蜜蜂と遠雷(2019 日本)

監督/脚本:石川慶

原作:恩田陸「蜜蜂と遠雷」

製作:佐藤善宏、石黒裕亮、加倉井誠人

製作総指揮:山内章弘

撮影:ピオトル・ニエミイスキ

編集:石川慶、太田義則

音楽:篠田大介

出演:松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、福島リラ、眞島秀和、片桐はいり、光石研、平田満、アンジェイ・ヒラ、斉藤由貴、鹿賀丈史

①熱い音楽「バトル」映画

素晴らしい「音楽映画」でした。

音楽をテーマにした映画ってたくさんあるけれど、ここまで音楽を主役に、音楽そのものの感動を中心において作られた映画って、なかなかないと思います。

 

それはもう、舞台設定からして非常にストイックな。

数日間に渡って行われる、ピアノコンクールだけが描かれていきます。その第一次予選の始まりから、本選の終わりまで。

舞台も、ほとんどがコンテストの会場の中だけで。

音楽に打ち込み、悩み、一喜一憂するさまだけを追っていく。それ以外の余計な要素(例えばありがちな、恋愛とか)は一切ありません。

 

世界中から、天才と呼ばれるピアニストの新鋭たちが集まってしのぎを削るコンテスト。

第一次予選、第二次予選、本選と、その都度異なるチャレンジングな課題が出されて。

何十人ものエントリーが、少しずつ選抜されて、少数に絞られていく。

 

つまり、音楽だけど勝ち負けを競っていく。これはバトルものでもあるんですね。

トーナメントじゃないけれど、天下一武道会のような。

複雑な課題をクリアーしていくという点は、「HUNTER×HUNTER」のハンター試験のようですね。

 

ライバルとしのぎを削り、無念に散っていった強敵(とも)の思いを背負って次の戦いに挑む。

スポーツライクとも言えるし、個性あふれる個人が己れの技量のみで戦い抜いていくさまは、やはり格闘技に近い。バトルものの興奮に限りなく近いです。

だから、ピアノという一見上品な楽器をテーマにしながら、実に熱い。燃える展開が繰り広げられていきます。

 

そして、努力・友情・勝利

まさに少年ジャンプばりの、王道熱血バトルものと言えますね。

だからもう本当に、「面白い」映画です。第一級のエンタメに仕上がってると思います。

 

②ライブ感あふれるピアノ演奏シーンの臨場感

そういうストイックなバトル映画だから、当然、実際にピアノを弾いて競い合うシーンがメインになってきます。

ピアノ以外の人間模様とか、日常のドラマとかに逃げない。「ピアノバトル」を正面からがっつりと描いていきます。

 

これ、言葉で言うのは簡単だけど、映画で実現するのはとんでもなく難しい、めちゃくちゃハードルの高い表現なんですよね。

むしろ小説ならではの表現。小説にしかできない表現とも言える。

小説なら、「彼は素晴らしい演奏で聴衆を魅了した」とか「それは誰もが心を揺さぶられる圧倒的な演奏だった」とか書けばそれでいいわけだから。

でも映画では、そうはいかない。

演奏一つ一つに関して、実際の音を聴かせないわけにはいかない。

 

「この人はピアノがめっちゃ上手い」ということを、実際の音と演奏シーンで納得させなくちゃならないわけで。

それも、主要キャスト4人それぞれの演奏を、個性を感じさせ、違ったふうに聴かせなきゃならない。

独創的な演奏、天才的な演奏、繊細な演奏、豪快な演奏…。

素人である観客の耳にもきちんと聴き分けられるように、それでいて陳腐にならないように。

それを、ピアノによるクラシックの演奏という枠の中でね。

 

驚くべきことに、この映画はそんな困難な表現に真っ正面から取り組んで、みごとに達成しているんですね。

4人の主要キャストそれぞれに、4人の著名なプロ・ピアニストを1人ずつキャスティングして。

それぞれのキャラクターに合ったピアニストが選ばれているんですね。ただピアノ部分を吹きかえるというだけでなく、そのピアニストの癖を役柄にも取り入れるなど、互いに高め合うことをやっている。

中盤の大きな見せ場である「カデンツァ」など、役柄のピアニストならどう弾くかということをピアニスト自身が考えて、アイデアを込めて創りあげている。

演出・脚本・俳優という映画の重要要素に、音楽も同じだけのウエイトをおいて、加えられている。まさに「音楽ファースト」というべき丁寧な体制で、制作されています。

 

その結果、本作のピアノ演奏シーンは、本当にライブ感のある、臨場感にあふれる躍動的なものになっています。

既成の脚本に応じてただ当てはめているという感じが、一切しない。本当にその場で、ピアニストがコンクールの一回きりのステージに挑んで、一発勝負の演奏に挑んで、自分自身の創意工夫と情熱のすべてを込めて、力の限りに弾いている。

ライブ会場で、一期一会のライブ演奏を聴いている。クラシックの演奏の要であると言えるその感覚が、スクリーンを超えて感じられるものになっているんですね。

③好きになってしまう4人の登場人物たち

コンクールに挑んでいく、4人の主要なピアニストたち。この4人が、本当に魅力的に描かれています。

松岡茉優演じる、栄伝亜夜。子供の頃に天才と呼ばれていたけれど、師匠でもある母親を亡くしたことから弾けなくなって、ピアノから離れていた元・天才少女

松坂桃李演じる、高島明石。年齢制限的に最後のコンクール挑戦で、仕事と家庭を持っていて、「生活者の音楽」を届けたいと思うサラリーマン

森崎ウィン演じる、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。既に海外で人気も高い王子様キャラで、明るく優等生的な天才エリート

鈴鹿央士演じる、風間塵。正規の音楽教育を受けておらず、孤高の天才ピアニストに見出され、枠にはまらない破天荒な演奏を聴かせる異端児

 

これは原作の良さでもあると思うんだけど、4人のキャラクターがはっきりしていて、ぼやけない。

それぞれの背景を紹介するシーンは決して多くはないんだけど、説明的でない短い描写の中で的確に人物が伝わってきます。

かと言って、ステレオタイプな描き方でもなくてね。「天才だったら気難しい」みたいな、底の浅い表現でもない。それぞれの人物に多面性があって、絵に描いたものではない、確かにそこにいる「ありそうな」人間として描かれています。

 

観ていて気持ちがいいのは、競い合うコンクールの真っ只中にあっても、4人のピアニストたちがまったくギスギスしない。気持ちの良い人物たちであること。

コンクールでしのぎを削る天才たち…といえば誰もが連想しそうな、常にイライラしてトゲトゲしてるような人物は、福島リラ演じるジェニファ・チャンに集約されていて。

 

それはやはり主役である4人は、音楽のことだけを見ているから、なんですね。

コンクールというバトルの場であっても、ライバルに勝つとか、優勝するとか、そういうことを見ていない。

あくまでも、自分の音楽をどんなふうに表現するかということだけを考えている。

音楽といかに向き合い、いかに演奏するかこそが大事なことであって、ライバルに勝つとか、何位になるとかいうことは、その結果としてたまたま付いてくることに過ぎない…。

だから、周りの演奏者たちも、互いに高め合う存在。自分の音楽に影響を与えてくれて、相手にも影響を与える、そういう存在であると心から思えるんですね。

 

だから本作は、バトルものであるということを最初に書いて、だから真剣勝負で競っていく面白さに満ちているんだけど。

それでいて同時に、本当に清々しい、結果でなくバトルそのものを楽しむ精神が貫かれていて、だからとても気持ちがいいんですね。

それこそ、自分を高め、強いやつと戦うことに喜びを感じる悟空みたいな。

 

コンクールという厳しい選抜の場が、ギスギスイライラしたつらい場所になるのか、喜びに満ちた楽しい場所になるのか、それはそこに臨む人の心次第なんですよね。

何事であれ、過程を楽しむことができればそこは楽しい場所になるし、それでこそより良い結果も得ることができる。

天才的なピアノコンクールに限らず、僕たちの日常的なチャレンジにも適用できる話なんだと思います。

④人の心を動かす音楽の素晴らしさ

幼い頃に母親を喪失し、ピアノを弾く情熱も失ってしまっていた亜夜。

そんな彼女に再び情熱を取り戻させるのも、やはり音楽なんですよね。明石の印象的なカデンツァであり、塵との月光の連弾であり、マモルとの練習であり…。

そして駐車場で聞いた雨の音であり、母親とのピアノの記憶であり。

 

音楽に向き合うのは辛く厳しいことでもあるけれど、でも凍ってしまった心を溶かし、再び動かすのも音楽であるということ。

人の心を動かす、というところですよね。小説でも映画でも絵画でも、およそ芸術というものがなぜ人に必要とされるのか、その真髄の部分。

音楽が人の心を動かしていく様子を、丹念に描いている映画なんですよね。亜夜が、明石が、マモルが、塵が、音楽で心を動かされ、そしてまた己れの生み出す音楽によって人の心を動かしていく。

斉藤由貴演じる審査委員とか、ブルゾンちえみ演じる取材者とか、臼田あさ美演じる明石の妻とか、音楽を受け取る立場の人々も心を動かされ、それぞれに自分の形を少しずつ変えていって。

映画を観ている我々も同時に。映画の中の彼らと同じに音楽を浴びて、その音楽によって心を動かされ、心が震える体験を、そのままに体感することができるんですね。

全編を通して、音楽の力を体感することができる。

 

そして、そんな音楽というものは、どこにでもあるということ。

それは例えば蜜蜂のかすかな羽音であったり、遠くで響く雷の音であったり。

世界は音に満ちていて、それに対して心を開けば、それらすべては啓示となる。

それは実際に聞こえている音だけでもなくて。雨の音に耳を澄ませば、草原を駆ける馬のギャロップの足音が聞こえてくるように、心の中で別の風景を紡ぎ出す。

そこに豊穣な世界があって、それに気づけるかどうかは聴き手の心のありよう次第。

 

つまり、世界は人の心を動かす感動に満ち溢れているし、だからこそ世界は美しく、素晴らしい。

優れた音楽家というのは、そんな世界にちゃんと気づくことができて、その感動を自分自身で再現して、人々に届けることができる人のことを言うんですね。

言葉にならないもの、瞬間に過ぎ去ってしまうものを、音符の連なりの中に閉じ込めて、永遠に残すことができる。そこが音楽の面白さですね。でも演奏は一期一会で、一瞬で消えてしまうものでしかなくて、でもそこには永遠があって。

そんな音楽の面白さが存分に描かれていて、そして音楽から感じる言葉にならない感動そのものが、この映画の中に封じ込められている。

本当、優れた「音楽映画」だと思います。ちょっと他にそうそうないくらいの。

⑤俳優たちも見事!

演者の皆さん方、みんな見事でした。その役柄で、そこに生きている存在感があった。

エキストラの中から広瀬すずに見出されたという鈴鹿央士。本当に役柄そのままの天然ピュアな感じがあって、素晴らしいキャスティングでしたね。

森崎ウィンも、「レディ・プレイヤー1」しか観たことなかったけど。すごく上手い人ですね。

優等生で、嫌味がなくて、素直で美形な天才青年という、ともすれば演じがいのない役。彼でなければ、嘘っぽくなっていたと思います。

松坂桃李演じる明石が、この映画の中でもっとも観客に近い役になりますね。一般人と、天才の世界の橋渡し役を、実に自然に、無理なく果たしていました。

 

でもやっぱり、なんといっても松岡茉優。彼女が素晴らしかった。

栄伝亜夜は辛いトラウマを背負っているんだけど、それは自分の中にしまい込んでいて、表には出さない。

表面的には、とても穏やかで、笑顔もよく見せるんですね。無邪気とも言えるほどに、楽しそうにしている様子も何度も見せる。

それでも、亜夜はやっぱりとても深く傷ついていて。ピアノから離れてから、とても苦しい7年間を過ごしてきた。

それでも、先に進むためにはやはり音楽に向き合うしかないことに気づいた。亜夜は今、そんなギリギリの状況におかれています。

 

悩みや苦しみを表に出して、セリフや泣きの演技で「熱演」するのではなくてね。

明るく愛想よく振る舞いながら、心の奥に包み隠している「感情」を垣間見せていく。

最後までほとんどセリフに頼らず、微妙な表情の変化と、ピアノに向かう姿勢の変化で、変わっていく亜夜の姿を見せてくれる。

素晴らしかったです松岡茉優。本当に、才能ある女優さんですね。

 

この映画、脇役の人々もみんな魅力的で。彼女自身「元・天才少女」である斎藤由貴も魅力的でしたね。

意外なのがブルゾンちえみで。イロモノキャストで、この上手い人たちの中に入れられて、もっと浮いても仕方がないところだったと思うんだけど、意外なほどに溶け込んでましたよ。

それに、クロークのおばちゃん片桐はいり。いい味出てるんですよね…。

 

それにもちろん、表には出てこないけど、この映画の主役といっていい音楽を支えた、4人のピアニストたち

彼女、彼らの熱演がなければ、成り立たない映画だったと思います。彼らの普段の音楽が聴きたくなりました。