Everything Everywhere All at Once(2022 アメリカ)
監督/脚本:ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート
製作:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ、マイク・ラロッカ、ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート、ジョナサン・ワン
撮影:ラーキン・サイプル
編集:ポール・ロジャーズ
音楽:サン・ラックス
出演:ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・スー、ジェニー・スレイト、ハリー・シャム・ジュニア、ジェームズ・ホン、ジェイミー・リー・カーティス
①現代の多様な生き方をめぐる寓話
破産寸前のコインランドリーを経営するエヴリン(ミシェル・ヨー)は税金に精神をすり減らす日々。夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)は優しいけれど頼りにならず、娘ジョイ(ステファニー・スー)は同性の恋人を連れて来て、ボケ気味頑固な父親ゴンゴン(ジェームズ・ホン)に説明するのが大変です。夫と父親と共に国税庁にやって来たエヴリンは、役人のディアドラ(ジェイミー・リー・カーティス)と話すうちに、別世界バージョンのウェイモンドの呼びかける声を聞きます…。
タイトル長すぎて書けなかったのでここに書くけど、本項はネタバレありです。ご了承願います。
怪作「スイス・アーミー・マン」や「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」の監督ダニエルズによる、A24製作作品。
いつも通りの男子小学生チックな下ネタ・バカネタてんこ盛り。
そこにMCUのおかげで説明が省ける何でもありのマルチバースをくっつけて。
香港カンフーのレジェンド、ミシェル・ヨーと、80年代映画ファンの誰もが知ってるキー・ホイ・クァンをカムバックさせて。
スクリーミング・クイーン、ジェイミー・リー・カーティスまで放り込んで。
それをデカい鍋でごった煮にしたような、闇鍋ムービーですね、これは。
要は非常に趣味的な映画だと思うのだけど。
アカデミー賞にまで至っているのは、多様性の受容という今日的なテーマを中心に据え、家族愛という普遍的なテーマに昇華させたから、ですね。
非常に情報量が多くてゴチャついてる映画ではあるのだけど、寓話として見ればスッキリと一貫してる。
テーマを語る部分でブレがない。意外にと言うか、すごく骨太な映画になってると思います。
②すべて妄想の解釈も可能
MCU的マルチバースを設定に借りつつ、寓話にすることで、本作はご都合主義な単純さから逃れられてると言えます。
実際、まるっきり現実的な解釈をすることも可能なんですよね。
本作の中で起こる超常的なシーンはすべて、エヴリンの妄想であるとも解釈できる。
いないはずの人の声が聞こえてくるとか。
その声がああしろこうしろと命令してくるとか。
周りの人がみんな敵意を持っていて、攻撃してくると思えるとか。
ある決められた行為(傍目にはバカバカしい行為)を絶対にしなければならない、とか。
このままだと世界は滅びるとか。
自分が世界を救うために選ばれた特別な人間であるとか。
すべて、典型的な妄想のパターンになっています。
仕事に追われる毎日、うまくいかない家族関係、国税局のプレッシャー。
そんな積もり積もったストレスで、誇大妄想を発症してしまう。
「あの時別の選択をしていたら、こんな人生じゃなかったかもしれない」という後悔から、別の可能性の世界を飛び回る妄想に突入する。
妄想は非常に迫真的で、現実だとしか思えないんですよね。本人にとってはね。
実際、映画の中の出来事はすべて(ほぼすべて)エヴリンの主観を通して描写され、客観的描写というのはなくなっています。
登場人物は、みんなエヴリンの身近な関係者。
案内役は夫で、襲ってくる敵はみんな知り合いだし、中ボスは父親で、ラスボスは娘です。
過大なストレスで現実世界から逸脱してしまったエヴリンが、家族や税金に向かい合い「対決」したり「和解」したりする体験を通して、精神世界崩壊の危機に立ち向かい、どうにか精神の均衡を取り戻して、現実世界に帰還する。
本作はまず、そういうふうに解釈できます。あえてそう解釈することで、本作の「寓話性」というか、様々なメタファーは分かりやすくなるんじゃないかと思います。
もちろん、あるがままに多元宇宙が実在してるという設定に乗っかっても、構わない訳ですが。
③現代の生活は既にマルチバース
冒頭、英語と中国語を使い分けながら、いつものようにコインランドリーの仕事をこなし、顧客と次々に会話したりクレーム対応したりしながら、夫と税金の話、旧正月のパーティーの話、父ゴンゴンを迎える話をし、また娘とレズビアンカップルをゴンゴンに正直に話すかどうか議論する、エヴリン。
もう既にこの時点で、エヴリンは相当に分裂的に見えます。普通に、いくつもの並行宇宙を生きているようです。
と言うか、こういうエヴリンの性格を宇宙規模に拡大したものが、マルチバースであるとも言えますね。
マルチバースはまた、インターネットのメタファーでもあるとダニエルズは語っています。
ネットの中のペルソナが、現実世界の自分と同等の存在になって、いくつもの自分が並立していく。
ネットを含めるなら、今、既に多くの人がいくつもの並行宇宙で生きてますよね。
一つの可能性に縛られず、多くの世界を生きることは、自分の可能性を拡張することだから、素晴らしいことに思えるけれど。
でも行き過ぎると、いくつもの自分があると言うことは、つまり自分がないと言うことにもなってしまう。
あらゆる世界を同時に体験した結果、一つの人生を生きるのがアホらしくなって、虚無に呑み込まれてしまった現代っ子がジョブ・トゥパキですね。
ジョブ・トゥパキはジョイ。
エヴリンから見ると、同性愛という理解の出来ない世界に走るジョイは、別の宇宙に行っちゃって虚無に呑まれた理解不能の怪物…と言うところでしょうか。
しかし、ジョイをジョブ・トゥパキに変えてしまったのは、アルファバースでマルチバースを研究していたアルファ・エヴリンなんですよね。
アルファ・ウェイモンドの説明の中で、エヴリンはマルチバースを破壊するジョブ・トゥパキを倒さなくてはならないと示されます。
しかし、やがてエヴリン自身が新たなジョブ・トゥパキになる可能性が浮上して、アルファ・ゴンゴンが刺客を送ってエヴリンを倒そうとします。
今じゃない世界を求めるエヴリンと、それを恐れるエヴリン。本作のメインプロットはそういう混乱の中にあって、やっぱり分裂しているのだと言えます。
④混沌を収拾する「親切」と「多様性」
マルチバースは、過去の選択の数だけ枝分かれした世界があるというもの。
つまり、過去に選ばなかった世界も消えてしまったのではなく、別世界として保存されているという世界観です。
それは、エヴリンにとっては救いに思える世界観であるはずです。エヴリンは過去に選ばなかった世界を悔やんでいる訳ですからね。
あらゆる選択の結果、成功した結果は別世界として枝分かれし、失敗した結果だけが積み重なったのがこの世界。
今がこんなにヒドイのは、枝分かれの度に成功が別の宇宙に逃げてしまったから。
コレ、すごい自虐的世界観であると共に、今の不幸の原因を全部「不運な分岐」のせいにしちゃう、究極の責任放棄でもありますね。
エヴリンの世界はどんどん混沌の度合いを深めていき、もはや何が幸せなのかさえ、よく分からなくなっていく。
だからベーグルの虚無の中へ飛び込もう、とエヴリンを誘うジョブ・トゥパキ。
宇宙がベーグルなのは、アメリカの全部乗せ定番ベーグルがエブリシング・ベーグルなのでシャレなんだろうけど、でも宇宙論では宇宙はベーグルの形をしてると言う説も本当にあるそうです。
最後、この混沌を収拾するのは「親切」と「多様性」。
ウェイモンドのモットーである”Be kind”…「人にやさしく」が、一度きりの人生を肯定的に捉え直すキーワードになります。
確かに、これは現代に残された唯一の方法かもしれないですね。「家族」は抑圧になり得るし、愛も押し付けになり兼ねない。
「親切」なら、人に親切にされたくない人はまあいないんじゃないかと思える。
でも、そこでの親切の形は「多様性を尊重」するもの。
「あなた最近太り過ぎよ、気をつけなさい」「あなたのために言ってるのよ」っていう「お母さんの親切」じゃなくてね。
相手を自分の基準に当てはめるのではなく、相手の在り方を認める。
たとえヘンテコな性癖であっても、それをあるがままに認め、尊重する。
エヴリンの戦いは最終的にこの「誰も傷つけないバトル」に集約します。
可能性の世界の中でのウェイモンドとの会話で、エヴリンは人に親切に生きることの価値に気づきます。
そしてまた、指がソーセージの世界でディアドラとの同性愛を体験することで、多様な生き方を受け入れることも学びます。
マルチバースの冒険は、昔ながらの考えが染み付いたエヴリンが、ダイバーシティについて知る現代的な学びの旅でもあるんですね。
⑤「一緒にいたい」という正直な気持ち
あともう一つ、ジョイをジョブ・トゥパキから取り戻すキーになるのは、「あなたと一緒にいたい」と思う気持ちです。
ウェイモンドがエヴリンと一緒にいたい気持ち。
ジョイがベッキーと一緒にいたい気持ち。
コックの青年が、アライグマと一緒にいたい気持ち。
ソーセージ世界のディアドラが、エヴリンと一緒にいたい気持ち。
それらはみんな抑えられない正直な気持ちで、条件とか合理性とかすっ飛ばして、人はそれを求めてしまう。
たとえ生命の発生しない石ころの世界でも、一緒にいたいという気持ちは消えない。(…のか?と言う気もするけど、そこはまあ勢いで)
本作では、多様性の時代における家族の在り方が問われ、描かれた訳ですが。
何でも娘の在り方を否定しない母親が、果たして理想なのか…と思うと、疑問に感じるところもあります。
「若気の至り」はある訳だし、止めてくれる親もある程度は必要じゃないかな。…などと思ってしまうのが、既に昭和脳なのかもしれないですが。
でも、そういう「べき論」ではなくて、素直な気持ちが着地点になる。
別に家族だから一緒にいないといけない訳でもなく。
政治的に正しいから一緒にいる訳でもない。
ただ、ジョイと一緒にいたいから一緒にいたいのだ…と言う素直な気持ち。それが最終着地点だったのは、すごく良かったと思います。
⑥革新的「意識の流れ」映画?
本作はアカデミー作品賞を始め、実に高い評価を得た作品になりました。
正直、映画の完成度という点では、決して高くはないと思うんですよね。旧来の尺度では。
でも、確かに新しい。ものすごく新しい映画の作り方になっていると思います。
本作の記事を書くのは結構難しくて、何度も書いては直し…って感じでした。
ある論旨に沿って書いていくと、じきに登場人物がそれを裏切るんですよ。で、立て直すと、しばらくするとまたひっくり返っちゃう。
エヴリンは初期状態で、家族を大事にしたいという気持ちも持っているし、同時に現在の暮らしにうんざりする気持ちも持っている。
夫も娘も愛しているけれど、同時に夫や娘にムカついていて、できれば過去の選択をやり直したいと思っている。
だから、そのどれかに沿って書いていくと、いつの間にかエヴリンが全然別の動機に従って動いていたりする。
人は誰でも単純じゃなく、いくつもの側面を持っているものだし、映画でもそんな多面性が描かれたりするけれど。
でも、普通は観る人に分かりやすいように、ある程度整理されてるものなんですよね。基本の人格をある程度理解させてから、実は…と別な面を見せたりね。
本作は、そういう「整理」がまったくない。人の中にある様々な側面を、すべて均等に、同時進行で、いっぺんに見せてしまう。
まさしく「すべてのことをすべての場所でいっぺんに」見せる。
だから、タイトル通りなんですけどね。
思ったのは、コレ、文学におけるいわゆる「意識の流れ」って奴じゃないのか。
ジェイムズ・ジョイスとかが文学界に革新をもたらした…という手法ですね。人物の内面の意識の流れを、省略や編集せずにそのまま書く。
そういう意味での、映画における革新的な……って、いや言い過ぎか。そこまで考えてないか。
どちらにせよ、映画のセオリーには全然沿ってない映画ですね。「フェイブルマンズ」に登場したジョン・フォードなら切って捨てそう。
こういう作品を稚拙と捉えず新しさと捉えてちゃんと評価するのは、アメリカの映画業界は確かに頭が柔らかいなあ…と思わされました。
⑦素晴らしい俳優たち
長くなってすいません。なんかいろいろ書きたくなる映画ですね。
ミシェル・ヨー。素晴らしかったですね。
昔はミシェル・キングでしたね。「ポリスストーリー3」とか「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」の印象が強いです。
最近も「シャン・チー」とか「ガンパウダー・ミルクシェイク」とか、アクション映画に出続けてるのがエライ。
今回はカンフー、スタント全開ですね。もう60歳ですが、全然見劣りしないです。
キー・ホイ・クァン。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」と「グーニーズ」の。
同世代なんですよね。
子供の頃、自分の分身のようなイメージで活躍していた彼が、ここに来て大ブレイクしてアカデミー賞って、感慨深いものがあります。
ジェイミー・リー・カーティス。「ハロウィン」の絶叫クイーン。
「ワンダとダイヤと優しい奴ら」とか「トゥルー・ライズ」とかでしょうか。
いまだにパワフル。2018年からの新版「ハロウィン」シリーズで、ブギーマンと真っ向対決を続けています。
⑧最後に…邦題!
最後に…邦題、もうちょっとどうにかならなかったですかね。
チャプターのタイトルにもなってるので、まあ正しいと言えば正しいのだけど。
カタカナ表記した時の冗長さ、発音のしにくさは、結構日本での興行成績にも影響するんじゃないかなあ…という気がします。
公式でも「エブエブ」って言ってますけどね。それはそれで、少々気恥ずかしかったり。
思ったのは、ちょっと長めの凝ったタイトルって、SFの伝統みたいなところがあるので。
(「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」とか、「世界の中心で愛を叫んだけもの」とか)
コメディなのだから、少々ヘンテコでもいい訳だし。
原題のニュアンスを生かしつつ、ちょっと意味を考えさせるような、日本語のタイトルに出来なかったものか…
…って、考えてみても難しいんですけどね。
「なんでも、どこでも、いっぺんに」
「すべては同時に、あらゆる場所で」
「すべてが宇宙で一斉に」
「すべての宇宙は今ここに」
「すべてと永遠のある一瞬」
「宇宙のみなさん、すべての場所で、ご一緒に」
…ムズイですね! 失礼しました!
ダニエルズの前作、デビュー作。変な映画!
ダニエルズの1人、ダニエル・シャイナートの単独監督作品。下ネタ一発勝負!
近年のミシェル・ヨーがアクションを見せてくれる作品。
キー・ホイ・クァンの「インディ・ジョーンズ」と並ぶ代表作。
ジェイミー・リー・カーティスがデビュー作の40年後を演じた続編。