Bye-bye Jupiter(1984 日本)

総監督:小松左京

監督:橋本幸治

特技監督:川北紘一

原作/脚本:小松左京

製作:田中友幸、小松左京

撮影:原一民

特殊撮影:江口憲一

編集:小川信夫

音楽:羽田健太郎

主題歌:松任谷由実「VOYAGER〜日付のない墓標」

出演:三浦友和、ディアンヌ・ダンジェリー、小野みゆき、レイチェル・ヒューゲット、マーク・パンサー、岡田眞澄、平田昭彦、森繁久彌

 

①日本製の本格SF映画という挑戦

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に、主題歌「VOYAGER」が引用された1984年のSF映画。

「日本沈没」小松左京が原作・脚本・総監督を手がけ、それまでの「特撮映画」ではなく、洋画に負けないSFXを駆使して、正確な科学考証に基づいて描いた「本格SF映画」…という触れ込み…です。

 

なんだけどね。今となっては本作に関しては、「失敗作」「駄作」という評価しか見当たらないんじゃないでしょうか。

とにかく前評判が高くて、完成してみたら盛大にズッコケて、それだけに酷評一色になってしまった。

 

公開時、僕は中学生でしたけどね。そりゃもう大いに期待したことを覚えています。

小松左京の上下巻の小説も読んで、ワクワクして映画に臨んだのですよね。

それで、どう感じたか…はあまり覚えていませんが。

 

たぶん、そこそこ楽しんだとは思うんですよ。そこまでがっかりするということはなかった。

ただ、なんだか無性にダサかった

今見ると逆に、その辺そこまで気にならないんですけどね。一周回って逆にアリ…という気もしてくるんですが。

1984年ですからね。こっち中学生だし。

70年代的な感性、昔ながらの日本映画的なモッサリした感覚が、どうにもこうにもダサく感じてしまう…というところは否めなかったと思います。

 

②魅力的なSFアイデアたち

2125年、人類は木星を第2の太陽にして外惑星系を開発する計画を立てていました。木星軌道上のミネルヴァ基地で計画を遂行する本田(三浦友和)は、地球からやって来た恋人マリア(ディアンヌ・ダンジェリー)と再会しますが、彼女は木星太陽化計画に反対するジュピター教団のメンバーになっていました。

火星で超古代の異星人の遺跡が発見され、木星でも異星人の宇宙船らしきものが垣間見える中、ブラックホールが地球に迫っていることが判明。本田は木星を爆破してブラックホールの軌道を逸らす作戦を立てますが、ジュピター教団は尚も妨害工作を仕掛けてきます…。

 

冒頭、火星の極の氷を溶かして、その下から巨大な地上絵が現れる、素晴らしい導入。

ビジュアルで壮大な謎を提示する、SFとして理想的な導入です。

そこから続くタイトルバックで描かれる宇宙船の描写もとてもいい。

昔ながら特撮のおもちゃっぽい描写とは一線を画す、「スター・ウォーズ」「エイリアン」を経てアップデートされたリアルな宇宙船の描写です。

 

映画「2010年」と図らずも共通した、木星太陽化計画というアイデア。

超古代の太陽系に飛来した異星人の謎。その象徴として、木星のガスの海に漂うジュピター・ゴースト…。

そして、ブラックホールの脅威と、科学の叡智で危機を乗り越えようとするハードSFの真髄。

 

日本のSF界の巨匠である小松左京が、その時点で持てるアイデアのすべてを投入した設定は、本当にワクワクするものになっています。

特撮も、今見てどうかは分からないけど、当時としては本当に洋画に見劣りしないものだったと思う。

 

だからね。惜しいなあ…と思ってしまうんですよね。

もうちょっとで、日本を代表する本格SF映画になったはずだし、この後に日本のSF映画の黄金時代が訪れたかもしれない…のに。

 

これだけ魅力的なアイデアがたくさんありながら、本作は途中からどんどんあさっての方向に進んでしまう。

火星の地上絵やジュピター・ゴーストという非常に魅力的なSF要素がありながら、それをそっちのけで、84年当時としてもあまりにもダサい、変なヒッピーの話に向かってしまうんですよね。

いや本当に、なんでそこに行くんだ…と思ってしまうんだけど。

③ズレまくったヒッピーの話

なんかヌーディストビーチみたいなところでのほほんと遊んでる若者たち。彼らがジュピター教団であり、その教祖のピーターはギターを持ったふとっちょのおっちゃんです。

アッと驚くタメゴローみたいなルックスでカリスマ性皆無。

教団のメンバーのテロで死人が出てるのに何もせず、ジュピターという名前のイルカがサメに襲われて死んで、泣きながらフォークギターをかき鳴らし、小松左京作詞の歌を杉田二郎の声で歌う。それが「さよならジュピター」。

 

物語があまりにも科学至上主義になってしまうのを避けるために、自然を大事にして、あるがままに生きようとする価値観を提示したかった…という意図はわかるんです。

でも、やっぱりルックスや演出が古すぎる。22世紀どころか80年代にさえ見えない、70年代ヒッピーそのままのあまりにもアナクロな描写で、どうにも失笑になってしまいます。

 

自然保護の観点から木星太陽化に反対する…というだけなら、まだギリギリわからないではないけど。

ブラックホールで太陽系が滅亡するっていうんだから、木星を守るもクソもないじゃないですか。

全然理解できない対立構造が、後半のストーリーの基調になっていってしまう。

そして、魅力的だった異星人やジュピター・ゴーストの話は、すっかり消え失せてしまうんですね。

 

最後は、小野みゆき率いるジュピター教団のテロ集団と、レーザー銃で銃撃戦。

そして、なぜかテロ集団の中にいる恋人マリアと本田のなんだかよくわからないメロドラマ

 

なんか最後まで観る頃には、前半にワクワクしていた気持ちはすっかりどこかに消えていて、俺は何を観ていたんだっけ…という気分になってしまいます。

 

ジュピター教団はエコ・テロリストなんですよね。

自然を守るという目的のために、人の命を粗末にしてしまう自己矛盾。今ならシー・シェパードとかにも共通して、かえって理解しやすいかもしれません。

だから、同じ設定でももうちょっと説得力ある表現になってれば…と思うのですが。

④つくづく、もったいない…

今回エヴァをきっかけに久しぶりに観て、本当に前半は楽しく観たんですよね。この映画に盛り込まれているアイデアは、本当にワクワクさせるものになってると思うのです。

だから、観れば観るほど、惜しいなあ…と。

 

演出も決して冗長ではなくて、日本映画的な過度に情緒的なところがないのは割と好みなのです。

未来感を出すために、日本人と外国人をごちゃ混ぜにした世界になってるのも、それまでの特撮映画の無理のある世界と違って、結構自然になってる。(森繁久彌の世界大統領とか、微妙なところはあるにせよ)

 

ピーターとジュピター教団をバッサリ切って、後半のテロや銃撃戦もなくして、マリアとのよくわからないラブシーンもカットしてしまえは、きっと前半のSF的面白さを持続した映画になったんじゃないかと思うのですが。

そもそも盛り込みすぎの物語なんでね。とってつけたような銃撃戦とかなくても、ブラックホールの接近と木星爆破計画のカウントダウン、その中で失われることになるジュピター・ゴーストのジレンマ…といったところで、十分映画になったと思うんですよね。

…って、今言っても仕方のないことだけど。

⑤エヴァとの関係

エヴァでは、第3新東京市の英語名「TOKYO-3」に、本作で地球から木星へ向かう宇宙船の名前が引用されています。

 

「VOYAGER〜日付のない墓標」松任谷由実の1984年発売のシングルで、「さよならジュピター」のために書き下ろされました。映画には、B面の「青い船で」も挿入歌として使われています。

 

ボイジャーはNASAの無人宇宙探査機。異星人に向けたメッセージを刻んだ「ゴールデン・レコード」を搭載していることで有名。

ボイジャー1号、2号は1977年に打ち上げられ、1979年に木星、1980年に土星を観測。太陽系を脱出し、今も飛び続けています。ボイジャーの観測によって、木星の衛星イオの火山活動、木星の輪などが発見されました。

 

ボイジャーは当時、宇宙といえば名前が上がる、有名な存在でした。

1979年の映画版「スター・トレック」でも、ボイジャーがオチの大ネタとして使われています。

 

ユーミンの「VOYAGER」の歌詞は、映画の中で地球を救うため犠牲になる主人公たちと、ミッションを経て宇宙の彼方へ片道飛行で飛び続ける探査機ボイジャーを重ねているのだと思いますが。

「シン・エヴァンゲリオン」でも、最後は「自分のためだけに生きられなかった寂しい人」に捧げるように使われていましたね。

「知り合えたことを死ぬまで誇りにしたいあなた」にも、キャラクターだけでなく関わった多くの人に対して、思いがこもっていたんじゃないかと思います。