Dune(1984 アメリカ)

監督/脚本:デイヴィッド・リンチ

原作:フランク・ハーバート

製作:ラファエラ・デ・ラウレンティス

製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス

撮影:フレディ・フランシス

編集:アントニー・ギブス

音楽:ブライアン・イーノ、TOTO

出演:カイル・マクラクラン、ユルゲン・プロホノフ、フランチェスカ・アニス、マックス・フォン・シドー、ショーン・ヤング、エヴェレット・マッギル、フレディ・ジョーンズ、リチャード・ジョーダン、パトリック・スチュワート、ディーン・ストックウェル、スティング、ポール・L・スミス、ブラッド・ドゥーリフ、ジャック・ナンス、ホセ・ファーラー

 

①独自のビジュアルが魅力!の映画

現在最新のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督版が上映されていますが、こちらは1984年公開のデヴィッド・リンチ監督版です。

「キングコング」(1976)など、ハッタリの効いた大作で名を馳せたディノ・デ・ラウレンティスの製作総指揮。

リンチは「イレイザーヘッド」(1976)「エレファント・マン」(1980)に続く3作目。

「エレファント・マン」はヒットしたとは言え、どちらもモノクロで趣味性の強いカルト作品ですからね。こんな大予算の超大作は初めて。

ラウレンティスは思い切った抜擢をしたものです。

 

フランク・ハーバートの「デューン」の映画化としては、あまり良い評価はされていない作品です。

まあ確かに、原作の大ボリュームが137分の上映時間に収まってない。

ナレーションを多用してとりあえずストーリーを消化していく構成、特に後半を超駆け足でこなしてしまうダイジェスト感は、原作の重厚さとは程遠いのは否めませんね。

 

SF映画「デューン」としてはそうなんだけど、でも唯一無二の個性的な映画の作り手であるデヴィッド・リンチ作品としては、非常に魅力的な「絵」に満ちた映画だと思うんですよね。

後の様々なカルト的作品や、「ツイン・ピークス」などに通じるビジュアルイメージ。

次々出てくるそんな絵を見ているだけで、惚れ惚れしてしまう映画なのです。

リンチの提出する独特のイメージは、通常のSF映画のセオリーからすると「なんかヘン」なんだけど、それがかえって西暦1万年という途方もない異世界を再現しているという気もするんですよね。

 

②リンチ印の映像たち(前編)

宇宙をバックにイルーラン姫がストーリーの背景を語る導入部。

古風というか、すごい直接的な表現。イルーラン姫、この後ほとんど出てこないしなあ…。

でもリンチ映画として観ればこれは、ド定番と言える表現ですね。最初のカットが瞳のドアップ、というのも含めてリンチ印です。

 

イルーラン姫の語りでスパイスの意味が説明され、タイトル後のナレーションでストーリーに関わる4つの惑星と勢力図が説明され、更に続く皇帝とギルドのシーンで皇帝が黒幕であることまできっちり説明してしまう。

この冒頭部分だけで、デューンの基本的な設定とストーリーはあらかた説明されています。ストーリーに関してはとにかくサクサク進めたいリンチ。リンチ版ならではの親切設計です。

(なので、リンチ版はヴィルヌーヴ版観る上でのガイドラインとしてとても有効なのでは…という気が。)

 

そして、ギルドのナビゲーター

こちらは原作では本編には登場しておらず、続編「砂漠の救世主」の冒頭に登場してるんですよね。リンチ、あえてそこから引用して、スパイスの過剰摂取で奇形化したモンスターを描いています。

原作では「水かきのある魚人間」というくらいの描写だけど、映画では完全に人間離れした存在になってます。でも、これも元は人間だったんですよね…。

 

ナビゲーターの入ってるオレンジ・スパイス・ガスのタンクの、巨大なボイラーみたいな無骨なスタイル。

そして、そいつが運ばれて行った後には何だか汚い液体が残ってる…という嫌な感じの細部へのこだわりもリンチ流ですね。

 

舞台がカラダンに移るところでもイルーラン姫の語りが入って、ベネ・ゲセリットの計画についてなど説明してくれます。

原作では、いきなり教母ヘレン・モヒアムのポールへの箱を使ったテストから始まるのですが、あえて順番を入れ替えてあるのはリンチ版もヴィルヌーヴ版も同様です。

 

デューンの特徴的なテクノロジーがシールドです。スイッチ一つで起動して全身を覆い、スピードの速い攻撃は通さない。ゆっくりの攻撃だけを通す。

これによって、デューンの世界では銃撃戦は基本的に無効になっています。

リンチ版のシールドの、無骨なカクカクさ…まるでマインクラフトみたいな…は当時としてもヘンテコな表現で、びっくりしましたけどね。これもちょっと他で見ない独特なデザインで、面白いですね。

ほとんど誰だかわからなくなるんだけど。ちなみに上の戦闘はヴィルヌーヴ版でもあった、ポールとガーニィの訓練バトルです。

ヴィルヌーヴ版では全身を薄く覆うシールドに変更されて、芝居もしやすくなってます。

 

ハルコンネン側の描写には、リンチは俄然イキイキとしてきます。

ギエディ・プライムの風景の、この何だか分からない煙を吹き出すオブジェ

顔のような、顔でないような。

ギルドの宇宙船やハルコンネンの描写では、「イレイザーヘッド」「エレファント・マン」でも鳴っていた、インダストリアル・ノイズがずっと響いています。

これ、「エレファント・マン」のリマスター版のように、ノイズを前に出すリミックスをすると、一気に迫力がアップすると思うんですが。やってくれないかな…。

 

この辺はもう原作には全然ない、ハルコンネン男爵の皮膚病の描写。

目と耳を縫い付けられた医者とか、心臓弁抜いて殺される少年とか。

工場のマシーンのイメージと共に、皮膚が裏返って肉体の内部が剥き出しになるようなぐちょぐちょしたイメージも、リンチの得意とするところです。そして、あえて醜悪なものを美しく見せるのも。

 

「浮かぶデブ」ハルコンネンの浮遊イメージも、リンチとヴィルヌーヴではかなり違いますね。ヴィルヌーヴ版では重厚なイメージがあります。

リンチ版では、ハルコンネンは最初から既に狂ってるように見えます。ゲラゲラ笑いながら空中を飛び回るデブのイメージは鮮烈です。

 

カラダンからアラキスへ、スパイスで活性化したナビゲーターの超能力で「動かず移動」するギルドの巨大宇宙船。

この移動は原作には描かれていなくて、リンチ版でもヴィルヌーヴ版でも映画ならではの表現になっています。

リンチは、巨大な闇の中に吸い込まれていくイメージで描いています。闇が別世界へのリンクとなるのは、「ロスト・ハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」でも受け継がれるイメージです。

 

これに続く、スパイスが浮遊する空間を飛び回ってナビゲーターが時空を操作するシーンも、リンチの作品に頻出するイメージととても近いです。

世界と世界の狭間にある、奇妙な「楽屋」または「機械室」のような舞台裏の空間で、奇形の人物が仕掛けを操作して、時空や運命を歪ませてしまう…というイメージです。

これ、「イレイザーヘッド」から既に見えているし、「ツイン・ピークス」の新シリーズには特に頻出しています。「砂の惑星」がリンチの着想のヒントになっている部分も、実はあるんじゃないか…という気がしています。

 

リンチ版とヴィルヌーヴ版のもっとも目立つ違うは、リエト・カインズ博士が女性になってることですが。

ヴィルヌーヴはその死のシーンで、スティルスーツから水が吹き出すクローズアップを入れてますが、これはリンチ版へのオマージュでしょうね。

リンチ版ではマックス・フォン・シドーのカインズ博士が、ラッバーンにスティルスーツを引き裂かれ、砂漠に捨てられることになります。

リンチ版ではあっさり退場するので、「デューン」の重要ポイントの一つである惑星の環境改変についての話は欠けてしまっています。

③リンチ印の映像たち(後編)

ここから、ヴィルヌーヴ版では次のパート2で描かれるであろう後半部分になります。一応、ネタバレ注意。

 

ハルコンネンの若き甥、ファイド・ラウサは当時大人気のロックスター、スティングが演じました。出番は多くなくて、セリフもほとんどなく、ちょっとバカっぽく見える…。あんまり得をしなかったような気がしますが。

謎の前貼りでマッチョな半裸を見せるスティング。あんまりリンチらしくはないですけどね。面白がったのかな。

ファイド・ラウサは重要人物なんだけど、ヴィルヌーヴ版にはまだ出てきていません。誰がやるのか、注目ですね。

 

幻視の中に登場する、ジェシカが宿したエイリアの胎児の映像。

これ、一瞬の映像なんですけどね。ここまで作り込んでる。リンチの関心はこういうところに向かっていって、メインのストーリーへの関心のなさが、どんどんあからさまになっていくんですよね。

 

砂漠、フレメン、ポールに関わるメインの部分も印象的な画面はあるんですけどね。なにしろ駆け足なので、もうちょっとじっくり描けていれば…という気はしてしまいます。

上は、サンドワームに乗る試験のために一人砂漠へ向かうポール。

 

ポールが「生命の水」を飲む儀式で、静かに近づいてきたワームを見上げるチャニ。

ヴィルヌーヴ版ではゼンデイヤのチャニは、リンチ版では「ブレードランナー」でおなじみお騒がせ女優のショーン・ヤング

 

ジェシカが妊娠中に生命の水を飲んだことで、生まれながらにしてあらゆる記憶と知識を持つミュータント少女、エイリア

終盤のリンチの興味は、もっぱら彼女を撮ることに向けられているようです。

8歳でエイリアを演じたアリシア・ウィットは後に「ツイン・ピークス」にドナの妹としてゲスト出演して、ピアノ演奏を見せたりしています。

 

死体が点々とする燃え上がる戦場で、聖なるクリスナイフを手に恍惚の表情を浮かべるエイリア。

終盤はいまいちやる気のない銃撃戦をやめて、いっそエイリアが一人ですべてを制圧してしまうくらいの極端さにした方が、面白い映画になったんじゃないかな…なんて気もします。

 

エンドクレジットの、それぞれのキャラクターの映像を肖像画みたいに出す演出もなんだか古風なんですが、今見るとかえって新鮮だったりします。

ポール・アトレイデスには、カイル・マクラクラン。これがデビュー作で、この後「ブルーベルベット」「ツイン・ピークス」と、リンチ映画のおなじみの顔になっていきます。

カイル・マクラクランもティモシー・シャラメも出演時25歳で、年齢もほぼ同じということになります。

実は原作では15歳なので、もっと若いんですよね。原作の方が、今の日本のアニメやラノベに近い年齢設定になっているようです。