Benedetta(2021 フランス)

監督:ポール・ヴァーホーベン

脚本:デヴィッド・バーク、ポール・ヴァーホーベン

原案:ジュディス・C・ブラウン

製作:サイード・ベン・サイード、ミヒェル・メルクト、ジェローム・セドゥ

撮影:ジャンヌ・ラポワリー

美術:カーチャ・ヴィシコフ

編集:ヨープ・テル・ブルフ

音楽:アン・ダッドリー

出演:ヴィルジニー・エフィラ、シャーロット・ランプリング、ダフネ・パタキア、ランベール・ウィルソン、オリビエ・ラブルダン、ルイーズ・シュビヨット

①ナンスプロイテーション!

17世紀。6歳でペシアの修道院に入ったベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)は、繰り返しキリストの夢を見ていました。父の暴力から逃げてきたバルトロメア(ダフネ・バタキア)を助けたベネデッタはある夜聖痕を発現し、奇跡と見做されて修道院長に抜擢されます…。

 

「ロボコップ」「トータル・リコール」「ショーガール」でおなじみ。最近では「エル ELLE」がカンヌで評価されたポール・ヴァーホーベン監督の新作。フランス映画です。

 

最初に感想言っておくと、めちゃめちゃ面白かったです!

さすがヴァーホーベン。

中世の修道院が舞台で、宗教的な物語なんだけど、本質はいつも通りのエロとグロ

軽快なスピードで疾走し、どんどんエスカレートしていく過激なエンタメ作品になっています。

 

本作は、ナンスプロイテーション映画

…って、そんな言葉があるのも初めて知りましたが。尼僧や女子修道院をテーマにしたエクスプロイテーション映画をそう呼ぶそうです。

映画における「修道女モノ」というジャンルについては、本作のパンフレットでみうらじゅん氏が一文を寄せていて、まさしく!という感じではあります。

 

本作はまずはそういう扇情的なエンタメ映画なのですが、同時に結構真剣に、宗教や愛、「神を信じること」について考察した真面目な映画でもあるんですよね。

宗教や神秘体験、神や奇跡について、基本的には合理的な視点で、懐疑的に。

でも、まるっきり切り捨ててしまうでもなく、祈りや宗教的な救いについては、真摯に追求していく。ニュートラルな視点で描いていきます。

なので、ただ刺激を求めるだけじゃなく、シリアスな思索を深める映画にもなっていて。非常に見応えある作品でした。

 

②下ネタ満載の庶民生活

17世紀フランスの庶民の(そして修道女の)リアルな生活が、丁寧に描かれています。

きちんとした考証のもとに描かれた、今となっては異世界のような過去の世界

まずは、その様々な描写が楽しい作品です。

 

修道院なのに、いきなりお金の話…というのが面白かったですね。ベネデッタの出家にも持参金が必要で、父親はそれを値切ろうとする。

厳しい世の中で、聖職者も生きていかねばならないから、ドライ。

この辺りは宗教批判よりむしろ、宗教が庶民の生活に密着しているからこその事務的さに感じました。(町内会の会費を求められるみたいな)

 

修道院のトイレにプライバシーがないのも初めて知りました。修道女の「連れ便」シーンが描かれたのは映画史上初ではないですかね。

そういうストレートな描写とか。街で道化がオナラ燃やす出しものしてたりとか。

下ネタはヴァーホーベンの昔からの持ち味ですが、ここでは昔の世界の性的な(下ネタ的な)おおらかさの表現になっていて、世界のリアリティにつながってるのが面白いですね。

 

教会の中で「奇跡」が認められていく過程とか。ペストの時代の日常、異端審問の様子とか。

「苦悩の梨」を使った拷問とか。その辺りはまた、本作の「ナンスプロイテーション」的側面になっていくわけだけど。

 

あと、全体を通して興味深いのは、宗教の力が現代よりもずっと強くて、神の実在が人々の中に自然なものとして息づいていた時代の、人々の生活のリアリティ。

その考え方や感じ方。

上に書いた持参金の件のように、宗教や神様が生活の中にあるからこそ、時に神様に対してぞんざいな態度であったりする。そんなリアリティが面白く感じました。

③神秘体験の合理的な追求

エロでグロで扇情的でありつつも、非常に理知的で合理的な肌触りを感じさせもするのが、本作の特徴です。

それは、宗教的な神秘体験へのニュートラルな探究心が、本作を貫いているから。

 

ぶっ飛んだ話ですが、本作は実話ベネデッタ・カルリーニは実在の人物です。

細部はフィクションであるにせよ、本作で描かれる聖痕、彗星、一度死んで復活などの奇跡は、実際に起こったこととされています。

本作は、語り継がれるベネデッタの“奇跡”が実際には何だったのか、合理的にはどんな説明が可能なのか、それでもまだ残る神秘性はあるのか…を解き明かしていくミステリでもあります。

 

冒頭、6歳のベネデッタが修道院へ行く途中、盗賊に襲われます。

幼いベネデッタは盗賊に罰を与えるよう神に祈り、すると鳥のフンが盗賊を直撃。盗賊は笑って去って行きます。

これは大人たちにとっては、単なる微笑ましい偶然ですよね。

でも幼いベネデッタにとっては、自分の祈りが神に通じたという強烈な原体験です。この経験がベネデッタに「自分は神に選ばれている」という自覚を与えたのかもしれません。

 

ベネデッタの“奇跡”はこのような、幼少期からの暗示や思い込みの積み重ねが原因であるように、ヴァーホーベンは示唆しているようです。

聖痕も、おそらくはベネデッタが自作自演でつけたものなのでしょう。決定的なシーンはないけれど、ほぼそう感じられるように描かれています。

 

ただ、その動機が人々を騙して権力を得ることなのかと言えば、そうとも言えないように見えます。

ベネデッタは、自分が神に選ばれ、キリストと対話できることを本気で信じているように見えます。聖痕は、ただそれを人々に認めさせるための手段に過ぎない。

自分が神に選ばれていることは事実だし、ペストから街を守るために神の言葉を届けなくてはならないのだから、聖痕をでっち上げることも許される…という発想です。

ベネデッタとしては、どこまでも正当な行動なんでしょうね。

④対話の相手は神様か悪魔か

そういう神の名のもとの行動の一方で、ベネデッタはバルトロメアとのレズ行為にもふけっていきます。

修道院長の個室を得たのをいいことに、二人でやりたい放題。

母親からもらったマリア像をガリガリ削って張り方にしちゃうのだから、信心もへったくれもないように見えますけどね。

 

バルトロメアに溺れてからのベネデッタの行為は相当に背徳的なものだし、聖職者じゃなくてもヤバい感じ。

更に、疑われた時に声色が変わって激しく罵るのは、神様というよりむしろ悪魔に取り憑かれているようです。

実際、そのシーンはほとんど「エクソシスト」のように演出されてるんですよね。

 

ヴァーホーベン監督自身、若い頃に神秘体験を経験したことがあるそうです。

それは強烈な体験で、だからこそヴァーホーベンは危険であると直感し、神秘体験から距離を置いた。

むしろ合理的な考え方をするようになったそうです。

 

危険だと感じたのは、こういうところなんでしょうね。

宗教的な神秘体験だったとしても、それが神様なのか悪魔なのか、見分けはつかないということ。

本作はいわゆる「神様に選ばれた人」を合理的に説明すると同時に、「悪魔に取り憑かれた人」の解説にもなっています。

⑤ベネデッタはキリストのこと?

ベネデッタは当時の教会のルールでは許されない行為をしていたわけだけど、でもそれは当時の人間が作ったルールであって、現在の価値観なら女性同士愛し合うのも別に罪ではないわけです。

ベネデッタの振る舞いは悪魔のようですが、でも街をペストから守るという点では、教会よりも彼女の方がよっぽど的確な行動をしていて、実際に救世主であるとも言えます。

 

そんなふうに考えていくと思い至るのは、キリストもそうだったかもしれない…ということ。

キリストも、幼少期から思い込みが強くて、神様と話ができると信じ込んでいた人…だったかもしれない。

人々を救いたいという思いのあまりに、奇跡を演出したのかもしれない。

そして、そんなキリスト自身の神秘体験は、神様とも悪魔ともつかないものだったかもしれない。

 

ベネデッタの奇跡が物議を醸していくと、周囲の人々は二分されていきます。

ベネデッタの奇跡が本物である方が自分にとって都合がいい人と、それでは自分にとって都合が悪い人に二分される。

前者は「奇跡」にも協力してくれるでしょうね。ベネデッタが一旦死んで復活するのなんて、修道院の協力がなければ成り立たない。

逆に言えば、一旦利害関係を共有するようになれば、大掛かりな奇跡も実現できることになる。

後者は、激しく迫害する。偽預言者と見なされ、断罪され、処刑されることになる。

これはまさに、キリストの身に起こったことそのままですね。

 

ヴァーホーベンは聖書にあるキリストの奇跡を合理的に検証する研究会のメンバーで、キリストを人間として捉え直すことは彼のライフワークと言えるものであるそうです。

ベネデッタを描いた本作は、間接的にキリストを検証する映画にもなっています。

次はもっと直接的に、人間キリストを描く映画もあり得るかもしれませんね。ヴァーホーベンのキリスト。物議を醸しそうだけど、観てみたい!

 

これまでに書いたヴァーホーベン作品はコレだけでした。ほぼ観てはいるんですけどね。