Arc アーク(2021 日本)

監督:石川慶

脚本:石川慶、澤井香織

原作:ケン・リュウ

製作:加倉井誠人、仲吉治人

製作総指揮:ケン・リュウ、川城和実

撮影:ピオトル・ニエミイスキ

編集:石川慶、太田義則

音楽:世武裕子

出演:芳根京子、寺島しのぶ、岡田将生、清水くるみ、井之脇海、中川翼、中村ゆり、倍賞千恵子、風吹ジュン、小林薫

①「日本製本格SF映画」その1

2021年6月25日、たまたま2本の「日本製本格SF映画」が同日に公開されています。

どちらも海外の著名な SF小説を原作とする作品。それでいて対照的。

古典的SF作家ロバート・A・ハインラインの1957年の長編「夏への扉」を原作とする「夏への扉 -キミのいる未来へ-」と、現代のSF作家ケン・リュウの2012年の短編「円弧(アーク)」を原作とする「Arc アーク」です。

かなり作風の違う、2本の映画でしたが。どちらも面白かった!

原作のテイストを上手くアレンジして、独自の「日本製本格SF映画」になっていたと思います。

というわけで、まずは「Arc アーク」から。

 

中国出身のアメリカ人SF作家、ケン・リュウの短編小説の映画化です。監督は「蜜蜂と遠雷」石川慶

僕はSF好きなのでケン・リュウの短編集も持ってたんですが、最近の積ん読状態の一環で、まだいくつかの短編しか読んでない状態で。

おかげで、原作小説「円弧(アーク)」を未読のままで観ることができました。結果オーライ。

 

SF界でも、最近は中国人作家が熱い!という状況になっています。劉慈欣「三体」とか。

同じく短編に定評のある中国系作家テッド・チャンの「あなたの人生の物語」は、2016年に「メッセージ」として映画化されています。

 

現代SF小説を代表する作家と言っていい人です。その作品が、日本映画として映画化されるというのは、なんだかとても感慨深い。

…というのは、これまでの歴史的には、日本映画とSFの相性は必ずしもよくない…ということがあるんですよね。

「さよならジュピター」でその辺のことを書いてますが。それほど昔の作品はさておいても、最近であっても、SF的舞台装置の中に日本人を置くと、どうも場違いに見えてしまうことが多い。

 

現代SFは難解であることが多くて、とっつきにくいことがあるのだけど、ケン・リュウは割とシンプルなアイデア・ストーリーであり、文芸的…というか、情緒的なストーリーであることが多いです。

端的にいうと、「泣ける」ストーリーが売りなんですよね。

そこが、日本映画と割と相性のいいところかもしれない。そういえば、是枝監督の「真実」でも、劇中劇としてケン・リュウの「母の記憶に」が映像化されていました。

 

②テクノロジーを否定しない描き方

17歳の頃に赤ん坊を見捨てて逃げ出したリナ(芳根京子)は、エマ(寺島しのぶ)に才能を見出されて「ボディワークス」に参加し、死体の腐敗を止めて永久に展示するプラスティネーションを学んでいきます。

30歳になったリナはエマに代わってボディワークスの代表になっていました。エマの弟・天音(岡田将生)老化を止める技術を開発し、人類が不老不死を実現する時代が訪れます。天音はリナに共に歩んで欲しいと願い、リナは不老処置を受けることを決意します…。

 

本作には、未来的な風景や小道具というものはほとんど出てきません。外見的なSFらしさは、ほぼないと言えます。

それでも本作からは、SFらしさ、SFマインドを感じる…のがどこかというと、それは中心となるテクノロジーの扱い方ですね。

 

不老不死の技術。医学が進んで、人間が永遠の若さと不死を手に入れたら…というIFの世界。

よくある寓話では、これはある種のタブーとして扱われ、最終的に否定されるのが定番です。

不老不死を得ても必ずしも幸福にはならない。限りある命だからこそ人生は素晴らしい。

 

本作では、このテーゼは「不老不死が得られなかった時代の、死の恐怖をごまかすための詭弁」とバッサリ切って捨てられます。

過渡期の混乱はあれど、やがて多くの人々が処置を受けて、人類は誰も死なない時代へと急速に移り変わっていく…という未来像が描かれます。

 

もちろんそれを無邪気に肯定して描くのではなく、過渡期に生きた主人公の視点を通して、そんな時代に人はどんな幸せを求めるのか…という主題が描かれていくわけですが。

前提としてあるのは、テクノロジー自体には、善も悪もない

これまでもそうだったように、社会は技術の進歩によって変容していくものだし、人間の在り方さえ変わっていくものなのだ…という世界の捉え方ですね。

 

テクノロジーによって世界が変わっていくことを否定せず、当然のこととして受け入れた上で、その中で人間に何が起きるかを思索によって探究していく。それがSFだと思うんですね。

本作は、原作小説のこの精神をスポイルせずに描いている。その点で、確かにSFマインドのある映画になっていると思いました。

③不老不死を通して見えてくる、不完全な人の姿

本作では、我々が現実に生きているこの世界がまず描かれて、そこに「不老不死の技術」が導入され、混乱を経て、やがてそれが当たり前の世界へと移り変わっていく…という過程が描かれていきます。

その視点はリナ一人に固定され、他の人々の多様性を見せる場合にも、リナの視点から離れることはありません。

リナはたまたま「過渡期の最前線」にいたことで、この世界変革のすべてを身を持って体験していくことになります。

 

リナの目を通して描かれていくのは、思わぬ選択肢を前にした時の、人々の様々な反応です。

必死で不老不死のチャンスを求める人。

チャンスを得られない恐怖に駆られて、かえって死を恐れてしまう人。

ちょっとした体質の異常で、チャンスを得られない人。

チャンスを選べたのに選ばず、後悔する人。

あえて選ばない人

そして、チャンスを受け入れ、新しい世界に順応していく多くの人々。

何が正しく、何が間違っているというわけではない。正しい選択なんてない。ただ、選んだことと選ばなかったことがあるだけ。

人それぞれの選択があり、生き方がある…ということが浮かび上がってきます。

 

リナの、若い頃の罪深い選択。後になってリナは悔やみ、ずっと苦しみ続けることになるわけだけど、でもその時にはそれしか選べなかったのもまた事実なんですよね。

人はその時々にできる範囲で選択し、悔やみ、その時々に置かれた状況に流されて、そして少しずつ変わっていく。

不老不死という極端な状況を設定することで見えてくるのは、そんな人間の普遍的な姿なんですね。

④前半と後半の大きな転調

本作は、なかなかクセのある構成になっています。

前半と後半で、映画のテイストが大きく変わる。

前半は、かなりドラマチックな演出になっています。ダンスのように糸を操って遺体のポーズを決めるプラスティネーションが、その象徴ですね。

 

場末のバーで踊る19歳のリナ、その才能を見出してスカウトするエマ…といったあたりは若干マンガチックでもあるくらいで。

原作のプラスティネーションにはある「人体の不思議展」的なグロテスクは排除されていて、より美しくアーティステックな表現になっている。

ここは、映画的なカタルシスを優先した演出かと思います。淡々とした原作に、上手く映画的な盛り上がりを込めているんじゃないでしょうか。

 

後半、舞台が「不老処置を受けなかった人々が死を待つ施設」天音の庭に移ると、一転して静かでストイックなムードに変わります。

画面もモノクロに。島の光景には未来的な要素は一切なく、ただ死を待つお年寄りたちと、その中にあるリナとその娘ハルの姿が、静かに丁寧に、描かれていきます。

 

ここはかなり大胆な転調で、やや分裂的にも見えてしまう。同じ映画の中に二つの別の映画があるようにも見えてしまうんですが。

リナが主観的に経験する世界の体感が、トーンの違いとして表現されているのかもしれないですね。

後半のリナは見た目は若いままだけど、中身は89歳だから。

 

いろいろな経験を積んで、いろんなことを知って、諦めて。

生きる速度も、ゆっくりになってくる。

それが本来は老いで、晩年というものなのだけど。でも、それで人生が終わらず、その先も永遠に続くのだとしたら、人はどういうことになっていくのか。

それは、本作では描かれず、想像に任されることになります。

 

ラスト、リナは彼女なりの選択をして、彼女の人生とともに映画は終わります。

しかし、ハルを始め、「死なないことが当たり前」の世界で生まれ育った人たちが、もう多数になっている。

新しい世界がその先にはあって、新しい幸福や不幸の形がきっとあるのだろうと思える。

それを肯定も否定もせず、ただ思索を促していく。いろいろなことを考えさせてくれるのも、SFの醍醐味ですね。

⑤キャストについて

リナを演じた芳根京子が魅力的でした。

17歳から89歳まで、見た目はそのままに、中身は変わっていく…というのは現実には存在しない役で、お手本の存在しない、相当に難しい役だったと思うけど。

精神と肉体は不可分だから、外見が若いままなら、中身もそのまんま89歳というわけではないだろうから。完全に老成したように演じるわけにもいかない。

それでも、しっかり感情移入させられました。

 

岡田将生の飄々とした佇まいは、軽やかに不死を実現してしまう天才のイメージによく合ってましたね。

そんな彼が、感情を高ぶらせる一瞬も、見ものになっていました。

 

寺島しのぶは…本作ではもっともマンガチックなところを担った感があって、やや損な役どころだったかもしれない。

 

後半に登場する風吹ジュンと小林薫は、やっぱりさすが…という感じでした。映画が急に、強固なリアリティを身にまとった…という感がありました。

 

SF的なガジェットなどは一切登場しない映画で、特に後半は老いと死を見つめた正統派ドラマの側面もある。

その点で、SFにあまりなじみのない人も見やすい作品…のようでは、ある。

ただ、テーマや人の描き方の点で、SF的な独自の視点を貫いていて、そこに慣れていないとやや奇妙に感じるかもしれない…という作品ではあるんですよね。

本作は意外と、SFに耐性のある人向きの作品かもしれないなあ…と思いました。

 

 

映画に合わせて刊行された作品集。傑作ばかりが集められているのでとても読みやすいです。表題作である「アーク」が見劣りしてしまうくらい。石川慶監督とケン・リュウの対談も収録。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケン・リュウ「母の記憶に」の映像化が劇中劇として登場。「子供が母より年上になる」という状況は、本作と共通するモチーフです。