Paterson(2016 アメリカ)

監督/脚本:ジム・ジャームッシュ

アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ、永瀬正敏

 

ニュージャージー州パターソン。街と同じ名前を持つバス運転手パターソンが、詩と奥さんと犬と共に過ごす、ある穏やかな七日間。

 

 

①日常の中の"スリル"

 

テレビで「何も起こらなくて退屈、眠くて仕方がなかった」と本作を評しているがいたのですが、僕は結構、全編を通してスリリングな映画だったんじゃないかと思うのです。

 

基本、平和な日常の繰り返しであるだけに、いつか何か起こるんじゃないか? 平和な日常が壊されるんじゃないか?という漠然とした不安が常にある。それが、穏やかな物語に観客を引き付け、見続けさせる原動力になっている。

 

それは例えば「いかにもいずれ何かをやらかしそうな、エキセントリックな奥さん」であったり、「ごみごみした狭い道をカーブするバス」であったり。

つまり、「人間関係が上手くいくかな?」とか、「仕事でヘマをしないかな?」というような、誰しも感じるような小さな不安。

決して大したことではない。あくまでもちょっとした不安、不確定要素。

しかし、それを上手に、的確に散りばめてあるので、小さなものであってもきちんと物語を引き締めるスパイスとして機能している。

 

犬の散歩中にチンピラに「ちょっとだけ」絡まれて、「ちょっとだけ」不快な思いをする。でも、「ワンジャック」の不安は結構長いこと後を引く。

 

僕たちの現実の生活の中にも、必ず数え切れずあるような、小さな不確定要素。

そんな無数の小さな不安を、僕たちは時に意識して、時に無意識に、乗り越えながら生きている。

だから一日の終わりのビールは美味いし、週末の奥さんとのひと時に心が安らぐ。

そんな誰しも共感できる「生活」の妙味を、うまいこと要素を整理して、観客をひきつける物語に構築して見せていると思います。

 

②日常の中の”面白み”

 

そして、当たり前のことですが、日常の中にあるのは不安だけではない。

退屈なルーティンの繰り返しのような毎日の中にも、必ず「面白み」はあるものです。

 

「いろいろと困らされる面もあるけれど、やっぱりついついニヤけてしまう奥さんの可愛さ」であったり。

(初めての演奏の喜びがたっぷり詰まった「線路はつづくよどこまでも」の楽しさ!)

「バスの中で耳にする人々の話の、偶然に聞くからこその面白さ」であったり。

(男たちのちょっとセクハラじみた会話に眉をひそめる女性の姿、というのがまた面白みに感じたり。)

 

日常が本当に退屈で、何の面白みもないものだったら、きっと人は生きてはいけない。

きっと心を病んで、生きる力を失ってしまう。

ブラック企業やパワハラ、長時間労働などの問題は、つまるところそういった形で人の日常をスポイルするからこそ、問題なのだろうと思います。

 

たとえそれほどお金持ちでなくても、何もかもが思い通りにはいかなくても、日常の中に面白みを見出すことさえできていれば、人は生きていくことができる。

結構豊かに、幸せに、生きていくことができる。

そしてそういう生き方は、きっと自分から選ぶことができる

「パターソン」という映画が、まっさきに発信しているメッセージはそこではないかと思います。

 

③日常の中の”詩”

 

日常の中に面白みを見出す、パターソンにとっての強い武器が、彼が趣味としている「詩作」である、ということになります。

詩を創るとはまさに、なんでもない日常の中に美や感動を見出し、それを言葉に翻訳することに他ならないからです。

彼は、「詩人の目」で世界を見ることができます。詩人の目を通して世界を見ることができれば、何の変哲もないただのマッチ箱のパッケージですら、かけがえのない素晴らしいものに変身するのです。

 

当たり前のものの中に美しさを見つけ、言葉にして取り出して、第三者にも感じられる形で表現する。パターソンが行っている詩作はそういうものですが、これって考えてみればこの「パターソン」という映画そのものの構造だったりもします。

退屈な日常の繰り返しの中に美や面白みを見出して、観客に伝わる形で提示する、ということを、ジャームッシュはこの映画の中でやっているわけです。詩作にしろ映画創りにしろ、また音楽や他の様々な作品創りにせよ、「創造的な活動」というのは総じてそういうものだとも言えるわけですね。

つまり、我々の生きる現実世界から、美や面白みを取り出すということ。

あらゆる芸術というものの本質はそういうことであって、そしてそれは実は何も特別なことではない。

ごく普通の平凡な人が、ふと手にしたマッチ箱の美しさに感動する、そういうことに他ならない。

これは別に特別な才能を持つ芸術家だけに許された特権ではない。ただ世界を見る目を少し変えるだけで、誰もがそんなふうに生きることができるのです。

 

④それでも”アクセント”も必要

 

ここから、映画の終盤部分の展開に触れます。「ネタバレ」したくない人は、ここから先を読まないでください。

 

そんなふうに「詩人の目」を通して世界を見ることで、パターソンは前向きに生きることができているわけですが、しかしそういう「心の持ちよう次第」の物事というのは、ちょっとしたバランスの狂いで上手くいかなくなってしまうこともあります。

 

そもそも仕事でもない人が、詩を創ってノートにこちょこちょ書き留める、という行為自体が結構危ういですよね。パターソンは出発前のバスの運転席でそれをやっていて、何度も同僚に見つかります。映画では基本理解のある人ばかりだったけれど、「何くだらないことやってんだ!」と怒鳴りつけるような人はいくらでもいるだろうと思えます。

「いい年してしょうもないことやってるんじゃねえ! そんな暇があったら仕事しろ!

「そんなお金にもならないことに無駄な時間を使うな! もっと有意義なことをしろ!」

あるいは「えっポエム書いてんの? うわ。気持ち悪い!」とかね。

 

誰にやれと言われたわけでもなく自分の好きでやっていることだから、ちょっとしたきっかけでモチベーションを失うと、一気に続けられなくなってしまったりすることもあります。

映画では、犬のいたずらという「ちょっとした」出来事によって、パターソンは長年書き付けてきた詩のノートを失ってしまいます。その出来事をきっかけに、パターソンは一旦詩を書くことを諦めてしまいます。

奥さん含め誰しもが「まあまあそんなに落ち込まずに…」「気をとりなおして、また書けばいいじゃない」と思うところだし、本人もそれはわかっているんだけれど、でもなんか「どうでもよくなってしまう」のですね。ありがちな心の動きだと思います。

でも、もし本当に、このままパターソンが詩作をやめてしまったら、彼の生活は結構大きく、取り返しのつかないほどに変わってしまうんじゃないだろうか。

あんなに美しく面白みに満ちていた毎日の日常が、「何も起こらなくて、退屈」なだけのつまらない日常に変わってしまうんじゃないか。

 

映画の終わりの「日曜日」のエピソードで、そんな落ち込んだ状態のパターソンは偶然「日本から来た詩人」に出会い、ウィリアム・カーロス・ウィリアムスについて語り合い、そして新たに詩を書くためのノートをもらいます。この出来事によってパターソンはまた詩を書くモチベーションを取り戻すことになります。

このエピソードは映画全体のトーンの中ではどこか浮いていて、きつい言い方をすると「ご都合主義」とも言えるものだと思います。でも、たぶんこのシーンのポイントはそこではないんですね。

たまたま詩を諦めかけたパターソンの前に、たまたまパターソンが好きな詩人を愛する日本人が突然現れて、あたかもパターソンが詩を諦めようとしていることを見抜いているかのような態度で、彼を詩作に引き戻してくれる、というようなリアリティの低い出来事を「奇跡」として描いているわけではないと思います。

このシーンは、どちらかと言えば「当たり前の日常の繰り返しとは違う、降ってわいたような奇妙なできごと。アクセント」という描かれ方をしていると思います。

 

つまり、日本人の話す内容が重要だというよりは、彼のような奇妙な人物に偶然出くわしたことこそが重要だという描き方ですね。

この出来事は、要は「変な日本人に会った」という出来事なわけです。

それこそ、後で誰かに「ちょっと聞いて! 今日こんなへんてこな奴に出会ったんだよ!」と言いたくなるような、ちょっと奇妙で少し不思議で、基本的には「面白い」出来事。

「いやなんか、真面目に喋ってるんだけど、A-HA?って言ってくるんだよね。なんだか知らないけどさあ…」とかなんとか言いたくなるような。

要するに、ちょっと笑える、でも結構本質をついてくる、そういう不思議なできごとが起こったよ、というシーンなんですね。

 

人生とは、基本退屈なできごとの繰り返しである。でも気持ち次第で、それを美しく面白く、前向きに受け取って生きて行くことができる。

基本そうなんだけど、でもそれだけではやっぱり行き詰まることもある。

そんな時、本当に思わぬできごと、予想もしない突飛なできごとに偶然出くわすことで、行き詰まりがリセットされることもあるんですね。

そして、実際に「突拍子もないこと」が時に起こるのも人生なんですよね。

だからこそ、面白い。

だからこそ、詩に書く価値がある。

 

⑤最後に

 

文章を書いたり絵を描いたり、音楽や、様々な作品を作ったり。なんらかの「創作」を趣味としている人にとっては、とても強く響くところのある映画なんじゃないかと思います。

ふと自分の創作がどうでもよくなってしまいそうな時に、思い出すと力をくれる映画なんじゃないだろうか。

 

また逆に、これまで日常をそんな目で見たことのなかった人。日々の仕事に追われて、毎日が「退屈な繰り返しで、つまらない」と思っている人にとっては、生き方のなんらかのヒントにもなるのではないかと思います。