Triangle of Sadness(2022 スウェーデン)

監督/脚本:リューベン・オストルンド

撮影:フレドリック・ウェンツェル

編集:リューベン・オストルンド、マイケル・シー・カールソン、ジェイコブ・シュレシンジャー、ベンジャミン・ミルグレット

出演:ハリス・ディキンソン、チャールビ・ディーン、ウッディ・ハレルソン、ビッキ・ベルリン、ヘンリック・ドーシン、ズラッコ・ブリッチ、ジャン=クリストフ・フォリー、イリス・ベルベン、ドリー・デ・レオン、ズニー・メレス、アマンダ・ウォーカー、オリバー・フォード・デイビス、アルビン・カナニアン、キャロライナ・ギリング、ラルフ・シーチア

①セレブを馬鹿にすれはするほどセレブにウケる永久機関!

男性モデルのオーディションが行われ、ゲイのレポーターがモデルたちにインタビューを行います。

モデルたちにレクチャーされるのは、安いH&Mはニコニコ笑顔で親しみやすく。高いバレンシアガは上から見下す感じで…。

 

「フレンチアルプスで起きたこと」で注目されたスウェーデンのリューベン・オストルンド監督

「ザ・スクエア 思いやりの聖域」に続いて、本作と2作連続でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞するという快挙を成し遂げました。

アカデミー賞の作品賞にもノミネートされています。

 

非常に高い評価を受けている訳ですが。

本作を観て、また「ザ・スクエア」と合わせて、この監督の作品が高く評価される理由が分かったような気がしました。

本作も「ザ・スクエア」も、スノッブなセレブをとことん醜悪に、バカにして笑いのめして描く映画で、そしてカンヌもアカデミー賞も選ぶ側にいるのはみんなスノッブなセレブだから。

 

「セレブはセレブでも、自分はこっち側のセレブじゃない」と言いたくなるんでしょうね。

怒ったり不快になったりすると、こっち側ってことになるからね。自分たちのアリバイ作りのために、高く評価しちゃうのかなあ…なんてことを思いました。

 

セレブを馬鹿にすればするほど、セレブが高く評価する。

この仕組みを考えついたオストルンド監督、頭いいのかもしれない。

 

②世界一不毛な会話劇

人気モデルでインフルエンサーのヤヤ(チャールビ・ディーン)と、落ち目のモデルのカール(ハリス・ディキンソン)は、レストランでどっちが支払うかについて延々と揉め続けます…。

 

「デートで男がおごるか論争」なんてのも最近ありましたが。

カールはネチネチしつこく「なぜ当然のように男に払わせようとするのか」とヤヤに絡むのだけど。

そこでの物言いが「男女の役割意識はおかしいから」「人として対等でありたいから」とかのポリコレなのが鬱陶しいですね。正直に金が惜しいと言えばいいのに。

 

対するヤヤの方も、見限るのかと思えば戻ってきて、「妊娠して仕事ができなくなったら女は困るから」なんていう理屈を言う。

金が惜しいじゃなくて、男女同権みたいなことで議論を吹っかけてしまってるので、カールはこれで論破されてしまいます。弱い…

 

終始二人とも、上っ面でしか喋ってない。誰かの受け売りのような空疎な言葉しか発していない。

それでコミュニケーションが成立していて、世にもどうでもいい美しいカップルになってるんですよね。

見事な「中身ゼロ人間」っぷりの描写。すごいなあ、と思います。

③人間なんて所詮……

ヤヤとカールはインフルエンサーとして高級クルーズ船に乗ります。乗客はロシアの富豪夫婦や武器商人の老夫婦など金持ちばかりで、無理難題を言いまくりますが、スタッフたちは高額チップのために笑顔で耐えます。

船長(ウディ・ハレルソン)は酔いどれ。キャプテン・ディナーが嵐の夜に行われますが、やがて船の揺れは極限に達し、乗客たちは船酔いで阿鼻叫喚の事態に…。

 

世界というのは結局モノの見方なので、人間なんてみんなクズであるという視点で見ればこの世はそういうものになる。

人間はみんな利己的で、他人より優位に立つことだけがその目的で、思いやりなんて幻想で、どうしようもない馬鹿なので学習能力もなく、そのくせ自分が賢いと思っている、地球にとって害悪でしかないから滅びた方がいいウンコとゲロの製造機であると。

 

それはまあ、ある意味で身も蓋もない真実であって。

本作はそういう立場で貫徹された映画です。なので、思いやりとか人間讃歌とか、そうであっても人間って素晴らしいよね…とか、1ミリも期待してはなりません。

 

この「ヨット」パート、前半では金持ち老人客たちの下品なワガママ放題が描かれて、心底イヤーな気分にさせられます。

ロシアの富豪の奥さんが、若い女の子のスタッフにぐちぐちぐちぐち延々と絡む。年寄りにクレーマーが多いのは、暇だからですね…。

絡み方が、文句を言うんじゃなくて、「あなたもプールで遊びなさいよ!」とか言ってくるんですよね。

善意みたいなふりをしてるけど、実のところは相手を支配下において、自分には権力があるんだぞ!って誇示したいだけ。

パワハラの典型ですね。権力持ってるんだから鷹揚にしてればいいのに、権力持ってるぞ!ってでかい声で叫ばずにいられないんですね。

馬鹿が権力持つとこうなる。身近でも、若い奴でもコレよく見ますね。

 

それに対する「使われる側」の人たちが、ただ虐げられてかわいそうなのかと言えば、そんなこともなく。

高額チップもらうぞ!おー!とかやって盛り上がってるので、同じように馬鹿で醜悪ですね。平等な描き方。

使用人同士でもヒエラルキーはあって、お客と接するサービススタッフは若い白人で小綺麗にしてて、船の底の方で掃除とか運航とか料理とかしてるスタッフは有色人種。

最下層の人たちは使用人の中でも見下されてて、お客のクレームがあるといとも簡単にクビにされてしまう。

 

そういう感じで金持ちも貧乏人も等しく馬鹿にして描かれるので。

後半、いよいよ彼らが酷い目に遭っていくところでも、観ていて胸は痛まない。

ただ、観ていてスカッとするかと言えば、そんなこともないんですよね。ひたすら、彼らが吐くゲロと、トイレから溢れた大便を見せつけられるだけだから。

 

最近、なんか映画でゲロとかウンコを見せられることが多くないですか?「バビロン」もゲロとウンコだらけでしたよね。

「ベネデッタ」でもウンコしてたし。何なのだろう。映画業界で、ゲロとかウンコを再現する技術が上がったとか?

正直言って見たくないよ。そんなところの技術革新しなくていいです。

④逆転してもパワハラは継続

船は嵐を乗り越えますが、海賊に爆破されて難破。ヤヤとカールは数人の乗客やスタッフと共に、無人島に流れ着きます。サバイバル生活が始まりますが、金持ちたちは何にもできない。リーダーになったのは、船では最下層だったトイレ掃除婦のアビゲイル(ドリー・デ・リオン)でした…。

 

威張っていた金持ちと使用人の関係が、無人島に来て大逆転。

分かりやすい展開だし、いかにもカタルシスになりそうですが。

アビゲイルがタコ獲ったり焚き火したり活躍する最初のうちは、そんなモードで観られるのですが。

じきにアビゲイルが調子に乗り出して、あーあ…って感じになっていきます。

 

食いものを与える権利で皆を支配下において、夜な夜なカールに「性的奉仕」をさせるアビゲイル。

「強制はしてない」「嫌ならやめていい」とか口では言うんですけどね。実質的強制。セクハラ、パワハラ…と言うか、これ権力を利用したレイプですよね。MeToo運動で問題にされてたのと同じこと。

 

やってることはロシア人富豪の奥さんと同じ。

金持ちだからゲス野郎で、貧しい人は心清らか…なんてことはまったくなく、どっちも権力持っちゃえばやることは同じ

相手が逆らえないのをいいことに、相手に自分の言うことを聞かせて、支配する万能感を堪能するという。クソですね。

 

金持ち世界でも、無人島でも、数名の人間を放り込んでしばらく放置してしてみると、自然と支配する人とされる人に分かれていって、なんか気持ちの悪い主従関係ができていく。

それが人間という生物の習性。絶望的ですな。

⑤ラストについて(ネタバレあり)

そんなサバイバル生活もずいぶん経って、島の反対側に来てみたヤヤとアビゲイルは、エレベーターを発見。ここは無人島じゃなく、リゾートの一部だった!と気づきます。しかし、アビゲイルは石を持ってヤヤの背後へ…

 

出口を見つけてほっとして、「ここを出たら雇ってあげる」とアビゲイルに言うヤヤ。

ヤヤってそこまで大富豪でもなくて、モデルとインフルエンサーでそこそこ成功した…というだけだと思うのだけど、それでもアビゲイルを前にすると、優しくする手段は「雇う」という発想が自然に出てくる。

ヤヤとアビゲイルの違いは、人種。あと年齢ルックス

これって、何気に本作でいちばん差別的な発言なのではと思います。

 

ラストは、アビゲイルがヤヤを殺して支配者の地位を守ろうとしたのか、それとも殺さなかったのか、どちらかは見せない形で終わります。

アビゲイルはギリギリで思いとどまった…であれば、ヒューマニズムなんだけど。

ここまでのこの映画の世界観であれば、当然アビゲイルは殺してますよね。

殺すけど上手く隠せず、動揺してみんなにバレてしまう。

最後が「カールが走ってるシーン」なのは、慌ててヤヤの(死体の)元に向かってるところなんでしょうね。

 

…という締めくくりでした。

が、このラストで何よりも先に思ったのは、今まで誰も島の探検してないんかい!ということでしたね。

これはさすがに、こいつら一般的な基準よりだいぶ馬鹿だ…と思えるので。

本作に関しては、むしろ救いのように思える感もありました。