The Dead Don't Die(2019 アメリカ)
監督/脚本:ジム・ジャームッシュ
製作:カーター・ローガン、ジョシュア・アストラカン
製作総指揮:フレデリック・W・グリーン、ノリオ・ハタノ
撮影:フレデリック・エルムズ
編集:アフォンソ・ゴンサウヴェス
音楽:スクワール
出演:ビル・マーレイ。アダム・ドライバー、ティルダ・スウィントン、クロエ・セヴィニー、スティーヴ・ブシェミ、ダニー・グローヴァー、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ロージー・ペレス、イギー・ポップ、RZA、セレーナ・ゴメス、トム・ウェイツ
①ロメロリスペクトの本流ゾンビ映画
「パターソン」(2016)に続く、ジム・ジャームッシュ監督の最新作。
映画館が再開してからも「時をかける少女」「AKIRA」と旧作ばかり観てたので、いよいよ再開後初の新作映画になります。
ジャームッシュ監督の前作「パターソン」はこのブログの第1回で取り上げた映画で、ブログを始める背中を押してくれた映画なんですよね。だからすごく、思い入れの強い作品です。
最新作「デッド・ドント・ダイ」はゾンビ映画。
意外…なようですが、ジャームッシュは時々ジャンル映画に手を出す人ではあるんですよね。吸血鬼映画とか、殺し屋アクション映画とか、西部劇とか。
その中でも、本作は非常にジャンルの伝統に忠実。
ゾンビ映画のフォーマットに忠実な、ある意味でとてもオーソドックスなゾンビ映画になっています。
劇中のゾンビの設定は、ジョージ・A・ロメロが作ったルールそのまま。
動きはゆっくり。
頭部を破壊すると死ぬ。
知性はなく、生前の習慣に従って行動する。
人間の肉を食う。
噛まれると、噛まれた人もゾンビになる。
田舎町が舞台で、墓場の土の中からゾンビたちが蘇って住人を襲う。
そのルックは、ロメロの中でも「ゾンビ」(1978)よりむしろ元祖の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968)のムードです。
その面では、非常に伝統的な、王道のゾンビ映画であると言えます。
②ゾンビ映画の枠からの「ズレ」を楽しむ
……なんだけど、ジャームッシュの映画ですからね。
これだけ伝統的なフォーマットに従って作っていながら、これはやっぱりジャームッシュにしか作れない、ジャームッシュ印の映画になっています。
ゾンビ映画であることは間違い無いんだけど、ホラー映画かと言えば微妙。本作は、観客を怖がらせようとはしていません。
ジャームッシュは明確にコメディであると言っていて、でも声出して笑うような感じでもない。
無表情なビル・マーレイとアダム・ドライバーが、血しぶき浴びてもやっぱり無表情で突っ立ってるような、静かでシュールな笑いです。
ゾンビが出てきて人を襲い、対抗して頭を吹っ飛ばしてサバイバルする…というプロットはゾンビ映画のフォーマット通りなんだけど、なぜかスリルはほぼ皆無。
ひたすら、ゆる〜い時間が流れる映画になっています。
通常のゾンビ映画のスリルを求めちゃうと、肩透かしでしょうね。まあ、ジャームッシュの映画にそれを求める人もいないでしょうけど。
本作はむしろ、典型的なゾンビ映画のフォーマットの中で、それなのにどこかズレている。なんかヘンだったり、すっとぼけていたり、シュールだったりする、そんな「ズレ」を楽しむ映画です。
ジャームッシュの映画で「オフビートな」って形容がよく言われますが、本作はまさにソレですね。本来の「ビート」からわざとズラして、そのズレを味わうのが「オフビート」ですからね。
つまり、いつものジャームッシュ映画なんだけど。本作では、ロメロ的ゾンビ映画というフォーマットが強力なので、その「ズレ」がいつもより強調されていて、わかりやすいんですね。
③楽しいジャームッシュ映画同窓会
「ブロークン・フラワーズ」(2005)のビル・マーレイ。「終始困ってるような無表情」をさせたら右に出る者はいない。ていうか、近頃はどんな映画でも「終始困ってるような無表情」をしてる気がしますが。
「ゾンビランド」シリーズにも出てましたね。本人役で。
「パターソン」(2016)のアダム・ドライバーは、「スター・ウォーズ」ネタもあったりして、本作のメタな部分を担っています。
この人も、たたずまいだけで面白いんですよね…。でっかいガタイでスマートカーに乗ってる絵面とか、それだけでもう。
その二人のコンビに、「10ミニッツ・オールダー」(2002)のクロエ・セヴィニーが加わって、シュールなゆるゆるコントを繰り広げる。
「ミステリー・トレイン」(1989)のスティーヴ・ブシェミは赤いトランプキャップかぶって、嫌われ者のクソ白人。
「デッドマン」(1995)のイギー・ポップはコーヒー・ゾンビ。その相棒のゾンビのサラ・ドライバーは「パーマネント・ヴァケーション」(1980)以来の長年のパートナー。
他にも、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)のエスター・バリントとか、「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991)のロージー・ペレスとか、「ゴースト・ドッグ」(1999)のRZAとか、まるで同窓会。
ダニー・グローヴァーは今回が初めて…なんだけど馴染んでいて、まるで常連みたいに見えたりもします。
劇中でもっともぶっ飛んだキャラは、「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」(2013)のティルダ・スウィントンが演じる、「日本刀を操る外国人の葬儀屋」なんだけど、この人のコミック的なぶっ飛び具合が、まったりした空気の流れる映画の中で、なかなか目の覚めるスパイスになっています。
ぶっ飛んでるけど、ベタなキャラ。日本刀も、カタコトも、ロボットみたいなカクカクした動きも、ある種の「古典」なんですよね。
目立つだけ目立っておいて、素っ頓狂にサッサと退場。物語に何の影響も与えずに。これまた、「ズラし」です。
そして、トム・ウェイツですよね、何と言っても。「ダウン・バイ・ロー」(1986)のトム・ウェイツ。
森に住んでる世捨て人で、彼だけがゾンビ騒ぎをその外側から客観的に見ている。物語の枠の外側にいる存在。
本作では、終盤に作品のテーマをトム・ウェイツがほとんど語っちゃう。セリフでテーマを語っちゃうのは興ざめになりそうなものですが、なんか「トム・ウェイツが言ってるならいいか‥」と思わされてしまいます。
ゆるい世界を、トム・ウェイツが締めています。ティルダ・スウィントンのスパイスと、トム・ウェイツの存在感。なんだかわからないけど、すべて許せちゃいますね。
④現代世界の「グダッとした危機」
面白かったのは、ゾンビが蘇るまでの「予兆」部分。
「いつまでも外が明るい」っていう、なんか微妙な異常なんですね。「あれ?8時なのにえらい明るいな」って、みんな明らかに異常だって気づいているんだけど、でもまあそれで何か大きな不都合があるわけでもないので、特に何をするでもなく放置している。
でも異常は異常だから、なんか気持ち悪い。
テレビを見ると、政府と大企業が極地でなんかの開発工事をやってて、「地球の地軸がずれたらしい」とか言ってる。政府も大企業も、即否定。
でもやっぱり外は明るいし。地球に、何か異変が起こっている。
かと言って逃げ出すでもなくパニックになるでもなく、いつも通りにゆるゆると日常を過ごしているうちに、取り返しのつかない事態になっていく…。
地球の地軸がズレて死者が蘇る…という乱暴な感じも、ロメロ・ゾンビの「惑星が爆発して…」とか「宇宙線が降り注いで…」とかの適当な設定を踏襲しているようで楽しいですが。
なんというか、緊迫感のない、グダッとした世界規模の危機。その雰囲気が、現実の今の世界を結構リアルに映しているように感じました。
一般の人々の生活と切り離されたところで、政府と企業が既定路線で何かを決めて、勝手に金を儲けている。
その余波が思わぬところに影響して、人々の暮らしが少しずつ、微妙に、狂わされていく。
抗議しても、誰も責任をとらないままで。少しずつ、人々の暮らしが捻じ曲げられていく。
極地での工事と地軸のずれ、日が沈まないこと、そしてゾンビの蘇り。それらは連続して起こっているわけで、みんなの主観の上では明らかにつながってることなんだけど、でも公的には「つながっているという明確な証拠はない」ということになっちゃうんでしょうね。だから誰も責任をとらないし、誰も本気で対処をしない。
そして何となくゆる〜い半笑いのまま、みんなゾンビに殺されていく…。
世界の終わりはドラマチックではなく、グダグダのなし崩しのようにしてやってくる。
地球温暖化をヒントにしたのかと思いますが、現代の「なんか締まりのない危機感」をうまいこと再現しているように感じました。
⑤ズレた世相を映すズレたコメディ
そしてゾンビは、ロメロのゾンビがスーパーマーケットに集まっていたように、生前の習慣を反復しています。
ロメロのゾンビは資本主義社会の風刺で、みな同じようにスーパーに集まっていく人々を「死人のようだ」と例えていたわけですが、本作ではもっとわかりやすい。
それぞれが執着しているものを、口に出して言ってくれますからね。「コーヒー、コーヒー」とか。「スマホ」とか「wi-fi」とか「Bluetooth」とか。わかりやすい。
執着に取り憑かれ、死んでもなおそれを求めて町の中をうろうろとさまよい続けるゾンビたち。そいつらに食われないように、家に閉じこもる生者たち。
死者と生者だけど、執着を捨てられないでいることは同じなんですね。相似形をなしてる。その外側にいられるのは、すべての執着をあらかじめ捨てた世捨て人だけ。
これまた、コロナの世相を言い当てているようでもある。
ゆるいコメディというだけに見えちゃいそうな映画だけど、でも結構鋭く世相を映してる。さすがはジャームッシュ…と思わされます。
でもまあ、映画全体の印象はやっぱりゆるい。いろんな伏線は投げっぱなしです。
いかにも連携していきそうに配置された登場人物たちは、結局ほとんど絡まないまま、サクッと殺されるかゾンビになるか首をすっ飛ばされるか、ですからね。
ホラー映画マニアの青年(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)が都会から来た女の子(セレーナ・ゴメス)に恋をする…というシーンがあって、普通ならせめて助けに行ったりしそうなものだけど、一回も絡みのないまま別々の場所で死亡。ネタ振りしといて完全無視。
ビル・マーレイらの警官チームが、ダニー・グローヴァーとジョーンズの立てこもってる店の前に通りかかる。おおいよいよ合流…かと思ったら、「助ける?」「怖いからやめとこう」って立ち去っちゃう。それっきり。
いちばん唖然とするのが、少年拘置所にいた3人の少年少女たちですね。ずっと追っかけて描かれていたのに、途中で出てこなくなってそれっきり。生き延びたのかやられたのかもわからない。
その辺も含めて「ズラし」であり、ギャグなんでしょうね。
怖くないホラー。笑えないコメディ。出会わないラブストーリー。絡まない群像劇。結末のない逃亡劇。
そういう感じでとことんズレまくる映画です。その「ズレ」を楽しむ映画なんですよね。うん、独特ですね…。
そんで、そういう映画全体を貫く「ズレ」が、実は現代の「いろいろズレた世相」を鋭く映してしまってるという。
面白いなあ…と思います。やっぱり、観るべき映画ですね!
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カンヌ国際映画祭でパルム・ドッグ賞を受賞した犬マーヴィンの写真があしらわれたTシャツです。「ワンジャック」されなくてよかったですね!