんな「普通」を身につけていく。
社会的規範からはみ出してしまわないための、それは人間に備わった安全装置であるとも言えますね。
ベラというのは、要するにその安全装置の外れた存在ですね。
精神は赤ん坊でも、最初から成人女性の身体能力を持っている。つまり、規範を身につける前の段階で既に何でもできちゃう。
自分を抑えつけるものを何も持たない、最強の学習成長マシーンの誕生です。
ただ気持ちいいことしたいという欲望のままにセックスし、世界を見たいという思いのままに家も国も飛び出して、大冒険に出かけていく。
倫理的な縛りもないし、情緒的な制約もない。
ゴッドへの愛とか、優しい婚約者への義理とか、感じていてもそれはそれ。ベラを止める抑止力にはならない。
現実の人間には達成できないレベルの自由さは、実に爽快な気分にさせられます。
また、このベラの有り様は、人が成長するということについて、余計な虚飾を取り除いた本来の姿を見せてくれています。
見たい、知りたい、やってみて学んで、もっと上手くできるようになりたい…という衝動の繰り返しこそが成長ですからね。
「人間が成長するというのは、どういうことなのか」を、純粋にそれだけ取り出した形で見ることができる。本作の特異な設定には、そんな側面もありますね。
③否定ではなく、受け入れることによる「解放」
社会的規範を身につけることは、生きていくための安全装置。
しかしそれは一方で、その時代ごとの支配者層の勝手な都合で定められる、都合の良い枷でもあります。
特に女性は、世界中のどこでも、長いこと「社会的規範による制約」をかけられてきました。
妻は夫に従属すること。政治や社会のリーダーシップをとるのは男の仕事。男がルールを決め、女はそれに従う。それが世の中の当たり前の常識…だった時代が、長く長く続いたわけです。改善されたとは言え、今も…なのだと思いますが。
「あるべき女性の姿」を一切無視して突き進むベラは、関わる男性たちの当たり前も突き崩し、皆の精神を翻弄していきます。
かと言って、単純なフェミニズムの構造に落ち着くわけでもない。
規範に縛られないベラは、男を拒むこともしないんですよね。あらゆる男を受け入れていく。
「政治的に正しい女性のあるべき姿」からさえも自由なのがベラ。
とんでもない人体実験の張本人であるゴッドウィンも、その助手であるマックスも、下品な放蕩者であるダンカンも、ベラは拒まない。素直に受け入れ、彼らの願望も(自己が許す限り)受け入れていきます。
更には、娼館の臭い客たちさえも。
どんどんダメな感じになっていくダンカンにしても、ベラの方から見捨てることはない。去っていったのはダンカンの方です。
最後に登場する「生前のベラの夫だった男」にしても、ベラはまずは受け入れる。
受け入れてついて行き、彼がどういう人物なのかを知り、彼が最低のクソ野郎であることを知った上で、そこでようやく拒否をする。
ちゃんと知るまで拒否をしない。どんな相手でもまずは一回受け入れて、知って、それから判断する。実に誠実な態度ですね!
本作で描かれるのはだから、単なる「女性の解放」ではないんですよね。
主題はもっとデカい。男も女もない、人間全体に関わること。
あらゆる先入観からの解放。世の中の常識や、社会的評価や、既に受け入れられている常識でものごとを判断しないこと。
そうではなく、自分で見て、話して、触れ合って、ちゃんとものごとを知った上で、自分自身で判断すること。
そうして選んだ人生であれば、それはまさしく自分で勝ち取った人生であるのだということ。
男たちと共に「家族」に安らぎを見出すラストシーンも、だからベラが自分で選んで、勝ち取ったものであるわけです。
④動物と人間の関係
ランティモス監督の作品には、よく動物が出てきます。
「ロブスター」は「結婚できないと動物にされてしまう世界」のお話でした。
「聖なる鹿殺し」では呪いをかけられた子供たちが歩けなくなり、動物のように這い回る様子が描かれました。
「女王陛下のお気に入り」では、女王が死んだ子供たちの身代わりとなる17匹のウサギを飼っていました。
「ロブスター」でペナルティとされているように、動物は理性や知性を持たずに生きているものとして、理性や知性のある人間と対比される存在です。
下等で、下賤であるもの。泥の中を這い回り、あさましく残飯を漁るもの。
…なのだけど、欲望に浮かされて、理性や知性を失ったとき、人間はいとも簡単に動物と同じものになってしまいます。
本作では、ベラが急速に「動物から人間へ」の過程を辿っていく。
一方で、彼女の周囲の男たちは堕落して動物に堕ちたり、動物のごとき様相を呈したりしていきます。
動物と人間の間を行き来しつつ、なんとか人間性の側に踏みとどまろうとし続ける運動こそが、人間の社会であるということなのでしょう。
だからこそ、粗暴な元夫への最大の懲罰は「動物にすること」なんですね。比喩じゃなく物理的に、ヤギにしちゃう。
⑤美術、音響、そしてエマ・ストーン!
全編を通して、美術は素晴らしく魅力的です。
あえておもちゃっぽく、ミニチュアのように撮影した、ジオラマのような背景美術。
世界を箱庭のように見せる、これまでの「神様視点」を思わせるものでもありますが。
本作のミニチュア風世界は冷たい箱庭実験の場ではない。やはり暖かさを感じる、ポップでかわいい世界になっています。
そして音響。現実を受け止める感覚を微妙に歪める、調子はずれな不協和音。
不穏さを掻き立てる音響が、実に魅力的でした。
そして俳優たち。正真正銘「体当たり」のエマ・ストーンをはじめ、みんな面白かったです。
ほぼ「顔芸」で、赤ちゃんから成熟した大人の女性への変化を一人で演じ切ったエマ・ストーン、素晴らしい。
本作はR18で、実際非常にセックスシーンの多い作品なので、どういうシチュエーションで観るかはやや要注意ではあります。
ただ、直接的なシーンがこれでもかと描かれる割には、エロチックなものはほとんど感じないのが意外でした。
そこはやはり、縛りとなる社会的規範がない状態での行為を描いているので。「背徳」がないんですね。
「背徳」がないと、性行為は別段エロいものではなくなるという。これまた目から鱗でした!