このブログ著者のホラー小説「悪い月が昇る」が竹書房より発売中です。

↑こちらで冒頭試し読みしていただけます。

 

 

The Exorcist: Believer(2023 アメリカ)

監督:デビッド・ゴードン・グリーン

脚本:ピーター・サットラー、デビッド・ゴードン・グリーン

原案:スコット・ティームズ、ダニー・マクブライド、デビッド・ゴードン・グリーン

製作:ジェイソン・ブラム、デビッド・ロビンソン、ジェームス・G・ロビンソン

撮影:マイケル・シモンズ

編集:ティモシー・アルヴァーソン

出演:レスリー・オドム・Jr.、リディア・ジュエット、オリヴィア・オニール、ジェニファー・ネトルズ、ノーバート・レオ・バッツ、アン・ダウド、ラファエル・スバージ、エレン・バースティン

①ネタバレについての前口上

12年前、ハイチ。ビクター(レスリー・オドム・Jr.)は震災にあって妊娠中の妻を亡くし、娘アンジェラが残されます。

現在。父と二人で暮らすアンジェラ(リディア・ジュエット)は友達のキャサリン(オリヴィア・オニール)と二人で森へ行き、行方不明になります。3日後、帰ってきた二人は記憶を失くし、性格も変わり果てていました。ビクターは隣人アン(アン・ダウド)から紹介され、かつて娘の悪魔祓いに立ち会ったというクリス・マクニール(エレン・バースティン)に連絡をとります…。

 

「ハロウィン」新3部作デヴィッド・ゴードン・グリーン監督版、「ハロウィン」と同様、その後の続編を無視して1作目の直接の続編となる「エクソシスト 信じる者」。

オチに向けて、最初からじっくり伏線を貼ってある、グリーン監督らしい作風

オリジナルが好きなのだなあ…というのは伝わる。1作目と同じパターンを避けつつ精神は継承するという、続編としてあるべき映画になっていたと思うのだけど。

 

オチはきれいに決まる。伏線が解消されて辻褄が合う、バッドエンドともグッドともつかない感じだけど、ある種の気持ちよさはある。

ただ、非常にモヤっとするんですよね…

なんというか、オチありきの作劇というか。

オチのために、最初からすべての要素が配置されている。

これは、作劇としてはあんまり良くないんじゃないか…という気がして、モヤモヤしてしまいました。

 

というわけで、今回は本作の作劇について、何が問題なのか?を検証してみる内容です。

なので、プロットの面ばかりに集中した見方になっているし、オチまで全部明かした上での記事になります。オチまで書いちゃってるので、映画を未見の方はご注意ください。

 

②ここからネタバレ注意

というわけで、オチを先に書いちゃいます。ネタバレ注意。

 

ビクターはキャサリンの両親と協力し、隣人たちと団結して、アンジェラとキャサリンの悪魔祓いに挑みます。

アンジェラに取り憑いた悪魔は、ビクターが12年前、妻と胎内のアンジェラのどちらの命を救うかの選択を迫られ、妻を選んだことを暴露します。

そして、悪魔はまたビクターに選択を迫ります。アンジェラかキャサリンのどちらを救うか決めろ、決めないと二人とも死ぬ、と。

ビクターは選択を拒否しますが、キャサリンの父がキャサリンを救うことを選んでしまいます。

アンジェラは死に、キャサリンは助かった…かのように見えましたが、アンジェラは息を吹き返し、キャサリンは地獄に引き込まれて死んでしまいます。

 

つまりこれは、どちらか選ばせて人間同士を対立させ、なおかつ選んだ方を地獄へ落とすという、悪魔の邪悪なたくらみだったのでした。

なので、本作のラストでは一応アンジェラは助かるのですが。

人々の信仰心が勝って悪魔を撃退したわけではなく、すべて悪魔の思い通りになっただけ、というバッドエンドということができます。

 

まあ、1作目でも悪魔祓いが成功して悪魔を撃退したわけじゃなく、カラス神父のヤケクソみたいな行動で悪魔を道連れにしただけだったのでね。

「人間は悪魔に勝てない」というのが「エクソシスト」の冷徹な前提なので。その意味で、1作目の精神を継承していたと言うことはできます。

冒頭の地震シーンでの命の選択を伏線として、ビクターに同じ選択をなぞらせ、命について考えさせるという、テーマ性を濃厚に打ち出したものになっていたと思います。

 

ただ…徒労感というか。あれほど団結と信仰の力を言っていた割にはほとんど何の抵抗もできず、悪魔が最初から意図した通りになっただけ…という虚しさは残りますね。

素人悪魔祓い集団も、クリス・マクニールも、本作の登場人物たちはみんなあまりにも不用意ですね。特に何の勝算もないまま、悪魔との戦いに突入して、案の定自滅する。

そのとばっちりをキャサリン一家だけが引き受けて不幸のどん底に突き落とされ、他のみんなは何となくやり遂げた顔をして終わるという。

結局、全然勝ててない。1作目ではまだしも、メリン神父とカラス神父の捨て身によって悪魔に打ち勝つ様を描いていただけに、なんじゃそらという後味になるのは否めないです。

③「セブン」との対比

本作の構成は「セブン」ですね。

(…って書くために「セブン」のオチも書いてしまうので、「セブン」を未見の方は読まないように!)

起こっていることは実は悪役がラストまでの筋書きを計算した上での出来事であって、すべては最後の目的のための布石になっている。

その目的は最後まで伏せられていて、最後に悪役が目的を遂げて、種明かしと共にバッドエンドになる。

 

「セブン」では最後に主人公が悪役があらかじめ用意していた罠にはまり、悪役の目的を達成させてしまって、著しく「気の悪い」ラストになるのだけど。

バッドエンドの不快感と同時に、パズルのピースがきれいにピタッとはまる爽快感はある。

なので、気持ちよさと気持ち悪さが同時に訪れるという、一種独特な感覚になる。そこが「セブン」のオリジナリティで、誰もの記憶に強烈に刻まれるところですね。

 

本作の悪魔も「セブン」の殺人鬼と同様に、最初からこのオチに導くことを狙いとして、ビクターに狙いをつけ、アンジェラとキャサリンを手駒として使ったのだと言えます。

ただ、本作には「セブン」の爽快感はない。

オチに導くために、最初からすべての要素が配置されているのは同じ…であるはずなのに。

何が違うのだろう? …というのが、僕の感じたモヤモヤで、それを解消するために今この記事を書いているわけです。

④プロットのためにいるキャラクターという問題

…で、自分なりに考えた結果なのですが。

本作の問題は、キャサリンというキャラクターの扱いだと思います。

アンジェラと共に悪魔に取り憑かれる、キャサリンというキャラクター。彼女が何のためにいるかというと、「最後にどっちを救うかの選択をさせるため」なんですね。

冒頭の「妻と子の命の選択」というトラウマを生かして、ビクターというキャラクターに選択を突きつけるというプロットを成立させるために、どうしても必要になる「アンジェラと対になるもう一人」のキャラクター。それがキャサリンなのです。

 

本作は二人の少女が悪魔に取り憑かれるというプロットなのですが、視点は常にビクターとアンジェラの父子の側にあって、キャサリンはあくまでも脇役です。

キャサリンと彼女の両親は、主にビクターの視点を通して描写されるのだけど、その心情や背景、過去といったものに深く入り込んでいくことはない。

なので最後のオチに至って振り返ると、キャサリンはただそのオチで犠牲になるために配置されていたように見えてしまいます。

 

ラストで観客があまり嫌な気分にならないように気を使ったのだと思いますが、本作では「観客がキャサリンとその両親にあまり感情移入しないように」されています。

キャサリンの人となりについてはあまり知らされず。彼女が元気だった頃に関しては、必要最小限の描写しかない。

キャサリンの両親も「なんだかイヤな奴」に描写されていて、観客は彼らを嫌うように、仕向けられています。

そのおかげで、本作は最後、キャサリンや彼女の両親の立場に立つと最悪のバッドエンドなのだけど。

それをあまり感じなくて済む。アンジェラが助かってよかった、一応ハッピーエンドっぽい気分…というところで終われるようになっています。

 

…っていう作為が、それでもやっぱり見えちゃう。そこが本作の作劇の問題点ですね。

キャサリンと彼女の両親というキャラクターが、プロットを成立させるための都合のいい手駒、なおかつ見捨てられるためだけに設定された捨て駒に見えてしまう。

「セブン」との違いは、そこですね。プロットのために都合よく置かれたキャラクターがいると、それは「きれいな伏線解消」には見えず、ご都合主義に見えてしまいます。

⑤人間が描けているかどうか

1作目ではカラス神父が悪魔を引き受けて自滅し、リーガンを救うのだけど。

それが感動的なのは、やはりカラス神父がもう一人の主人公として、その内面や人間関係も含めて分厚く描かれていたからですね。

キャサリンとその両親…少なくともキャサリンの父親が、ビクターと同じボリューム感で描かれていたら、印象は違ったと思います。

 

また、もし本作のクライマックスでビクターが誘惑に負けて、「アンジェラを救う!」と選択してしまい、アンジェラが死んでキャサリンが助かる、すなわち映画と逆になっていたらと想定してみると。

もしそうだった場合、キャサリン側の描写が薄くても、それほどおかしくは感じない。ご都合主義感は軽減されていたんじゃないかな…と思います。

 

その場合、完全にビクターの物語になるので。

ビクターの心の弱さだけが主題になり、ビクターが悪魔と戦って負ける物語になるので。キャサリンとその両親が背景に過ぎなくても、それならそれほど気にならないものになっていたんじゃないかなあ…。

まあ、それだと本当に「セブン」になるので。後味の悪さはとてつもないし、エクソシストを名乗る映画でそんなオチはそれこそ非難轟々だったかもしれないですが。

 

いずれにせよ、やはり「人間が描けているかどうか」が重要なポイントで、それはホラー映画であっても、ジャンル映画でも変わらない。

むしろジャンル映画だからこそ、登場人物がプロットのためのコマに見えないよう、人間らしく描き込むことは大事なのだろうと思います。

物語の中で、誰かが何らかの選択や行動をとるためには、そうなるための背景が必要。当たり前のことですけどね。

面白い「どんでん返しのプロット」を思いついた時には、それを忘れてしまいがちなのだろうなあ。…と、自戒を込めて思ったのでした。

 

 

海藤文字「悪い月が昇る」、ブログを気に入っていただいた方はぜひ読んでみてください。全国書店や通販サイトで発売中です!

 

ダ・ヴィンチWebで「悪い月が昇る」紹介していただきました。

 

 

 

オリジナル版「エクソシスト」はこちら!

 

 

 

 

 

デヴィッド・ゴードン・グリーン監督の新ハロウィン3部作。だんだんハロウィンそっちのけで語りたいテーマを語る方へ行ってしまう。そのクセの強さは嫌いじゃないんですけどね…。