It Comes at Night(2017 アメリカ)

監督/脚本:トレイ・エドワード・シュルツ

製作:デヴィッド・カプラン、アンドレア・ロア

製作総指揮:ジョエル・エドガートン

音楽:ブライアン・マコーマー

撮影:ドリュー・ダニエルズ

編集:トレイ・エドワード・シュルツ、マシュー・ハンナム

出演:ジョエル・エドガートン、クリストファー・アボット、カルメン・イジョゴ、ケルビン・ハリソン・ジュニア、ライリー・キーオ、デヴィッド・ヘンドルトン、グリフィン・ロバート・フォークナー

 

①タイトルから予想されるもっとも意外な結末!

ネタバレしないと何も書けない映画です。

というか、感想を一言述べるとそれがネタバレになる…と思う。

ちょっと検索しただけで高い確率でネタバレに出会うので、要注意です。

ただ、この映画に関しては、むしろある程度のネタバレを知った上で観た方が楽しめるかもしれない…とも思います。

 

ネタバレネタバレ言ってますが、この映画、別に意外などんでん返しや、あっと驚く大ネタが隠されているわけではないです。

…というか、それこそがまさにネタバレなんですが。

つまり、「…何もないじゃねえか!」っていうね。

 

It comes at night.

それは夜にやって来る。

おお、いかにもホラー映画の王道タイトル。いったい何がやって来るのか、大いに期待が高まりますね。

でも、この映画。

何もやって来ない。

まだかな、まだかな…と待ち続け、終盤になってまさか…?と思い出し、最後まで観ても結局何もやって来ない。

このタイトルから予想される、もっとも意外な結末!

 

観終わって、多くの人は「何も来なかったね」ってなるし、「何も来ねえじゃねえか!」ってなる人もいるだろうし、「金返せ!」ってなる人も少なからずいるだろうと思います。

なんで英語そのままのカタカナタイトルなんだろう、日本語に訳せばいいのに…と思ったりしましたが、日本の配給会社もさすがに訳せなかったのでしょう。

「それは夜来る」なんてタイトルは、つけられなかった。

だって来ないからね!

 

だから、人を選ぶ映画です。人によっては怒る映画。

観る前の期待はことごとくスカされたんだけど、でも僕は結構面白く観ちゃいました。

何も来ないことが、むしろ魅力だったり。

 

だから、何も来ないこと…タイトルから期待する映画とは違うことを知った上で観た方が、むしろいいんじゃないかな、と思ったりもする次第です。

なので、未見の方が今回の僕のレビューを見てから観に行っても、それはそれでアリじゃないかな…と思います。

 

それに、たぶん何か来てたような気もするんですよ。

目には見えなかったけど。

確かに何か、来てたような気もする。

 

②確かなものが何もない、信用できない世界

謎の疫病が流行し、人類が滅亡に瀕しているらしい世界。ポールと妻のサラ、息子のトラヴィスは森の中の一軒家に暮らしていました。ルールは夜には外出しないこと、外へ通じる赤いドアに鍵をかけて閉じること。

ある夜、ウィルという男が家に侵入。彼は、森の奥の廃屋に妻キムと幼い息子アンドリューを待たせていると言います。ポールたちは彼らを迎え入れ、2つの家族の同居生活が始まります。

穏やかな日々がしばらく続きますが、ある夜に状況は一変。アンドリューが疫病に感染しているかもしれないと疑ったポールとサラは、銃を取ってウィルたちと対立します…。

 

全体を通して、はっきりとした状況は描かれません。

家族以外の世界がどうなっているのかもまったく不明。そもそも本当に疫病が流行っているのかもはっきりしません。

 

いろんなことが、少しずつ疑いを抱かせるように曖昧に描かれています。

冒頭はサラの父親を射殺するシーンから始まります。サラの父親は疫病に感染しているようで、ポールが彼を射殺し、死体を焼くことは妥当な対処であるように見えます。サラもトラヴィスも悲しみながらも納得していて、ポールは家族を守るために正しいことをしているのだと。

でも、マスクをつけたポールを見上げる義父の表情は、まるでポールの罪を告発するかのようです。

 

ポールは疫病への対処をよく知っているように振る舞います。

閉じこもって暮らすルールを決め、家族にも、ウィルたちにもそれを守らせます。

外に出るときは手袋とマスクをつけ、何か怪しいことがあった時はよく手を洗い、シャワーを浴びるよう命じます。

よそ者に襲われたら、容赦なく撃ち殺す。生き延びるために、それが最良の判断だから。

でも、それが本当に正しいのかどうか、実際のところは何一つわからないんですよね。

本当は、何もかも間違っているのかもしれない。

ポールも彼の家族も、まったく見当違いのことをやっているのかもしれない。

ポールが白人で、彼の妻子が黒人であるのも、何かそんな疑念を増幅させるところがあります…と言うと語弊があるかもしれないけど。でも、意図的な配置だと思います。

 

そんな曖昧な世界だから、ポールがウィルを信用することもない。

どこまでも疑いを捨て切れず、そこから破滅へ向かってしまう。

家族を守るためという大義名分でポールは行動するんだけど、それが本当に家族を守ってるのかも怪しい。

結局何一つ確かでない世界で、疑心暗鬼から破滅へ向かう物語。

 

この徹底した曖昧さ、「何もわからなさ」がこの映画の特徴で、面白みになっていると思います。

登場人物たちが説明していることが、本当にその通りかわからない。疑おうと思えば、いくらでも疑わしく思えてしまう。

劇中でポールやウィルたちが互いに相手を信用できず、破滅に向かっていく一方で、それを観ている我々観客も、「何も信用できない」という気持ちを共有させられてしまうんですね。

③「赤死病の仮面」とメメント・モリ

夜にやってくる“それ”とは何か。

まず第一に、それは疫病そのものであると言えますね。

夜に赤いドアの向こうに入ってきた犬を通して、疫病は彼らの家の中についに入り込むことになります。

 

エドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」のようです。

国中に疫病が蔓延する中、王は城に閉じこもり、饗宴に明け暮れていました。

仮面舞踏会の夜、参列者の中に赤死病をかたどったデスマスクの男が紛れ込んでいることに気づき、王は怒って追いかけます。

王は、真っ赤なステンドグラスの真っ黒な部屋に男を追い詰めますが、男と対峙すると絶命します。人々が男の仮面を剥ぎ取ってみると、その下には何もありませんでした。

男は赤死病の化身でした。その夜から城内にも赤死病が蔓延し、人々は死に絶えることになります。

 

疫病が世界中に蔓延している中でそれに背を向け、家族だけで家に閉じこもり、そこに王のように君臨するポール。

血を吐いて死ぬ疫病の描写や「赤いドア」など、様々なものが符号します。この映画は「赤死病の仮面」をモチーフにしているようです。

赤死病の仮面のような形で目には見えなかったけど、疫病は夜に静かに家の中に入り込み、家族に破滅をもたらしました。

 

赤死病が死の象徴であるように、夜に来る“それ”は「死」であるとも言えます。

どんなに鍵をかけて閉じこもっても閉め出せない。死はいつか必ずやって来て、音もなく家の中まで入り込み、我々を一人ずつ刈り取っていくことになります。

そこで何度も映し出されていた、ブリューゲルの絵画「死の勝利」ですね。

貧富も階級も関係なく、あらゆる人に平等に襲いかかり、残酷な苦痛を与える死。しかも死には、何人も絶対に勝てないということ。

 

この映画で描かれる死は理不尽で残酷なんだけど、死というものは誰に対しても理不尽で残酷なものであって。

そう受け取れば、この映画は疫病ホラーの体裁を借りて、普遍的な死の恐怖を描いているとも見えてきます。

若い者たちが老人を取り囲み、老人の残酷な死を看取る…という冒頭の構図も、考えてみれば「よくある」状況ですね。

こういう時、死に行く老人が生者を見上げる目は、どこか恨みがましく見えたりするものです。

 

要は、メメント・モリ

「死を思え」ということが、本作の基調を成しているように思えます。それは誰の上にも等しく「夜に訪れる」のだから。

 

④夜に来るもの、悪夢

ただ、気になるのは、本当に彼らの家の中に疫病が入り込んだのか。

それもまた、はっきりとはわからない曖昧な描き方をされているということです。

 

アンドリューが感染したのでは…という疑いから、ポール一家とウィル一家の諍いになっていくのですが、本当にアンドリューが感染したのかどうか、確かなことは示されません。

マスクをつけて幼い子にも銃を向け、ルール通りに振る舞おうとする両親に対して、トラヴィスは泣きながらやめてと叫びます。

「アンドリューが病気なら、僕も病気だということになってしまうんだから」と。彼はアンドリューと素手で接触しているからです。

 

ここから伺えるのは、「何もかもが不確かな世界では、皆がそうだと信じて行動すれば、そうなってしまう」という世界観です。

まるで「シュレディンガーの猫」です。箱の中で生死が不確定な猫は、箱を開けて生死を確かめた時点で、過去に遡って生死が決定される。

アンドリューが病気かどうかが不確定な世界では、アンドリューが病気であるという前提を誰もが事実として共有してしまうと、それが事実として確定してしまう。

 

そこで思い出すのが、映画の中で何度も繰り返される、トラヴィスが夜ごとに見る悪夢。

この映画の中でもっともホラー映画的な部分ですが。

トラヴィスの悪夢こそが、確かに夜に来る“それ”であるとも言えます。

 

不確かな世界だからこそ感じてしまう、「こうなったら嫌だ」という恐怖。

日常が壊れ、何もかもが不確定となってしまった世界では、恐れることが現実になってしまう…という世界系ホラーみたいな解釈も可能です。

この世界では、恐怖や疫病や死は外からやって来るのではない。悪夢という形で、人の内部から「夜に来る」んですね。

 

突飛な発想のようではありますが、それこそ「病は気から」という言葉もあるわけで。

人を蝕むのは結局のところ絶望であったり、不確かな将来への不安だったりします。

⑤挑戦的な映画

本作はまた、現代の社会問題にも繋がる「不寛容」を描いている作品でもあります。

家族が大切だ、どんなことをしても家族を守るんだ…という決意は美しいようだけれど、裏を返せば「よその家族を犠牲にしてでも」「自分たちさえ生き延びればいい」ということになっちゃうんですね。

それ自体は本来は美しい愛国心が、他国を差別し排除することを肯定してしまうのにも似ています。

 

昼間は協力して薪を割ったり、親しげにしているのに、夜になったら疑念が忍び寄ってくる。

ウィルが兄弟について嘘をついているのではないかと、ポールが疑うシーンも夜でした。疑いが芽生え、育っていくのも昼間より夜。

相手への不信や、不寛容の心も夜にやって来るのだと言えます。

 

そうやって見ていくと、いろいろと来ていますね。表面上は何も来ないやん!と思ったんだけど。

なかなか重層的な、深読み可能な面白い映画だったと思います。

 

しかし、挑戦的ですよね。タイトル、明らかにわざとですからね。

でもこのタイトルがあるから、観ている間中ずっと「何かが来る、来る」と思い続け、まだ来ない何かの気配を感じ続けるんですよね。

タイトルから受けるミスリードそのものが、映画の重要な要素になっている。面白い仕掛けだと思いました。

 

怒る人も一定数いると思うので、鑑賞の際はご注意を!

 

パンフレット情報(謎の解釈も含む)はこちら。

 

 

 

 

 

 

 

製作総指揮も務めたジョエル・エドガートンの前作。僕のレビューはこちら。

 

 

 

ウィルの妻キムを演じたライリー・キーオ出演。僕のレビューはこちら。

 

ライリー・キーオ出演作。僕のレビューはこちら。

 

「赤死病の仮面」収録。