Bones and All(2022 アメリカ、イタリア)

監督:ルカ・グァダニーノ

脚本:デヴィッド・カイガニック

原作:カミール・デアンジェリス

製作:ルカ・グァダニーノ、デヴィッド・カイガニック、ピーター・スピアーズ、ティモシー・シャラメ

撮影:アルセニ・ハチャトゥラン

編集:マルコ・コスタ

音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス

出演:テイラー・ラッセル、ティモシー・シャラメ、マーク・ライランス、アンドレ・ホランド、クロエ・セヴィニー、ジェシカ・ハーパー、マイケル・スタールバーグ、デビッド・ゴードン・グリーン

①「サスペリア」に続く作品!

マレン(テイラー・ラッセル)は父親に黙って出かけたパーティーで、友達の指を食いちぎってしまいます。時々人喰いの衝動を抑えられなくなるマレンに疲れ果てた父親は逃げてしまい、マレンは出生証明書を頼りに母親のもとを目指します。老人サリー(マーク・ライランス)から同族を嗅ぎ当てる方法を学んだマレンは、同族の青年リー(ティモシー・シャラメ)と出会います…。

 

前作「サスペリア」がオールタイムベスト級に好きな映画だったルカ・グァダニーノ監督

新作は出世作「君の名前で僕を呼んで」ティモシー・シャラメと再タッグ。

人喰いカップルがアメリカを旅するホラー/ラブストーリー/ロードムービーです。

 

主人公はA24の「WAVES/ウェイブス」で主人公の一人を演じたテイラー・ラッセル

「ダンケルク」マーク・ライランスが絶妙に気持ち悪いところを見せてくれます。

音楽は「サスペリア」のトム・ヨークからロック繋がりでトレント・レズナーとアッティカス・ロス。彼らは「WAVES」の音楽でもありますね。

 

変わったところでは、新作版「ハロウィン」シリーズ監督のデビッド・ゴードン・グリーンが気持ち悪い役柄で出てたり。

「デッド・ドント・ダイ」クロエ・セヴィニーがこれまた気持ち悪い役で…ってそればっかですね。

個人的に嬉しかったのはジェシカ・ハーパーが出てたことですね。「サスペリア」の系譜!

②グロいけど何故か明るい世界

食人がテーマなのでね。本作はやはり、かなりグロいです。

食人と言えば「TITANE/チタン」ジュリア・デュルクノー監督「RAW〜少女のめざめ」を思い出しますがアレより直接的で、グロいと言うか“汚い”描写が多いですね。

 

本作における食人は肉食&生食

死んだばかりの新鮮な肉体にそのまんまかぶりついて貪り食う。

だから口の周りは血まみれ。全身も血まみれ。

ライオンみたい。あるいはハイエナとかハゲタカ。

 

グルメじゃないですね。一切調理はしないから。

調理以前に洗いさえしない。

特に年寄りが不味くて若くてピチピチしてる方が美味い…ということもないみたいで、不健康そうなおっさんでも別段不満はないようです。

 

本作の食人族は別に凶暴なわけではなく、時々人を食わずにいられない衝動に駆られるだけなので、それぞれがちょっとでもマシなやり方を模索しています。

サリーは死にかけの人を匂いで察知して死ぬのを待つし。

リーは乱暴者で嫌われ者で、家族のいない「死んでも良さそうなヤツ」を探して殺します。

独身なら殺してよし…というのも乱暴な話ですが。

 

まあ、その辺の見分けも適当なので、殺した男に家族がいたことに後で気づいて後悔したりするのですが。

それにしても罪悪感や葛藤はさほどでもなくて。グロくていろいろアンモラルなのだけど、基本サバサバしていて明るいムードなのが本作の特徴ですね。

 

そこは主人公の若さゆえ…なのかな。

相当に過酷な境遇で、いくらでも悲壮感が出そうなところだけど、そこへは行かず。

ぶっ飛んだ運命もそれはそれで受け入れて、マレンはあくまでも前向きに生きていきます。だから、不思議とポジティブな青春ストーリーになってるんですね。

 

③マイノリティ属性のメタファー

本作の食人族はヴァンパイアとは違って、人肉を食わないと死んでしまう…ってわけではないようです。

何年も食わずにいられることもある。衝動は法則性もなく突然やって来て、衝動に駆られたらそこから逃れるすべはない。

どうしても逃れようと思うなら、自分から精神病院に閉じ込めてもらうしかないし、その場合も自分の手を食っちゃうという悲惨なことになるわけですね。

 

この辺のことから見ても、本作における「食人」はやはり、ある種のマイノリティ属性の象徴…ということになるのだと思います。

生まれつきそうであって、自分の意志ではどうしようもない属性。

世間の一般の人々とは異なっていて、理解や共感をされにくく、孤立して生きることを余儀なくされる属性。

そうしなければ死ぬわけではないにせよ、それを避けて生きることは大変な苦痛を伴うことになる属性。

「これが一生続くの?」というマレンの嘆きが、まさにそこを言い表しています。

 

それは例えばLGBTQ…ということになるのだと思いますが。

そういう、自分ではどうにもできない属性を持って生まれた人の生きづらさ、孤独未来への悲観や不安感

そしてだからこその、同じ属性を持つ人との深い絆。そういったものを極端な形で描くことが、まずは大きな狙いではあるのでしょう。

 

母にも父にも見捨てられ、寄る辺なく世界にぽつんと捨て置かれるマレン。

そんな彼女だから、初めて出会った同じ境遇の人であるサリーに、気を許してしまいます。たとえ、いかにも怪しい気持ち悪いじいさんであっても。

この経緯は、彼女の人生に大きな影響を与えることになってしまいます。こういうことも、マイノリティの人々にとっては「あるある」なのかもしれません。

④アイデンティティを巡る旅

マレンとリーの若いカップルにとって食人は二人を結ぶ共通項であり、大事なアイデンティティでもあります。

二人を世間一般から切り離す特別性は、若い二人にとって重要なものです。

 

一緒に旅をしながら、二人はそんな特別さを分かち合っていきます。

でも、もともと危ういアイデンティティですからね。それを揺るがす出来事は起こってきます。

印象的なのが、二人が湖畔で出会う男二人、ジェイク(マイケル・スタールバーグ)ブラッド(デビッド・ゴードン・グリーン)です。

 

この二人は匂いでマレンとリーを見分ける同族なのだけど、実はブラッドは本来は食人族ではない。生まれつきではないんですね。

つまり彼には、マレンやリーやサリーのような「止むに止まれぬ衝動」はない。

それなのに、あえて自ら食人に踏み込み、「ボーンズアンドオール」…骨まで丸ごと食べちゃう領域までに至っている。

 

マレンはそんなブラッドに嫌悪感を感じる。でも、客観的には…食人族ではない我々から見れば…マレンたちとブラッドの差というのも、非常に微妙なものではあるんですよね。

「そうせざるを得ない衝動」というのはどこまでも主観的なものだから。当事者以外には、ブラッドとの違いを真に理解することはできない。

 

ブラッドへの嫌悪は、跳ね返って自己嫌悪になって戻って来ます。

それでメンターを求めて母親(クロエ・セヴィニー)に会いに行くわけですが、母親は自分を恥じて罰することしかしていなくて、マレンにも死ねと言うばかり。

マレンは自分たちの「属性」に心底絶望して、リーからも離れていくことになります。

⑤サリーが自分を名前で呼ぶ理由

それでも、その絶望は長続きはしない。

時間が経つと薄れてしまって、リーに会いたいという気持ちの方が勝ってくる。それでまたスルッとリーとの暮らしを再開する…というのが若さゆえの強さですね。

感受性も強いけど、生きる力が強いから、弾性があって回復力も強い。

 

同じ絶望に打ち負かされてしまうのがサリーですね。

老い先短いところで生まれて初めて理解者に出会って、でも拒絶されてしまって、もうどうしていいかわからない。

それまでの人生を乗り切って来た「ルール」も放り出してしまって、自暴自棄に陥ってしまう。

 

サリーは、マレンやリーと同じではあるんですよね。

あまりにも大きな疎外感と孤立の中で生きて来た。

彼が自分をサリーと呼ぶのは、彼の名前を呼んでくれる人なんて誰もいないからでしょうね。

君と僕がいて初めて関係性は成り立つので。僕の名前で僕を呼ぶだけでは、ただ孤独を深めるだけ

 

マレンにも、サリーの気持ちは共感できるはずだけど。

でも、サリーはマレンにとって「こうなりたくない未来の姿」ですからね。見てるだけでもキツい。

マレンがサリーに「自分をサリーと呼ぶな」と言うのは、そこなんでしょうね。この属性が辿る孤独を見せつけるな、という。

 

マレンとリーは襲って来たサリーを殺すのだけど、それは自分自身の絶望的な未来を殺すような、悲痛なものです。

そして同時に、マレンはリーを失うことになります。サリーと同じ孤独の中に、彼女も戻ることになる。

でもそこで、マレンはリーを食べる。

「骨ごと丸ごと」取り込むことで、属性は一段階先へ進む。

マレンは「成長し、変化する」ことになるのかもしれません。

⑥乗り越えて先へ進む強いベクトル

ルカ・グァダニーノ監督の作品では、悲痛な出来事があってもそれに呑み込まれてしまわず、エネルギーを持って前へ進もうとする人々が描かれて来ました。

 

「君の名前で僕を呼んで」では、同性愛の難しさがどうにも避けられないものとして描かれつつ、それぞれの方法で対処して、生きようとする人々が描かれていたと思います。

「サスペリア」は超越的な力を持つ魔女という特異な設定ですが、アルジェントのオリジナル版の受け身な主人公とは全然違って、魔女の自覚を持ってガンガン前へ進んでいく主人公が描かれていました。

 

本作も同様だと思います。

ラスト、リーの死に直面してマレンは嘆き悲しむのだけど、そこにはもう「リーを食べてその先へ向かう」強いベクトルが感じられます。

その原動力になるのは、リーと二人で原野で迎えた美しい朝の記憶。

かけがえのない愛の経験である…ということになるのでしょう。その経験を持っている限り、マレンはもう決してサリーのようにも、母のようにもならない。

 

たとえ親が最悪でも、ややこしい属性を持って生まれても。

本当に大事なことを分かち合う他者と、美しい経験があればなんとかやっていける。

食人という異様なモチーフを扱っていながら、着地点は非常に普遍的なものになっていると思います。

 

有名ホラーのリメイク作。世間一般の評価はそれほどでもない感があるけど、大好きな映画です。

 

「プレイリスト・ムービー」と謳った青春映画。後半の主人公がテイラー・ラッセル。

 

少女が人喰いに目覚める映画です。